- 2022年6月27日
- イベント
ほんとうの価値は「描く時間」に宿る 神谷徹さんの、つくり続けるプロセス【文芸表現 学科学生によるレポート】
違うジャンルを学んでいても、芸術大学でものづくりを楽しむ気持ちは同じ。このシリーズでは、美術工芸学科の取り組みの現場へ文芸表現学科の学生たちが潜入し、その魅力や「つくることのおもしろさ」に触れていきます。
文芸表現学科3年生の下平さゆりです。
連日更新される、美術工芸学科教員展「逸脱する声」にまつわるブログ記事。どの先生の特集を読んでいても、作品はもちろん、作家のみなさんの「声」にはものすごいエネルギーが込められていて、表現をすることや生き方に対しての真摯さが伝わってきます。
現在、展覧会は第2期が開催中ですが、今回は、展覧会の第1期出展作家のおひとりでもある、神谷徹さんの「声」をお届けします。
(なお、美工教員展にまつわる一連のレポートでは、一人ずつの教員のみなさんの「つくる人」としての姿をおもに捉えたいので、あえて「〇〇さん」と伝えさせてもらっています)
教員展についてはこちらから
https://www.kyoto-art.ac.jp/production/?p=147939
見ているだけで、「いいな」と溶けあうような
神谷先生の作品は、色の鮮やかさ、グラデーションがコットンラグや大理石といったものを通して豊かに感じられます。
波のようにも岩肌の裂け目のようにも見える大理石の質感も、重ねられた色と色の境目も、溶けあうみたいに、作品を見ている側の人の心にまでも、すっとなじむ。ただ見ているだけで、「いいな」としみじみ感じられるのです。
「線を1本引くことで、世の中を分断してしまう、というような。だから、線を使わないようにしよう、と。」
「絵の具どうしが溶けあってグラデーションができて、見ているほうの眼の焦点が合わなくなって、境界がわからなくなるのが、気持ちいい」
グラデーションで表現をすることについて、そうお話してくださった神谷先生。
間違えてしまったことも、受けいれていく
今回伝えてくださったことばからは、「受けいれる」ということについて深く考えるきっかけになりました。
受けいれるというのは、自分のことだけではなく、大きな時間の流れそのものもまるごと引き受けて、溶けあうことを指すのかもしれません。
絵の中には、時間も場所も超えて見られるものがある
神谷先生は、約3万2000年前の洞窟壁画にまつわるドキュメンタリーを観たときや、読んだ本から受けとった考えについて、お話してくださいました。
“壁画の時代から、何万年も残っている絵があります。絵は、残る。壁画には、3万2000年という時間も流れているし、その絵につけられたクマのツメによるひっかき傷ができるまでには、5000年間もの時間の隔たりがあったそうです。そんなものを一瞬に目のあたりにできる。それだけ時間も場所も超えて見られるものが絵の中にあるから、それはすごくいいなと思います”
「自分がいなくなったあとにも残るもの」
“大きな時間の流れを考えたとき、死から逃れられないという絶望と一緒に、死んじゃうのも大したことないというか、生きてるんだから死ぬよな、と。人間が生きている有限の時間とは反対に、自分が携わっていられるアートワークなどの「時間がない」業界、ずっと残っていくような分野では、一個人の死を乗り越えて、つくったものが大事にされるというのをブライアン・イーノの日記を読んで思って。あきらめがついたといいますか”
自分のしたことを、誰かに手渡す。
それは壁画のように、知らないいつかどこかの誰かに届き、やがて自分がいなくなったあとも残るものとして。そういうふうに、絵を描き続けていく、生き続けていくということを考えたとき、本当に価値があるのはできあがった作品自体よりも、つくる過程も含めて自分が過ごした時間そのものなのだと思います。
つくった時間も、つくったものも残すことができるという点では、ことばにも同じことが言えそうです。文章を書いては消してを繰り返すなかで、書けない時間にも、書き続けることをやめずにいたい。
自分が良いと思えるものを、最短距離でつくろうとするのは難しいかもしれませんが、それでも、失敗や苦労を重ねた時間が、いつかどこかで自分がつくるものに活きるように。
「描けない時間」も、つくり続けることの一部分
“理由や文脈なんてなくても、つい描いてしまうものを、うまく「つじつま」を合わせて絵と言ってもいい状態にすることを、よしとする。そうなったのは、ぼくにとって、絵が描けない期間が長かったからかもしれません。
絵そのものは、ずっと好きです。デッサンをするのも、きらいじゃない。でも、描いたものに満足できない。自分自身で「いい」と思えるものではない。そんな「スランプ」みたいな状況が、えんえんとあったんですね”
なにを描くか、どんなメッセージをこめたか、という絵そのものの中身よりも、その絵を自分がみているというその「受け止め、受け入れている」瞬間にこそ、意味がある。
神谷先生の作品をみると、いつもそう語りかけてくれているように感じるのです。
それは、神谷先生が絵が描けない期間も、それでもやめられずに続いていることも、大学で絵に憑りつかれてしまった人同士として学生とものをつくっていくことも、すべてが溶けあって、そうして「描き続けている」いまの場所にたどりついているから、滲むものなのだと思います。
▼ 神谷徹先生(画家)
https://www.kyoto-art.ac.jp/info/teacher/detail.php?memberId=00016
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