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捨てる手さばき

-布を断つ-

(大学院)工芸デザイン分野 山田 美恵 (Yoshie Yamada)

 本研究は、私自身が布を用いた染色作品を制作してきた経験をもとに、限りあるものを「捨てつつ生む」ことを考察した。布は脆弱な素材である一方で、汎用性が高く、即座に様子や形状を変え得る性質を備えている。そのため、布を扱う制作には常に廃棄の気配が内包されており、作品をつくる行為そのものが「捨てる」と不可分である。この前提に立ち、「使う」「想う」「断つ」「捨てる」を一連の過程として捉え、使用者でもある制作者が持つ主観的かつ客観的な視点を踏まえながら、日用品が作品へと転化する可能性を導き出すことを目的とした。

 《さよならふきん I, II》は、ふきんの抜け殻を表した作品である。使い潰されていくふきんは、「九相図」に描かれた美女の変容を思わせる。新品の時は清潔な白色をたたえて肌理(きめ)も整い、「生」の気配を漂わせている。しかし、台所での日々の労働にさらされるうちに繊維はすり減り、ほつれ、最後には網のように透けていく。それでもアクリル糸だけはその過程からまぬがれて、本体が朽ちてからもなお残る。役目を果たし切って抜け殻になった時、そこにはぽっかりと空白が生まれる。空白と言っても、単なる欠落や喪失ではない。使い続けてきたものがひっそりと退くことによって、ようやく空いたよどみのない澄んだスペースだ。それは、暮らしの中に生まれた余裕とも捉えられる。ふと息をつける場所が、思いがけず現れたようなものである。捨てる行為も、ものに終焉を授けると同時に、生活に新たな空白をつくり出す。このように「自」と「他」をいったん切り離して生まれた小さな隙間は、ものに主体性を認めつつ、より能動的に心地よく暮らす人の営みに現れた、密やかでありながら紛れのない安らぎである。

 《ふきんの他力道》は、もとは鮮やかな山吹色だった。玉ねぎの皮から抽出した染料は、ミョウバンで媒染すると黄色に発色する。本来なら台所で即座に生ゴミとして捨てられるはずの玉ねぎの皮から抽出された染料で、いったん鮮やかな山吹色に染め上げられたふきんには、かつて私自身の手形が板締め絞りによってくっきりと染め抜かれていた。手形と発色の良さから、玉ねぎの皮の素材としての用途と存在理由が明確で、具体的で、かつメッセージめいた象徴的すぎるほどの制作者の痕跡が見て取れた。一方、ふきんとして3ヶ月間使用すると、黄味は抜けて茶色味だけが残った。使い続けるうち、ふきんの具体性と象徴性は薄れていく。山吹色は消え去り、残るのは薄汚い茶色だけだ。使い古されたふきんには、うっすらと、しかし、明らかに抜染された使用者(=制作者)の手形が残っている。これはもはや何を主張したかったのか判然とせず、ただ輪郭だけが幽霊のように浮いている。古びた手形は意味を失ってしまったのに、なぜか存在だけは居座り続ける。そこには、制作者の意図をはみ出して、どこか他力めいた佇まいが漂う。これを拡大解釈すると、「素材の力によって残された手の痕跡」、あるいは、「終わりなき手仕事」と捉えられる。《ふきんの他力道》は、その状態そのものを作品として提示した。

《さよならふきん I》25 cm×1 cm×4本 ふきんの縁 2025年

《さよならふきん II》25 cm×25 cm×6枚 玉ねぎの皮から抽出した染料で染めた綿ふきん 2025年

《ふきんの他力道》25 cm×25 cm 綿ふきん・玉ねぎの皮 2025年

山田 美恵 Yoshie Yamada

(大学院)工芸デザイン分野

CONTACT

アメリカの美術大学でナイジェリアのヨルバ族に由来する染色技法を学ぶ。帰国後は作品制作およびワークショップを中心に活動。本研究では、自身の布との関わりを手がかりに「捨てつつ生む」をゴールに制作に取り組んだ。

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