油画コース

人を描くおもしろさは、変化する瞬間に。 油画コース、森本先生が顧問を務める 人体デッサン部、「春の人物デッサン大会」を開催!

【文芸表現学科学生によるレポート📝】
違うジャンルを学んでいても、芸術大学でものづくりを楽しむ気持ちは同じ。このシリーズでは、美術工芸学科の取り組みの現場に文芸表現学科の学生たちが潜入し、その魅力や「つくることのおもしろさ」に触れていきます。

 

文芸表現学科・4年生の出射優希です。新年度がはじまった緊張感もありますが、身も心もほどける陽気ですね🌸今回は、大学公式クラブである人体デッサン部の、春休み中の活動をご紹介していきます!

 


 

 

春の人物デッサン大会inデッサン室

 

大学では、日頃の授業や作品制作のほか、チームでものづくりをするプロジェクト、そして通学部の学生であれば自由に参加できる、クラブ活動も行われています。

 

今回ご紹介する「人体デッサン部」も大学公式サークルのひとつ。

油画コースの森本玄先生が顧問をされています。

着衣デッサンはもちろん、外部からモデルさんをお呼びするヌードデッサンをすることもあり、それぞれが自由に選択した画材で、授業外でも本格的な人体デッサンに取り組むことができます。

月に4回ほどのペースで活動しており、定期的に先生をお呼びした講評会も行われます。

参加学生には、油画コースの方はもちろん、美術工芸学科の学生以外にも、さまざまな学科・コースのみなさんが。

 

そんな人体デッサン部では、この春休みに「春の人物デッサン大会」を開催。

3人の学生を、約1週間かけて描いていきます。

なんと今回、私もモデルをさせていただいたのです……!

 

ということで、今回のブログではモデルとして描いていただいた体験と、その後の講評の様子をレポートしていきます!

 

↑学生を見守る石膏像たち

(描いている最中の写真は、偶然通りがかられた職員さんの撮影です。学生や教員の取り組みにいち早く気づき、学内はもちろん学外の展示にも必ず足を運び、適宜記録を残し、熱く見守っていただいています。学生にとって、とても励みになる存在です。)

 

 

 

じっとする、ひとかたまりの体

 

9時40分に集合してから、20分間描き、10分休憩。

それを午前と午後に分け、合計12回繰り返します。

1日目はポーズを決めるため、ウォームアップのため、最初に5分のクロッキータイムが数回ありました。

 

 

デッサン室には天窓があり、今回は照明をつけずに、安定した北側からの完全自然光で描くことに。
学生とともに、顧問の森本先生も描きます。

 

↑真正面から描く森本先生

 

ポーズは「正面を向いて椅子に座る」という、モデルにとっては比較的シンプルな動き。

しかし描こうと思うと、腰から折れ曲がって座面に寝ている太ももと、一番手前にある膝、奥にある胴体の遠近感を表現するのが難しいポーズでもあり、休憩時間には苦戦する学生へ森本先生がアドバイスをするシーンも。

みなさん時折立ち上がっては画面から離れ、部分だけでなく全体のバランスを見つめていました。

 

 

モデルはもちろん動かず、じーーーーーーーーーーっとしているのですが、これが想像以上に難しく、いろいろ発見があるのです。

 

描くときには、衣服の内側にどのように体が存在しているか、また、皮膚の内側の筋肉や骨の仕組みまで気にかけながら描くようですが、モデルをしていても、じっとするほど体の内側の感覚や構造に意識が向かうのです。

 

たとえば、頭、首、背中、肩、腕、指先といった、普段は意識せず動かしているそれぞれの部位が、すべてひとつの流れになっていること、腰から背骨がのびて体を支えていること、後頭部の重さ、一つひとつがはっきりしていきます。

 

スポーツでもそうした感触を得られるのかもしれませんが、運動と違い心臓や肺といった臓器は静かな状態です。

だからこそより、体の構造や仕組みといった、全身の繋がりが感じられた気がします。

 

知識として人物のつくりを学ぼうと思うとはじめはハードルが高いかもしれませんが、まずは10分ほどとにかくじっとしているだけでも、感覚としての体に対する理解が深まりそうです。

 

 

立ち止まり考えるよりどころ

 

ほかにも、自然光のなかにいるとはじめは薄暗く感じるのですが、だんだんと目が光に慣れ、光を受け止めてかえす壁の白さや、ただ暗く見えていた部分のなかにある陰影が感じられるように。

 

↑チャンキーチャコールという、黒の濃さが豊かな木炭で挑戦。

 

じっと座って1点を見つめながら、描き手のみなさんにはどう見えているのだろうか、と想像していました。

 

さらにいろいろと考え事や昔の記憶が浮かんでは消え、浮かんでは消え。

そのなかで、ひとつのことを考えるにも、ペンを握ったりキーボードを叩いたり、ものをつくったり、思考を1点にとどめておくための、体のよりどころとなる動作や感触が必要なのだなという気づきもありました。

考える、そして作品をつくる、という方向だけでなく、ものをつくるという動作そのものが、立ち止まり考えることを促してくれるなぁと思うのです。

 

異なるから、絵

 

休憩時間などに途中経過をちらっとみせていただいてはいたのですが、1日目の終わりに改めてしっかりと拝見した感想はというと……、「いる!!」。

なんだかおかしな感想ですが、確かにそこに描かれている、自分がいることに、不思議な感じがしたのです。

普段、機械によって写真に映る自分はすんなりと受け入れているのに、絵に描かれた自分に不思議に感じることがまた不思議で。

 

書き手によって絵全体の表情は違っているのにも関わらず、すべての絵に対して「これは私だ」と思う不思議さを呟くと、隣の森本先生が「それが絵だからねぇ」と一言。

「そうか、それが絵なのか……」と、森本先生の言葉に妙に納得したのでした。

 

↑1日目の終わり

 

人を描くときのおもしろさは、動きが出てきたときにある

 

私がモデルをさせていただいたのはデッサン大会の初日と最終日の2日間。

最終日に行われた講評会では、まずは学生が描いた感触を振り返ってコメントし、森本先生がひとりずつフィードバックをしていきます。

 

 

 

印象深かったことのひとつめは、「初日から最終日の間に、自分自身のモデルさんを見る目が変わったからこそよりむずかしかった」という言葉。

 

1日目に描いてから、2日目3日目と他のモデルさんを描くなかで得た感触があり、だからこそ最終日に1日目の続きを描こうとすると前の自分の絵に引っ張られてしまう部分があってうまくいかなかった、とお話しされていました。

日々つくり積み重ねるからこそ発見できことがあると、教えていただけたエピソードでした。

先生からの講評では、うまくいかないなかでも「描こうとした」ことが絵に表れている点が注目されていました。

 

そしてもうひとつ印象深かったのは、「人を描くおもしろさは、動きが出てきたときにある」「疲れてきたころに、表情が緩んだり姿勢が変わったりする瞬間が自然で美しい 」とお話しされていた森本先生の言葉です。

 

モデルをさせていただきながら、「じっとしていなければ!」と思っていたのですが、どうしても自分の制御できる範囲を超えて、外界に反応する瞬間があり……。

実はその瞬間がもっとも生き物らしく、人間らしい一瞬だったのかもしれません。

描いていただいたデッサンには、そうした一瞬も、1人の人として1枚の絵に堆積しているのだと思います。

 

描かれている間の(描き手が描いている間の)ある一定の時間と、時間にともなう記憶や感情がひとつに統合され、1枚の絵になる。

矛盾とも思えるようなことが成立する唯一の行為が「絵」なのかも……。

そんなふうに思います。

 

モデルをした2日間、さまざまな気づきに出会い、たくさん刺激をいただける時間になりました。

 

 

 

取材記事の執筆者

文芸表現学科4年生

出射優希(いでい・ゆうき)

兵庫県立西宮北高校出身

 

大学2年生のときから書きはじめた、この「KUA BLOG」での美術工芸学科に関する取材記事のシリーズが、学内外で人気を博してきた。
個人で記すノンフィクション作品も含めて、地に足をつけ、ゆっくり呼吸しながら取材対象を受けとめ、言葉を深く彫り込んでいくプロセスの切実さに定評がある。
「逸脱する声 京都芸術大学美術工芸学科教員展」(2022年6月に開催)では、文芸表現学科の学生たちが23人の専任教員にインタビューした声の数々も作品として発表されたが、そのうち最多の8人へのインタビューとそのまとめを担当した。

 

 

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