アートプロデュースコース

等伯をどう描いたか 安部龍太郎さん特別講義

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1月22日に開催した本年度最後の特別講義には、小説家の安部龍太郎さんにお越しいただきました。

講義のテーマを『等伯をどう描いたか』とし、自著『等伯』を書かれるにあたり行ってきた調査の数々についてお話しいただきました。

長谷川等伯はその知名度に対して文献資料がほとんどないため、安部さんが等伯の人物像にせまるための重要な手がかりは彼の描いた作品でした。作品と向き合う/対話しながら、時には水墨画を習うことで等伯の筆使いを体で感じたり、等伯のゆかりの地を訪ね歩き、彼が見たであろう風景を想像するといったことを通して寄り添っていったという安部さん。

そんな話を聞いていると、私たちが学んでいるアートプロデュースや作家研究を行う時に大切にしなければならない「信念」のようなものに通じることのように感じました。

とても、すてきなご講義をありがとうございました。

 

 

 

 

■以下、学生レポートより抜粋■

 

美術史の授業で学ぶ長谷川等伯や彼の作品とはまた違った学び方ができたと思います。私は、今まで等伯ひとりに重点を置いて作品をみたことはありませんでしたが、『松林図屏風』がなぜ国宝とされ拝められているのかようやく納得できたように感じます。

 

死を受け入れ、そこから人生とは、生きるとはなんなのかを考えることこそが生きるためには必要なのではないかと思った。生きた証を残すために等伯も描き続けたのではないか。資料ではなく作品として後世に残ることは、ただの記録としてではなく、人として残っている、生き続けているようなことだと思った。ACOPでも学んだように、作品と対話することでその作者像がはっきりと見えてくる、それは絵画だけでなく、小説でも同じことだと知ることができた。そのように考えると、表現することすべてにこれは言えることではないか。するとそれは私たちが行動するすべてに生きてくる。日常においても対話を意識することが必要なのではないかと思った。

 

小説を書かれるために「作品と対話しなければならなかった」とおっしゃっていたことが印象的でした。武士の家に生まれながら絵師となり、様々な地に移り住んだ等伯は様々な経験や考えがあったのかもしれませんが、私達は想像するしかありません。しかしそこで、水墨画をならうなどしてまで等伯本人と向かい合おうとなさった安部さんの行為は、客観的な想像を押し付けるだけでない、まさに“対話”ではないかと感じました。そして、その結果作品が残り、細工された歴史よりもずっとリアルな想像や考えが生まれることこそ、まさに芸術の力なのではないだろうかと思います。

 

 

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