(大学院)文芸領域 村井 宣之
新/旧ケルン東洋美術館
平山郁夫・小林忠 『日本美術大観8 ケルン東洋美術館』 講談社 1992年の 新/旧ケルン東洋美術館の写真よりスケッチ化したイメージ図
アドルフ/フリーダ・フィッシャー夫妻のケルン東洋美術館創設事跡からの創作
困難に立ち向かう勇気ある人間の姿を描く試み
<作品名>
『ケルン東洋美術館の復活』
『ケルン東洋美術館の復活』は、明治期の日本に何度も来訪して日本の美術品を蒐集し、ドイツのケルン市に東洋美術館を創設したフィッシャー夫妻の物語である。
計五回の訪日を含め朝鮮や中国にも足を運んだ夫妻は、幾多の困難を乗り越えて 1913年にケルン市に美術館を完成させる。初代館⾧はアドルフであるが、彼は約半年後に 58歳で急死してしまう。妻フリーダは第二代館⾧となるが、時代は第一次世界大戦、戦後ナチスの台頭という激動の時代を迎える。ユダヤ人法学者のヴィールスツォフスキー氏と再婚したフリーダは迫害を受け、1938 年に館⾧解任、全ての権利を喪失する。第二次世界大戦の空爆で東洋美術館も焼失する。フリーダは 1945 年末ベルリンにて 71 歳の生涯を終える。しかしフィッシャー・コレクションの大部分は守られ、フリーダの志を継ぐ人たちの努力により、1977 年に新ケルン東洋美術館は現在の地に復活を遂げる。本作は激動の時代の中で困難を乗り越え、東洋美術の殿堂をケルン市に築いたフリーダという女性の生涯を描いたものである。彼女の一念は後継の人びとを動かし、戦災で焼失した美術館を復活させる原動力となった。
最初は、二人の結婚から日本での新婚旅行の様子が描かれる。精力的に社寺を見学、日本の芸術家たちとも交流する。
帰国後第六回のウィーン分離派展では日本展を主催する。この評判が為、ベルリン博物館にコレクションを全て寄贈しなければいけなくなる。アドルフは寄贈時の交渉により生涯年金と教授の称号を得る。夫妻は再度訪日して一から東洋美術を蒐集するようになる。
ベルリンに夫妻が望む形の東洋美術館を創ることが困難になり、ケルン市と交渉して創設計画を具体化させていく。その一方で日本をはじめ朝鮮・中国を含めた東洋美術の研究と蒐集にまい進する。
1913 年にケルン市東洋美術館は開館するが、初代館⾧アドルフは約半年後急死してしまう。フリーダは第二代館⾧となるが、時代は第一次世界大戦や戦後のナチスの台頭という激動の時代を迎える。
アドルフの死から八年後にユダヤ人の法学者と再婚したフリーダはナチスの迫害を受け、館⾧職を解任され一切の権利も失う。
ケルン東洋美術館は 1944 年に空襲により焼失する。フリーダも終戦後の 1945 年末に71 歳の生涯を終える。しかしフィッシャー・コレクションの大部分は守られ、後にフリーダの志を受け継ぐ人たちによって 1977 年に現在の地に再建される。
村井 宣之
(大学院)文芸領域
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