文芸表現学科

教員がいま語りたい、いくつかのこと ── 静かな夢 ──【第四回・中村純先生】

こんにちは、文芸表現学科です!

 

 

文芸表現学科の先生方に執筆していただく、「先生ブログ」。

第四回は、編集者であり、詩人の中村純先生です。執筆と編集の両方に携わり、社会に向けて発信されています。

 

 

さまざまな角度で言葉を扱う中村先生の、真摯な姿勢と、それを形作る過去の貴重な体験について、丁寧に語っていただきました。

 

 

(以下、中村先生による執筆)

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この大学では、主に編集者として授業を担当しています、中村純です。エディター・ライターを志す学生、詩や小説などのフィクション、取材調査や聴き語りによるノンフィクション作品を書きたい学生と向き合っています。

読む、聴く、考える、書く、編集するという活動を通して「生きる」という真摯な試みに懸命に取り組んでいる若い人たちとともに、ゼミでは文芸総合誌『アンデパンダン 文芸×社会』の企画編集や、ラジオ番組の制作をしています。企画から取材執筆、進行管理、印刷所とのやり取りやデザインまで、すべて学生たちが主体となり行っています。

 

 

私が学生たちと一緒に考えているのは、文芸によって自己の言葉と内面に向き合うこと、そのことを社会、他者にどのように架橋するのかということです。自分を掘り下げていった泉が、他者の水脈とつながることがあります。他者、社会に気づいた先に、孤独な壁打ちではない表現があり、ペンの力によって耕していく社会があります。

 

こうした活動をする背景には、私自身に他者との出会いやかけがえのない経験があります。出版社で編集者として向き合ってきた多くの書き手や、私自身詩を書く者として出会ってきた詩友や先人たちとの関わりのなかで、実感してきたことがあるのです。

書くという試みや出版するという行為によって、私たちは、自己と社会に対しての無数の問いを発し、実現したい「夢や理想」を発しています。実現されれば、それは「夢や理想」ではなく、私たちの生きる「社会」や願っていた「関係性」になるのです。私たちは先人たちの作品を「読む」という行為を通じて、その時代にあった困難や願い、闘いや尊厳を知る――つまり人間と社会を知ることができます。その水脈は私たちの中にも脈々と引き継がれて流れているのですが、それは先人たちが書き残して出版してくださったからなのですね。

 

私の言葉の原点は詩です。詩は認識で、言葉による尊厳の表象、意識の水脈のようなものだと考えています。私はこの大学では、詩は1年生のワークショップの5回の授業で担当しているのみですが、詩雑誌『詩と思想』(土曜美術社出版販売)の編集委員として企画編集や執筆をしています。全国の大学で詩の授業を担当する詩人たちが編集委員をする『インカレポエトリー』(七月堂)で、若い人たちの詩の選考や刊行に助力しています。

 

 

私たちは、形式や構造を先人の作品から読み取り、それらを認識して自分の参考にすることはできます。しかし、何のために書くのか、なぜ書くのか、何を書くのかという問いは、書き手自身の中にしかありません。私は、泉の在り処を一緒に探したり、湧き出た泉を掌で受け取りどんな感じがしたかをお伝えしたり、より広い場所、光の在る場所で、作品を多くの人に読んでいただくお手伝いはできます。また、先人や同時代の方たちの詩を、独自の切り口で編集して同時代に発信し後世に遺す、ということも編集者の大切な仕事です。

出版社で働いてきた者として、賞や評価は商業的な宣伝としても、これから書いていく人への励ましとして大切なものですが、評価や権威だけに頼ったときに、文学は光を喪ってしまうような実感があります。

私には文学は敗者のものだという文学観があります。壊された人間が再び立ち上がるときの尊厳の光、喪われた人を限りなく愛しく思う人のなかにある物語、語れなかった人の魂を感じ取り記録すること。私はそれらを光、詩、文学だと考えています。トニモリスン、アリスウォーカー、石牟礼道子、森崎和江。いずれもリスペクトする詩人、作家です。

 

「詩なんて、ノートに書きつけておくものよ」

20年以上も前、福岡県宗像市の玄海灘の近くの海辺を一緒に歩いたとき、詩人・作家の森崎和江さんは、そう微笑みました。

地底で働く炭鉱労働者や、海を渡って売られた女たち――からゆきさん――の話を聴くこと、植民者の娘として朝鮮半島に生まれた贖罪、それらを背負って生活者として思想を深めて書くことが、森崎和江さんの表現者としての源泉でした。権威や評価には無関心な方で(笑)、誠実で真摯で、深い人間性をもった方です。

表現者との交歓は、心の深淵のほとり、あるいは深い森に立って、水底に目を凝らしたり、森で風の音に耳を傾けているような静かな時間です。震災で喪われた愛しいものが夕凪にぽっかりと浮かんできたり、深い森に注いだ朝の光にふいに舞ってくる言葉を掌で捉えたり。

2014年だったでしょうか、日韓の詩人のシンポジウムのために韓国に招聘されました。広島原爆の在韓被爆者に向き合い、『長詩リトルボーイ』を書いた高炯烈(コ・ヒョンリョル)さんは、会場に向かう車の中で言いました。

「韓国は痛みを背負ってきた国だ。詩人の魂がそれを記録する。詩人はろうそくの灯のようなもの。静かに広がっていく。自分の夢は誰かの夢とつながっている。いつか私たちの夢に辿りつく。諦めてはいけないよ」

 

 

「私たちの夢」は、語らずとも同じでした。国境を超え、時空を超え、深い意識を共有する魂の交感。それが私たちにとっての詩性、ポエジーでした。それは殺戮とは対極にある、他者のいのち、芸術へのリスペクトと平和です。この夢は、戦時中京都に留学していて、治安維持法により獄中で亡くなった詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)とも共有できる夢だと感じるのです。

今は、コロナ禍で韓国との行き来ができなくなりました。

海を超えられなくとも、ろうそくは静かに灯り続けています。

 

 

 

 

 

(文芸表現学科 教員・中村純/構成:学生ブログライター1年・中島明日香)

 

 

 

 

 

 

 

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