尊敬される国に

10月 01日, 2012年
カテゴリー : プロデューサー目線 

 尖閣諸島に台湾の魚船が接近した時、海上保安庁の巡視船が放水で警告をしたり、漁船と漁船の間をすり抜けて牽制したのを見て、ほっとしたのは私だけでしょうか。
 これが、威嚇射撃をしたり、船に体当たりしたらどうなったか、考えるだけでもぞっとします。「何としても領海を侵犯させるな」「領土を守るためには軍事力を強化するしかない」といった声を聞く度に、私は「危ないなあ」と思うのです。
 第2次世界大戦が終了したのが1945年、それから67年が経ちました。「のど元過ぎれば暑さ忘れる」ではありませんが、あの時日本人は「もう2度と戦争はごめん」と思ったものです。「再軍備反対」というのもほとんどの人の声でした。それほど戦争の悲惨さは凄まじいものでした。「血を流さずに国を守れるか!」と叫ぶ人がいますが、日本人は既におびただしい血を流し、尊い命を失ったのです。さらに最初で唯一の被爆国でもありました。
 日本人はそうした人たちの犠牲を背負い復興を果たしてきました。日本人だけではありません。戦争に巻き込まれて亡くなった全ての人たちに向かって世界平和を誓ったのです。
 67年間平和が保たれたのは、こうして謙虚に世界に接してきたお陰だと思います。
 「日本は2度と戦争をしない国である」、「自衛隊はあっても軍事力に頼ることはないだろう」という安心感が世界中に伝わっていました。人間は自分に危害を加える心配のないもの、つまり牙をむき出しにしないものに対してはやさしいものです。「日本の安全を保つには、日本も核を持つしかない」などという考えは自殺行為です。唯一の被爆国だからこそ、核を持たない勇気を示さねばなりません。
 1890年、和歌山県串本沖で遭難したトルコの軍艦エルトゥールル号の乗員を一生懸命救助しようとした日本人の行為が、今もトルコの人々を親日派にしているように、他の国から尊敬されること、愛されることが一番国を守ることになると思います。
 それでなくとも「阪神、東北と2度の震災を経験した日本人がパニックによって暴動を起こしたりせず冷静に行動した」、「オリンピックなどの国際競技で日本人は常にフェアプレイに徹している」、「日本人は、大多数が脱原発を目標として、自然再生エネルギーを考え、地球温暖化を防ごうとしている」などと高く評価されているのです。
 もはや、軍事力で世界の平和が保てる時代ではありません。「尊敬される国」になることが日本にとっての防衛力であり、それを日本が先頭に立って実行していくことが大切なのではないでしょうか?世界平和を実現するには、やはりバランス感覚を持った教育が大切ですね。日本も135年前には西南戦争という内戦をしていたのです。地球上に戦争が無くなるのも夢ではありません。「歴史は繰り返えされる」という言葉が21世紀には覆されることを願っています。

橘市郎
(舞台芸術研究センター プロデューサー)