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さだかならぬもの

(大学院)写真・映像領域 齋藤 義典

写真・単色

1.制作について
 作品《さだかならぬもの》の主題はかつての生を思い起こすことにある。枯れた植物や抜け殻といった生命のその後を蒐集し、その残存物となった姿を捨象のかたちとしてモチーフにしている。環境から切り離した被写体を水面へ映し、水が揺れた刹那に現れるかたちが写真像へ定着された。水は実態を変化させながら生命の大部分を組成し、生命が絶命すると抜け出し地球へ還る。あちら側にあり、こちら側にもある。そしてその境界を繋ぐものでもある。ここにモチーフとして選んだ骸や枯木枯草は、かつて纏っていた水を地球へ戻した後の残存物である。その残存物がかつて有した生を想起するため、水とその揺らぎの作用を借りている。カラカラに乾いたものたちに一瞬潤いが戻った一時のことである。

2.ステートメント
 私が育ったまちの奥にはウサクマイというところがある。そこは、森と里の境界にあたる場所で、川の流れがこちらと向こうを分断している。厳冬の朝、両岸から伸びたそれぞれの枯れ枝を、立ち昇る川霧が結んでいるのをみた。ウサクマイの奥にはカルデラに水を蓄えた深く冷たい湖がある。早朝の湖面は鏡の如くどこまでも静かだ。静寂を破る波紋は内と外の境を曖昧にし、水の中の命の存在を空中に伝える。水はいつも境界を生み、水はいつも境界をつなぐ。
 森を歩き、川を登ると、時に川岸に白いものが見つかる。春のゆきしろに流され、散り散りになった数片の骨だ。太陽と風がさらに多くを奪い去る。海岸を歩くと、奇妙な形の流木や生の痕跡が足を留めさせる。川を流れくだり、大海に洗われ、やがて波に押し上げられた。風に吹き溜まりさらに多くが取り除かれる。
 あのカルデラで見た水鏡と揺らぎは、すでに命なきももののかつての生へ思いを馳せる橋渡しになるのではないだろうか。やがて散り散りになってしまうカラカラな姿を水へ映してみる。するとその揺らぎに、境界を行き来するかのようで、ウサクマイの川霧があちらとこちらを繋ぐような作用をもたらしている。カルデラの水鏡を割る生の鼓動のようでもある。どうやら自分は枯れたものに興味がある。水や、風や、太陽に洗われた興味深いカタチがみせる生の痕跡に。

3.謝辞
 伊藤俊治先生、写真史をはじめ作家自身の地域との関係性を再認識させていただき、本論と本制作のコンセプトの底上げにつながりました。菅実花先生、特に論の組み立てを学び、私の拙い文章への根気強い校正とご助言によって、ここに修士論文としてまとめることが叶いました。お二人からの並々ならぬご教示とご助言をいただいたことは、私の人生の中で貴重な体験となりました。感謝申し上げます。大学院の期末ごとにご助言いただいた鈴木理作氏には、作品の方向性を見直す機会を与えていただきました。学士修得へ向け担当くださった上村先生、江本先生からは初めの写真論収筆へお付き合いいただきました。また、新たな写真の一面を教えてくれた学友や、学びと仕事の両方を支えてくれた家族へ、ここに感謝申し上げます。皆様本当にありがとうございました。

木Ishikari-130

齋藤 義典

(大学院)写真・映像領域

CONTACT

 本学芸術学部芸術学コースにて学士を取得後、大学院にて写真と被写体の排他性から生まれる一抽象の成立を明らかにすべく研究を進めた。「写真表現における抽象 捨象と選択の一考察」を脱稿し、作品「さだかならぬもの」を修士制作としてまとめる。
 1969年北海道生まれ。藤倉孝幸氏師事を経て、齋藤写真事務所設立。広告写真家協会に所属する傍ら、個人作品を制作発表している。地域や土地、生命感あるランドスケープをモチーフに着色化した作品は、2009年ハッセルブラッドマスターズファイナリストへ選出される。2014年フィラデルフィアで行われたオンワード写真祭参加以降、海外での作品発表に力を入れ、念願であった写真作品集出版が2021年パリで実現した。同書はパリフォト・ファーストフォトブックアワードでショートリストとして選出される。作品取り扱いは、アントワープのIBASHOギャラリー。

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