秋学期の企画のこと

9月 01日, 2011年
カテゴリー : プロデューサー目線 

上半期の後半は、センター企画としては、8月14日に上演された「マラルメ・プロジェクト2――『イジチュール』の夜」に全力投球した感じである。難解を以てなるマラルメの『イジチュール』を、舞台で朗読し、坂本龍一氏の音楽と高谷史郎氏の映像が絡み、更に、白井剛・寺田みさこ両氏のダンスが、その空間と戯れるというのであるから、まさにトータルな舞台パフォーマンスと言ってよく、ネットやブログなどから推し量れる評判は上々のようであった。この分だと、来年も、同じメンバーで、『エロディアード――舞台』と『半獣神の午後』を柱に、「マラルメ・プロジェクト3」を作る可能性は、大いに高まったと言える。
そこで、下半期のセンター企画であるが、当初予定されていたジャン=クロード・ドレフュスという、往年の女装ショーのスターが、後に、クローデルの『交換』やウェデキントの『ルル』という作品の、極めて難しい役をこなし、独自の演劇的世界を手に入れていたのが、『火曜日はスーパーで』で、一種の先祖返り的に、性転換した男性と、彼の性生活を狂わせた張本人らしき父親との会話だけで成り立つ「独り芝居」に挑戦したのだったが、体調が優れず、ドクター・ストップがかかってしまっては仕方がない。その代わりとして招くのが、若手の「女装独り芝居」とでも言ったらよいような『アディシャッツ/アデュー』である。
仕掛けとしては、「物真似芸人」を志しているゲイの若い役者が、自分の欲望の対象でもあり、それ以上に、そのようなものとして男に愛されたいという「エロス的イコン」を核とした「女性同一化のファンタスム」の展開である。しかしこの作品の「味噌」ともいうべきは、そうした性的幻想を歴然と踏まえた「女性像」が、世界的なポップス歌手マドンナやレディー・ガガであることで、彼女らのヒット・ナンバーを次々と「アカペラで[伴奏ナシで]」メドレーしつつ、彼自身のエロス的ファンタスムを舞台空間にちりばめていく。
まだ少年のような面影を残す前半部から、後半部は、「お定まりの」と呼んでもよい「女装ショー」に変わるわけで、「性差の揺らぎ」を、役作りのレベルで顕在化させるのである。
男女の自然的性差しか認めようとしない十九世紀型ブルジョワ社会は、フランスでも消え去ったわけではないから――社会党のパリ市長が、カム・アウトしたゲイであるというような表象は、日本ではそもそも受け入れら得ないだろうし、PACという配偶者法は、ゲイのカップルにも適用されているわけだから、日本とは事情は大いに異なる。しかしそれでも、ゲイに対する偏見や憎悪は、隠然として社会の深層に生き続けていて、傷害事件も絶えることはないようだから、この『アディシャッツ/アデュー』のような舞台の挑発性が減少しているわけではない。
前学期から始めた公開レクチャーシリーズ「劇場の記憶―舞台芸術の半世紀―」も、秋学期に続ける予定である。
1回目(通算で言えば4回目、11月8日)は渡邊の担当で、『創作能の地平』と題して、近年の新作能・新作狂言ブームについて、渡邊自身の経験から、そう安易に作れるものではないことを、1970年代の「冥の会」の経験(観世寿夫主演のセネカ作『メーデーア』)、1987年の「パルコ能ジャンクション――『葵上』」における故榮夫氏と、現萬斎君の作業を振り返りつつ、2001年に作った創作能『内濠十二景、あるいは《二重の影》』の2004年パリ公演版(榮夫、晋矢、萬斎)ならびに『薔薇の名――長谷寺の牡丹』を、榮夫氏追善の形で、春秋座において上演した映像を見る。大学院博士課程の在籍者でもあり、「木ノ下歌舞伎」の主催者でもある木ノ下裕一君に、聞き手に回ってもらう。
2回目(12月13日)は、「語り」という「言葉の姿」は、日本の伝統芸能の独占物ではないし、ギリシア悲劇には、外で生起したことの「報告」という形での「語り」は不可欠であった。それを受け継いだ17世紀フランス古典悲劇は、ギリシア悲劇とは異なる形で、「韻文悲劇」の言語態の一つとして、「語り」を劇作術の中に取り込んで行った。その典型として、ラシーヌ悲劇の内でも、「語り」の部分が「ラシーヌ詩句」の見事さに支えられて肥大した作品があり、その最も成功した例は、『フェードル』である。二度もパリで、日本語でフェードルを演じた、他に類例の無い経歴の後藤加代を招いて、『フェードル』の「さわり」の部分を、渡邊と共に読む。
3回目(1月17日)は、一年間の総括として、「演出家の世紀」とも呼ばれた二十世紀のその後半で、単に「言葉の演劇」だけではなく、「オペラ」と「ダンス」の領域で、最も目覚しい変化が体験された。大学院長である浅田彰先生にお越しいただいて、森山教授の司会で、渡邊と対談をしていただく。いずれの回も春秋座における「公開レクチャー」であり、18時開始である。
[入場無料だが、予約制]

渡邊守章
(舞台芸術研究センター プロデューサー・演出家)