写真・映像コース

【現代美術/写真】イメージと言語の関係性

 

 

イメージ×言語

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現代美術/写真コースの授業では、しばしば「イメージと言語の関係性」について話されます。

「こちとらイメージ勝負だから、言語との関係性なんて考える必要ないジャン☆」って訳にはいかないんですね。

絵や写真=イメージとして、それがもう、納得せざるを得ないぐらい、べらぼうに良かったら、それはそれで良い場合もあるかなぁなんてことも思うんですが…

 

もし

 

「イメージを作り出すのがべらぼうに良い人」が2人いたとして、一方は言語で作品を説明出来たり伝えたり、話し合える人で、一方はそうではない人。

その違いが出たとき、どうしても前者の方に興味がいってしまいそうだと個人的に感じます。

 

 

 

先日、本学で行われたオープンキャンパス。

授業公開日でもあったので、朝早くから現代美術/写真コース・3回生の教室へ向かってくれた高校生の方が何人かいたのですが、そんな中でも(だからこそ?)この話題に。

ちなみに、このときは椿昇先生の授業でした!

 

 

昔、人間(古代人)の心はひとつではなく、「二分心」という風に2つに分かれていた

…という、人間の心に関する仮説があります。(神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡(紀伊國屋書店/2005)/ジュリアン・ジェインズ より)

現代的に言えば、自分自身で「意識出来る声」とは別に、「神様のような声」を出す存在が人間の心に潜んでいたと、ジェインズは述べています。

ある選択を迫られた場合、自分の声よりも先に、神様みたいな存在が「こっちにしなさい…」と囁いてきていた、らしい。

だから、全ての選択は「神が言ってたんだもん!」で許されちゃっていたんですね。

人を殺めようが、「お前が生け贄や!」と突然宣言されちゃおうとも、「神が言ってたんだもん!」

…うーん、そんなに“死”がすんなり受け入れられていた時代が、本当にあったのか否か。

平たく言ってしまえば、自制心や反抗心が、自分とは関係のない(という感覚の)「神の声」によって、欠如していたということでしょうか。

その欠如が残っている部分も、現代にはあってねぇ。それは…という話は、今回の話とは結びつかないので省きますが、当時の人々は徐々に気づき始めるんですよ、そのことに。そこから人々は、「自らの言語」で物事を考えていくんですね。

この例だけで言うと、“死”という一定の「イメージ」が何らかの形で出てきて、それを「自らの言語」として、YesかNoかで判断し始める時が来たのです。

 

 

さて、「イメージ」は絵や写真に限らず、「~らしい(さ)」「っぽい」という意味合いでも使われます。

「知の編集術 発想・思考を生み出す技法(講談社/2000)/松岡正剛」によると、このイメージは「略図的原型」というものに分かれているのだそうです。

それが、

 

・ステレオタイプ(典型性)―特定の何かや誰かに代表されるモードや「らしさ」

・プロトタイプ(類型性)―一般化できる概念としてのモードや「らしさ」

・アーキタイプ(原型性)―文化や文脈の奥にひそむモードや「らしさ」

(同書 P.115より)

 

詳しくは本に載っているので、割愛するのですが、この「イメージ」は強いんじゃないかしらと時々考えます。

 

A「何か、死ぬって怖いらしいよ。痛いらしいし」

B「へぇ…“死”って怖いっぽいのな。嫌だよォ、俺死にたくないよォォォ」

 

…なんて会話が、昔あったのかは知りませんが、この「らしさ」と「っぽい」だけで会話が成立していて、Bが「No」という拒否反応を言語で示しています。

別に2人は死んだ訳でもないのに、AとBの間には、“死”についてのある程度の共通認識が生まれるという可能性が、多かれ少なかれ、ありえるように思えてきます。(無論、こんな会話がされる頃には、言語以外の何らかの形で死後の世界がイメージとして出されていたかもしれません)

 

 

話を、絵や写真の「イメージ」と言語の関係性に戻します。

 

 

「イメージ」そのものこそ大事ですが、見せられた側が「もっとここ知りたい…話してみたい」と思った場合、先程のようなある程度の共通認識も要する場合は多いかな、と。

全ての人に全てを均等に伝えることは、無理が生じる部分があると思いますが、それに向かう姿勢自体は良いなぁと感じます。常日頃、イメージと言語を行き来する習慣を付けていきたいです。

 

言語自体に元々意味が付いている訳ではないので、それが全てだということはないですが…やっぱり他者と関わる際には、どうしてもつきまとうものなので、自分以外のものと関係性を築く術ではあるのかなぁと考えてしまいます。「イメージを見せたい」と思うならば、尚更。

話しながら、逆に聞きながら、良い塩梅を探っていく過程が「素敵~!」っとアツくなってしまうんですけど。私としては。

 

 

朝から聞くにはちょっとヘビーな話題も椿先生からは出ましたが、高校生達にはどう伝わったんでしょうか。

こんな具合で楽しいですよ、現代美術/写真コースの授業!

 

 

もうすぐ入試も始まります。

今年は何人、うちのコースにチャレンジしてくれるんでしょう~。楽しみです。

 

 

 

美術工芸学科/現代美術コース 3回生 唐鎌なつみ

 

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