- 2022年8月15日
- 日常風景
2022年8月「クロスの熊本県天草市プロジェクト通信」No.9(8月13日分)
天草滞在中に19歳になった学生がいて、自分は19歳の夏に何していたかなぁと思い出したら、頭の中にちょうどその夏に聞いていた安室奈美恵さんの『SWEET 19 BLUES』が流れてきました(音楽の力!)
大学生の頃に流行った歌を聴きながら天草で心の中は19歳に戻っていた「今の頭のまま19歳に戻ってやり直したい」クロステックデザインコースの教員・吉田です。
(相当扱いづらい大学生になることは間違いありません。)
という話を学生にしていたら、『クロステックデザイン概論』で話した高校時代の話を持ち出され、「先生は高校時代から扱いづらかったはずです」と19歳の学生に嗜められる45歳です。
そのエピソードというのは、当時は模試の判定(A判定とかD判定とか)で、受験する大学を3者面談で言われた時代の話。
「なんで、志望校と出題傾向も違う、全国の学生が一緒に受ける模試の判定で合否の可能性を判定されなきゃいけないんだ!」と思っていた当時16歳高校1年生の吉田少年は、ある秘策を思いつきます。
それは、「参考にしようがない状況を作れば良い」ということ。
というわけで、高校3年間、志望校を「女子大」を書き続けて、面談のたびに先生に、「どうしたら女子大に行けると思いますか?」と質問し続ける純粋な吉田少年の物語でした。
さて(前回の記事)の続き。
8月6日から滞在していた天草では、3つのプロジェクトを同時進行で行ってきました。
それもひと段落ついたことにして(全然していないんだけど)。
期間中に、追加で相談されて増えたもう一件のプロジェクト?も兼ねて、天草の「御所浦」に移動しました。
(以下、『御所浦.net』から引用)
熊本県唯一の離島の町である御所浦町は、ゆりかごの海とも表現される穏やかな内海、不知火海にあります。
御所浦という地名は、景行天皇の巡幸時に行宮が置かれたという伝説にちなむといわれています。
御所浦町は御所浦島、牧島、横浦島の3つの有人島を含む大小18の島々からなり、有人島の総面積は約20平方キロメートル、人口は2750人ほどです。(平成27年国勢調査)
御所浦は古くから漁業の町で、現在も多くの島民が漁業を生業として生計を立てています。
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というぐらいのことはあって、
島から見える海の景色はとても心を穏やかにしてくれます。
時間の流れもゆったりとしていて情報が多すぎる時代に、人間のペースを取り戻してくれるような島(ゆりかごの島は人間にも)です。
だから、私や一度この島を訪れた学生は、本当に「御所浦」のことが大好きになります。
(「赤潮で、本当に今は魚が死んでしまうけん、美味しい魚食べさせようと思ったから大変だったとです」という心遣いに感謝です)
さて、そんな「御所浦」には、遊びに行ったわけではなく。
一つは、現在進行中の一つのプロジェクトの現地リサーチに。
「御所浦」の最高峰、烏峠展望台からの風景。
御所浦は、地理的には、熊本県天草市、上天草市、水俣市に加えて、鹿児島県にも隣接している地理的環境にあります。
そのため、標高442mの烏峠からの360度の眺望は、御所浦の18の島々はもちろん、天草諸島や水俣、長崎の雲仙や鹿児島を見ることができます。
今回、休みにもかかわらず、学生たちと私を御所浦案内してくださった、天草市役所の鶴岡さん(真ん中でリュックを背負われています)。
(この鶴岡さんに加えて、塩先さん、池田さんが、最初の連携のきっかけを作ってくださり、そこから現在の渡邊さん、福本さんへとバトンを繋いでいただいています。共感して一緒に動いてくださる皆さんに本当に感謝です!)
Google Mapで見る情報と、こうして自分の目で見て得る情報では、情報量がやはり違ってきます。
当日は、相変わらずの炎天下で汗だくだったのですが、鶴岡さんがこのリュックから、「山頂でコーヒーでも飲みましょう」とコーヒーを出してくださり、
「おっ!ありがたい!」と思った瞬間、「いや、ホットコーヒーの可能性もあるな」と思って口にした瞬間、
キンキンに冷えたアイスコーヒー!(さすが、鶴岡さんと奥様!)
美味しくて、お代わりしちゃいました。
御所浦では、景行天皇ゆかりの場所を巡ったり(「御所浦」と言う地名の由来)、恐竜の化石やアンモナイトなどを巡ったりしたのですが、島のあちこちに見られる「隆起」の跡を見て回りました。
地域のことを考えるとき、野村朋弘先生のお言葉を借りると、「歴史を縦軸に、地図を横軸に」動くと、まさに一つひとつ繋がっていきます。
さて、そんな御所浦は、現在毎年80人ペースで人口が減少しています。
わかりやすく言えば、出生数+転入数<死亡数+転出数という状況。これは日本のあちこちの地方都市で規模の大小はあれど起こっている現状です。
これは、全国の高校の講演でいつも私が使う資料です。
2008年をピークに、日本の人口は減少期を迎え、昨年2021年は、前年と比較して、64万4千人減少しています。
日本で一番人口が少ない鳥取県の現在の人口は、54万8,500人。
つまり、昨年一年間で、日本は鳥取県以上の人口が減少したことになります。
それは、わかりやすく言えば、鳥取県全域の住宅も、学校も、お店も、病院も、車も生活用品も全て必要なくなったのと同じこと(鳥取を例に出してしまいましたが、鳥取県の皆さん気を悪くなされないでください)
こうしたことが毎年日本のあちこちで続いていきます。
「少子化・高齢化」って、簡単に言われますが、そこから何が私たちの身のまわりで起こっていくかを考えてみることが重要です。
御所浦に話を戻すと。
私が大学1年生だった(冒頭の話の伏線回収がここで!)平成7年(1995年)の国勢調査では、
御所浦の人口は、4,398人。
それが、平成27年(2015年)の国勢調査では、2,735人。
20年間で、1,663名減少(38%減)と、なんと4割も減少しています。
学生たちには、「自分の目で見た『一次情報』も大切だけど、一次情報だけだと課題の構造が見えづらい。だから、こうした統計情報である『基礎情報』にきちんと当たり、その比較から見えてくるものを考えなさい」と口を酸っぱくして指導しています。
毎年80名ペースで減少がこれからも続くと、
10年後には、御所浦は住民が2,000人を切ってしまう島になります。
その時の島の産業は?学校は?生活インフラは?
とそこに住んでいると仮定すると、様々なことを考えなければいけません。
鶴岡さんの人脈で、土曜日にもかかわらず(消防や救急には土日祝もお盆休みもないですもんね。こうした職業に携わる皆さんに感謝感謝です!)、「救急艇」を特別に拝見させていただくことに。
御所浦は、熊本県唯一の離島の町であるため、風邪や軽い怪我や軽い既往症に対応する診療所はあっても、
脳や心臓という緊急処置を要する治療を行える病院がありません。
しかし、高齢者が増えると、脳や心臓の急患が発生する事案は当然のことながら確率として増えてきます。
そうした時に、必要になってくるのが、この「救急艇」。
救急の電話を受けると、まずは救急車で現場を訪れ、そこから港に搬送し、そこからこの救急艇で、天草の倉岳町や本渡市に搬送するそうです。
最近、別のプロジェクトで京都市の消防署を訪れて、詳しく話を聞いた後だったので、それが島に置き換わった時の大変さは想像を絶するものに。
この「救急艇」での出動は、昨年で年200件あったそうです(約2日に一回の頻度!)
御所浦の消防署では、5名×2班体制(2交代制)で人員配置されているそうで、
そのメンバーで、消防、救急、海難に対応しています。
人口が減少すると、こうした生活に当たり前にあるインフラを維持することも簡単ではないのがお分かりになると思います。
都会に住んでいると、時々学生や社会人でも、
「そんな不便な町に好きで住んでいるからでしょ。コンパクトシティーって言ってんだから、駅前の便利なところに住めばいいのに」と軽々しく言う人を結構見ます。
そうした人は、今自分が口にしている、肉や魚、野菜や果物が、そうした人口減少と向き合いながら生活している一次産業従事者の皆さんに支えられていることへの想像力が欠如していると思っています。
前回の記事でも書いた「赤潮の問題」も、漁業関係者の問題だけではないんですね。
そういう私も、天草をフィールドにしていなかったら、
一次情報が足りず、想像力が欠如した(都市部の価値観だけで考える)企画者になっていたかもしれません。
そうした意味でも、今回のブログでも何度も書いていますが「感謝」の気持ちって大切だなと感じています。
今回、同行した5名の学生に一番言っていたことは実はそれかもしれません。
「自分達がここにいることの一つ一つを、当たり前だと思わず、その機会を時間を割いてくださっている人への感謝の気持ちを忘れないこと」
を何度も何度も伝えていました。
大学で学ぶ技術や知識はもちろん重要です。
一方で、こうした一人の人間としての感謝の気持ちは技術や知識以上に大切だと考えています。
それは、「自分さえ良ければいい」ではない、「他者のことを想像できる」想像力にもつながっていくと考えています。
天草最終日の夜(8月13日)。
御所浦のこどもたちと一緒に花火をしよう!とお誘いいただき、花火をしました。
花火を楽しむこどもたちと学生、そして自分の3人のこどもの未来を重ね合わせながら、その様子をずっと見ていました。
「10年後、20年後、30年後。この子たちが僕の年齢になった時、この国やこの島はどんな状況なんだろう?
こどもたちは、毎日を笑顔で生き生きと過ごせているのだろうか?それとも……?
自分は、本当にこどもをこの国に生んでよかったのだろうか?
『生んで良かった』と30年後にも親も子も言えるように、今からできることってなんだろう?」
と、花火を見ながら、本当に色々なことを想い、最後の夜を過ごしました。
ここに参加した学生たち一人一人が、そうした未来を自分達の頭で考え、たくさんのトライをして創っていってほしいなと願っています。