追悼 五十嵐喜芳先生

10月 01日, 2011年
カテゴリー : プロデューサー目線 

9月23日、オペラ界の巨匠 五十嵐喜芳先生が亡くなりました。享年83歳。前日まで授業をされ、愛車のジャガーで帰宅。久しぶりに奥様とお嬢様の3人でお寿司屋さんに行き食事をされたそうです。ご機嫌で自室に入り就寝。ところが、翌朝なかなか起きて来られないので、奥様が見に行ったところすでに亡くなっていたそうです。

12時間前まで授業をされ、ご家族で幸せな時間を過ごされた後、そのまま旅立たれた五十嵐先生は最期まで格好いい方でした。淋しいし、悲しいけれど、颯爽とした散り方は改めて五十嵐先生らしいなあと思いました。お通夜に臨まれた、奥様もお嬢様も誇らしく気丈に振舞われていらっしゃいました。

先生には50年間何かとご縁があり、大変お世話になりました。

大学の卒業公演で、モーツァルトの「イドメネオ」を演出した際、資金がなく「五十嵐喜芳 愛を歌う」というコンサートをやっていただき60万円を捻出したのが始まりでした。

その後、宝塚のプリマドンナ加茂さくらさんとのジョイントコンサート、野際陽子さんにナレーションをお願いしたカンツオーネのコンサート、日劇の「都はるみショー」へのゲスト出演など、先生は嫌な顔ひとつせず協力してくださいました。ことに「都はるみショー」では演歌「惚れちゃったんだよ」を朗々と歌い、最後に「ラストワルツ」をはるみさんとデュエットしてくれたのです。

先生はクラシック界の方でありながら、ジャンルへの偏見が全くない人でした。私が中野サンプラザのロックミュージカル「ハムレット」を制作した時、オフィーリア役をお嬢さんの麻利江さんにお願いしたのですが、この時も先生は二つ返事でOKしてくれました。その後、麻利江さんは音楽学校の先生に破門されたそうですが、五十嵐さんは何一つ私に言いませんでした。

春秋座がオープンして3年、契約終了とともに私は一度東京に戻りました。大学時代の友人に声をかけられ、ある大学でアートマネジメントを教えるためです。大学の下見に行って分かったのですが、何とその大学の学長は五十嵐先生でした。私は京都にいる間、先生は新国立劇場の芸術監督だけをおやりになっていると思い込んでいました。ご縁の不思議さに驚きました。先生とご一緒した4年間は本当に可愛がっていただきました。飲めない私を不甲斐なく思いながらも、食事を兼ね何度も誘ってくれたのです。先生の飲み方は豪快にもかかわらず、いつも品格のある酔い方でした。

私は、定年でその大学を退職した後、京都に再び呼び戻していただき、今の仕事をお引き受けしたのですが、最初に企画した作品は先生の80歳を祝う「五十嵐喜芳親娘コンサート」でした。先生は仕事というより、昔教鞭をとっていた地にお礼をしたいといってノーギャラで出演してくれました。私は「お言葉に甘えますが、もし利益が出た場合は大学と折半しましょう」と言いました。コンサートはアットホームな雰囲気で最高でした。そして公演費を精算した結果、お互いに2万円ずつ分け合ったのです。先生と麻利江さんに1万円ずつお支払いしたことになります。先生は「大変楽しかった。ありがとう」と電話を入れてくださいました。先生はそういう方だったのです。

9月27日は、密葬で近親者のみというお通夜にもかかわらず、弔問に見えた人は数100人、亡くなる12時間前に授業を受けた女子学生が号泣している姿が印象的でした。

太陽のようにおおらかだった五十嵐先生、どうぞ安らかにお眠りください。

橘市郎
(舞台芸術研究センター プロデューサー)