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戦争の手ざわり

(大学院)写真・映像領域 高嶋 敏展

領域奨励賞

デジタル/インクジェットプリント

じっと松の幹を見つめる。傷痕を触ってみる。ざらつく指先に太平洋戦争が終わってからの時間と戦争の手ざわりが伝わってくる。
太平洋戦争末期、日本軍は枯渇する航空燃料を補うために松の油を代替え燃料にしようと国民に大量の油の採らせた。
松の幹にノコギリで目を入れ、金属ベラを打ち込み、しみ出してくる松ヤニを空き缶に集める。昭和20年の6月、7月の最盛期であれば1日に90万人の子供達がこの作業に従事し、終戦までに20万キロリットルという膨大な油が集められた。
太平洋戦争にまつわる軍や政府の強引でめちゃくちゃな話は枚挙にいとまがない。
昭和19年の7月ごろ、ドイツにいた海軍の小島秀雄少将から「ドイツ軍の戦闘機が、フランスの海岸部で採取された松の木からとった油で飛んでいる」という間違った情報に狂喜乱舞し、ろくに調査も研究もしないまま愚かにも突き進むんだ。
作業をした子どもたちは大人たちに騙されていた。
膨大な松の油は結局、なんの役にたたなかったからだ。
松の油から燃料を生成する技術は未熟で作られた燃料は悪質で実用に耐えるようなものではなかった。
しかも、燃料を生成する予定だった山口県徳山市の海軍第三燃料廠は空襲によってとっくに破壊されていた。
テスト飛行で2例の機体が実験中に墜落したとの証言もある。
夏の日差しの中で子どもたちは松の幹にへばりつきながら、飛行機の燃料になると騙されて、何にも使えない松の油をこそげ取っていた。
チャップリンの「人生は近づけば悲劇だが遠ざかれば喜劇だ」という言葉が頭をよぎる。騙された子どもたちは戦後、どのように生きてきたのだろう。
かつて松の傷痕は日常の中に無数に残されていた。それが開発や松枯れよって消えていき、今では限られた場所にしか存在していない。
戦争遺跡が文化財として指定され保護されることは稀だ。まして松の傷痕は植物ゆえに文化財はおろか保護の対象にもされていない。
戦争の傷痕はほとんど誰にも顧みられないまま、消えるにまかされている。手を伸ばせば指先に触れる戦争の痕跡を残したい。

島根県出雲市 日御碕海岸

島根県出雲市 八通山

島根県出雲市 浜山公園

島根県 浜田市 浜田城本丸跡

島根県松江市 末次公園

高嶋 敏展

(大学院)写真・映像領域

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島根県出雲市出身、在住
太平洋戦争の戦場ではなく一般人が巻き込まれていった戦争、銃後の戦争をテーマに作品を制作しています。

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