(大学院)文芸領域 上崎 洋一(日野 百草)
2020年4月23日、緊急事態宣言下の新宿駅東口アルタ前広場。いまでは考えられない光景、私と鳩しかいない。
※筆者撮影
コロナ禍における疫禍と人禍、その声なき声のルポルタージュ
<作品名>
コロナ零年
ノンフィクション、ルポルタージュを⼿掛ける筆者、⽇野百草はまだ国内で新型コロナウイルス感染症が本格的な騒ぎに⾄っていなかった 2020 年 2 ⽉、⼩学館「NEWS ポストセブン」におけるマスク転売ヤーの男性とその買い占め騒動の取材で「疫禍」と「⼈禍」の端緒を⽬の当たりにする。旧知の靴磨き職⼈は「疫病は怖いよ」と語るが 88 年(当時)⽣きた彼⼥の⾔う通り、その「疫禍」はこの国の多くの命を奪ってゆく。やがて「疫禍」だけでなく「コロナがうつる」「コロナをばらまくな」とライブハウス、パチンコホール、対⼈業務をともなうエッセンシャルワーカーや夜の街への攻撃という「⼈禍」へとつながる。それがコロナウイルス拡⼤、いわゆる「クラスター」を引き起こしているかもわからないままに。志村けんや岡江久美⼦の死はセンセーショナルに報じられ「次は誰か」「次は私か」と⼈々は怯え、中世の魔⼥狩りのように他者を吊し上げた。
パチンコホールはクラスターを⼀度も出していなかったのに叩かれ休業を余儀なくされ、緊急事態宣⾔下でも出勤しなければならない「現場」の労働者もまた感染拡⼤のやり⽟に上げられた。誹謗されるスーパーマーケットの店員、中傷されるゴミ回収員、ウイルスを撒き散らしていると⽬の敵にされる歌舞伎町の住⼈たち。まだ有効なワクチンもなく、⼀般接種も始まっていなかった 2020 年⽇本の「コロナ零年」。そうした表⽴って抗う声を持たない「声なき声」の⼈々はバッシングにもしたたかに⽣きていた。
翌 2021 年、⼀年延期にしても⽇本政府は「東京 2020 オリンピック・パラリンピック」を諦めていなかった。それどころか緊急事態宣⾔などの⾏動制限を強いながら、オリンピックだけは特別扱いで進められた。それまでの姿勢と⽭盾した「命より五輪」としか思えない姿勢。国⺠に外出⾃粛を呼びかけながら「オリンピックファミリー」だけは別。そうした歪んだ五輪に群がる⼈々の不祥事、のち多数の逮捕者を出しながらも、真相はうやむやのまま 2023 年、コロナは 5 類感染症の決定で「収束」した。あの「⼈禍」はなかったかのように。「なにも変わってないよ、⽇本⼈だよ。⼈様の靴磨いてりゃ、よくわかるよ」半世紀も地べたで⼈を⾒上げていた靴磨き職⼈の⾔葉、筆者は動き出す⽇常に「そうなのだろう」と⾃分に⾔い聞かせるばかりだった。
上崎 洋一(日野 百草)
(大学院)文芸領域
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