今年2025年は戦後80年、そして昭和100年。有料老人ホーム在住女性3人の100年人生
今、私が記録しなければ近いうちに必ず消えてしまう、女性たちの戦前戦後史
(大学院)文芸領域 星野ひろみ
「有料老人ホーム在住、昭和100年を生き抜いた女性たち」
2024年3月、64歳での有料老人ホーム入居後まもなく大学院における学びがスタートした。ここで最初はおとなしくしていたが、入居者平均年齢87歳の中で最年少の私は世間知らずで好奇心旺盛。固定観念なく先住入居者たちに話しかける。ふと気づけばレストランで見掛けていた自立居室住まいのアラ100女性3名(Sさん・Iさん・Aさん)が次々と介護居室に移って行った。彼女たちは戦時中の学徒動員や徴用を経験した世代だ。高度経済成長期生まれの私は両親や祖父母たちの苦労話を聞き流してきた。その罪滅ぼしという訳ではないが、彼女たちの来し方をどうしても知りたくなった。2025年は昭和100年で戦後80年、この節目の年に私が老人ホームで暮らして文学を学んでいるのは、彼女たちのライフヒストリーを書くという天命を与えられたに違いないと考え、取材を嘆願した。
宮崎県出身のSさん(98歳)は、宮崎師範学校から愛知県名古屋市の工場に学徒動員されて機関銃の弾丸などの製造に従事する。県内だけでは航空機産業等の軍需工場での働き手を確保できず、国策によって広く遠方からも学徒が動員された。度重なる大空襲を辛くも生き延びて終戦を迎え、宮崎での学びに戻る。小学校教諭となった年に結婚して、ベビーブームの中での教育にも携わった。
東京生まれのIさん(101歳)は、父親の転勤で小学生の時に茅ケ崎(神奈川県)から芦屋(兵庫県)へ転居。慣れ親しんだ標準語と全く違う関西弁に悩まされ、芦屋は怖いと登校拒否寸前の状態に陥る。やがて憧れの神戸女学院に入学して生きた英語を身に付けるが、父と優秀な3人の兄弟を亡くして母一人子一人の境遇となった。戦後は自動車関連企業(後に叔父が社長・会長)に入社し、総務部に配属され最終的に秘書課の課長職を務め、独身で定年退職を迎える。
愛知県岡崎市出身のAさん(99歳)は、空襲による火災で実家を失いながらも女子専門学校(女子大の前身)で学んだ後に結婚。夫が一人息子にもかかわらず、地元の名士である義父母家族との別居が相手側から出された結婚の条件だった。当時としては珍しい核家族での結婚生活が始まるが、内気で人付き合いが苦手な長男の嫁は4人の娘たちだけに愛情を注ぐ姑との軋轢に苦しむ。
激動の昭和100年を生き抜いてきた彼女たちの生き様は、学校では学べないまさに市井の昭和史だ。精励と強い精神力を表した人生讃歌でもある。
星野ひろみ
(大学院)文芸領域
若い頃から豊かな老後が人生の目標だった私は、カラオケや飲み会、ボーリングなどはお金と時間の浪費と考え、群れることを極力避けてきた。そんな自分自身を省みると、技術や能力はもちろん知識不足も甚だしい。学生時代の不勉強を後悔のままで終わらせたくなくて、資格取得等の学びに前のめりになる。猪突猛進型だが変わり身も早く、世間体は気にならないものの怖がり、ものぐさではあっても改善好きな私はおひとりさまへの決心が早かった分、遺言書作成や墓の購入等の老活も怠りない。理想の最期はやりたいことを全てやった上でのピンピンコロリだが、老人ホーム暮らしを選んでもそれが容易でないことを思い知らされる。
とはいえ独断専行で生きてきた分、今さらだが人に喜ばれることをしたいと思うようなり、「聞き書き」で市にボランティア登録をしてみた。ニーズがあるかわからないが、新たなやりがいや充足感を得られるかもしれない。
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