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コーヒーの麻袋(ドンゴロス)とともに

―表現者を魅了する粗削りな素材感―

(大学院)工芸デザイン分野 工藤 豊子

【素材との出会い、そして50年の軌跡】
 本稿は、筆者が長年にわたり取り組んできたコーヒー麻袋(通称:ドンゴロス)を用いた作品制作の経験に基づき、その素材としての特質と、それが表現に与える影響を多角的に検証・言語化することを目的とする。
筆者の制作活動は約50年余りに及ぶ。その初期から中期にかけては、鉛筆、クレヨン、不透明水彩、油絵具、透明水彩といった、いわゆる「王道」の画材と向き合ってきた。しかし、今から約35年前、ある運命的な出会いを境に、筆者の支持体は一貫して「ドンゴロス」へと定着することになる。
平面作品におけるキャンバスの代替から、素材の柔軟性を活かした立体オブジェに至るまで、筆者はこの粗野で力強い布地と対話し続けてきた。本研究の出発点は、この長い年月を経てなお枯渇することのない「なぜ私は、この素材にこれほどまでに惹かれ、描き続けているのか」という根源的な問いにある。

【ジュート(黄麻)の起源と物質的背景】
 ドンゴロスの主原料であるジュート(黄麻)の理解を深めるため、まずはその歴史と現状を整理したい。
ジュートの起源は中国南部とも言われるが、産業として花開いたのはインドのベンガル地方である。1854年に近代工業が本格化する遥か以前から、現地では手紡ぎ・手織りによる生産が日常的に行われていた。
ジュートは高温多湿な気候と湿潤な土壌を好む。インドやバングラデシュが主な産地となっているのは、その生態的条件に合致するためだ。特筆すべきは、種まきからわずか約100日で収穫に至るという驚異的な成長速度である。収穫後、茎を水に浸して発酵させる「水浸醗酵」を経て繊維を抽出するプロセスには、豊かな水資源が不可欠となる。このように、ドンゴロスという素材の背景には、特定の風土と水、そして人々の手仕事という物語が刻まれているのである。

【サザコーヒーとの出会いとインタビュー調査】
 筆者とドンゴロスの出会いは、今から35年前に遡る。茨城県の名門「サザコーヒー」の店先で、「1袋50円」という値札と共に置かれていたコーヒー麻袋。そこに印字された異国の文字や素朴なデザインに、直感的な魅力を感じて購入したことが全ての始まりであった。
本研究にあたり、筆者は改めてサザコーヒーへのインタビュー調査を実施した。同社は単なるコーヒー販売店に留まらず、地元の文化向上を掲げ、カフェにギャラリーを併設するなど、作家支援に極めて積極的な姿勢を持っている。
会長の鈴木誉志男氏はインドネシアの織物やパナマのモラを、代表取締役の鈴木太郎氏はアフリカの仮面を収集しており、その審美眼はコーヒーの産地文化そのものへ向けられている。
この調査を通じて、筆者が手にしてきた麻袋が、単なる「輸送用の袋」ではなく、産地の誇りや文化を運ぶ「メディア(媒体)」であったことを再確認した。サザコーヒーが毎年開催するチャリティー展覧会などの活動を含め、彼らの文化への敬意が、筆者の制作の背中を押し続けてくれたと言っても過言ではない。

【14種類のドンゴロス:実験と分析】
 制作を続ける中で、筆者はある事実に突き当たった。それは「同じドンゴロスであっても、一つとして同じものはない」ということだ。筆者は現在、主に14種類のドンゴロスを作品に使い分けている。これらを科学的・感覚的に分析するため、以下のプロセスを試みた。
物理的構造の比較: 糸の太さ、織り目の密度、10センチあたりの経糸・緯糸の本数を計測。
浸透実験: 木工用ボンドによる硬化速度、ジェッソ(下地材)の食いつき、アクリル絵具の吸い込みと発色の差異。
触覚的検証: 手に持った際の重量感、裁断時の抵抗、折り曲げた際の反発力。
これらの実験結果を一覧化したことで、原産国(ブラジル、エチオピア、ベトナム等)や製造年による個性が浮き彫りとなった。例えば、ある国の袋は油分が多く絵具を弾くが、ある国の袋は非常に吸い込みが良く、深い色彩を表現するのに適している。こうした「素材の機嫌」を知ることが、表現の精度を高める不可欠な工程となったのである。

【『No Border』に込めた思想】
 素材への深い理解を経て結実したのが、タイトル『No Border』という作品である。
この作品において、ドンゴロスは単なる土台ではない。異なる産地、異なる風合いを持つ布地を繋ぎ合わせる行為は、国籍、性別、年齢といった境界を越え、全ての人々が等しく無限の可能性を秘めているというメッセージを内包している。
画面には、筆者の固有アイコンである「幸せのふたば」を配した。2000年に2,000本のふたばを発表して以来描き続けているこのモチーフは、芽吹いたばかりの未確定な未来を象徴している。粗野で歴史を感じさせるドンゴロスと、瑞々しいふたばのコントラスト。それは、積み重ねられた過去の上に、常に新しい命が宿るという普遍的な理(ことわり)の表現である。

【他作家との比較研究:素材解釈の多様性】
 筆者一人の視点に陥らぬよう、同じくジュートやドンゴロスを素材とする先達・同時代の作家を研究した。
前川強(具体美術協会)
 日本の戦後前衛芸術の重鎮である前川氏は、「具体」の精神を継承しドンゴロスを「描く対象」ではなく「造形そのもの」として扱った。布を引き裂き、襞を寄せ、画面に定着させるその手法は、平面を立体へと変容させる革命的な試みであった。
川口都子(現代美術家)
 川口氏は、ジュートの「織り目」がもたらす感覚的な面白さや、元からある印字デザインを積極的に作品に取り入れる。消費される「商品」としてのジュートと、表現としての「アート」を軽やかに越境する姿勢は、現代的な素材解釈と言える。
ユ・チュンモク(ガラスアーティスト)
 韓国の作家ユ氏は、ジュートを「過去」の象徴として置く。その上にガラスによる「水滴」を表現することで、過去から現在、そして未来への時間の流れを可視化する。素材を時間軸のメタファーとして用いる視点は、筆者にも大きな示唆を与えた。

【終わりのないチャレンジ】
 本研究を通じて得られた最大の知見は、筆者の素材選択が単なる偶然の積み重ねではなく、自身の内面と素材の物質的特性が共鳴する「居心地の良い着地地点」を探求し続けた結果であるということだ。
「なぜこの素材なのか」という問いへの答えは、ドンゴロスという素材が持つ「未解明なポテンシャルの高さ」にある。35年経った今もなお、新しい麻袋を手にするたびに「これをどう攻略し、どう共生するか」という挑戦心が湧き上がる。
筆者にとってドンゴロスは、制作におけるパートナーであり、世界と繋がるための窓である。本稿が、天然素材を用いる全ての表現者にとって、素材と自己との対話を深める一助となれば幸いである。筆者の探求は、これからもこの荒い織り目と共に続いていく。

タイトル「ドンゴロスに恋をした」 サイズ 1456x1030

タイトル「No border」 サイズ 350x1980x150

タイトル「ここにある」 サイズ 1400x650x500

工藤 豊子

(大学院)工芸デザイン分野

CONTACT

ファッションデザイナーとして2つのブランドを設立・運営する傍ら、35年にわたりコーヒーの麻袋「ドンゴロス」を主素材に創作を続けてきました。 パネルへの地塗りや立体構成など、その表現手法は多岐にわたりますが、一貫してこの素材が持つ質感に拘泥してきました。長年の対話を通じて見出したドンゴロスの多様な表情と、そこに宿る新たな可能性を感じていただければ幸いです。
茨城県芸術祭美術展覧会会員、日立市展招待

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