本日の京都芸術劇場は…

9月 04日, 2011年
カテゴリー : KPACへようこそ, 過去の公演 

春秋座にて

G. プッチーニ 作曲
歌劇「ラ・ボエーム」全4幕(原語上演・字幕付)

がございます。

開演は14時、開場は13時30分です。
上演時間は、途中1回の休憩を挟みまして、2時間20分を予定しております。
開演後は演出の都合上、指定のお席へのご案内が出来ませんので、
お時間に余裕を持っておでかけくださいませ。

当日券もご用意しております。
劇場でお待ちしております。

舞台芸術研究センター

本日の京都芸術劇場は…

9月 03日, 2011年
カテゴリー : KPACへようこそ, 過去の公演 

春秋座にて

G. プッチーニ 作曲
歌劇「ラ・ボエーム」全4幕(原語上演・字幕付)

がございます。

開演は17時、開場は16時30分です。
上演時間は、途中1回の休憩を挟みまして、2時間20分を予定しております。
開演後は演出の都合上、指定のお席へのご案内が出来ませんので、
お時間に余裕を持っておでかけくださいませ。

当日券もご用意しております。
劇場でお待ちしております。

舞台芸術研究センター

いよいよ…

9月 03日, 2011年
カテゴリー : 過去の公演 

皆様こんにちは。上田でございます。
ここ数日、台風の情報ばかり気にしてしまっています…((´д`;))
事故がないように祈るばかりです。

今日は歌劇『ラ・ボエーム』の公演を更にお楽しみ頂ける様、春秋座のオーケストラピットとオーケストラの様子をご紹介いたします。
※上田はオケピを観るのは初めてで、テンションが上りました♪

二階席から見たオーケストラピット。(※組み立て中)

舞台上から。

いよいよピアノをオーケストラピットへ降ろす作業に…
一体どの様に降ろすのか!? (*´▽`*)ワクワク

厳重に梱包されたピアノが花道を通過し、客席からオケピ前へ到着。

待っていたのは天井から降ろされたバトン。(※バトン:舞台吊物機構設備のひとつで、背景や大道具などを仮設するための吊物バトンの略称。)
ピアノが吊るされ…

ピアノが浮いた!!!∑(゜□゜;)

立った!ピアノが立った~!!(ハ○ジ風に)
ピアノをどうやってオケピに下ろすのか不思議でしたが、このように作業していたのですね~。
貴重な体験をさせて頂きました。

さて、オケピ作りと同じ日。ソリスト、コーラスの皆さんとオーケストラの合わせ稽古を行いました。
そちらの様子もご紹介いたします(^o^)

全員が揃うと圧巻です…!

張り詰めた空気に緊張…。

昼過ぎから夜の9時まで稽古が続き、皆様少々お疲れのご様子…。
しかし、帰られる際に、「景色がいい場所で稽古が出来てよかった」と素敵な笑顔で労いのお言葉を頂きました。こちらが凄く励まされました。

いよいよ『ラ・ボエーム』公演当日を迎えました!!
少しでも裏側を見て頂いて、公演を更に楽しんでいただけると幸いでございます。
皆様のお越しを心よりお待ちしております。

上田

あらたな日本文化探求の冒険へ!

9月 02日, 2011年
カテゴリー : 過去の公演 

皆様コンニチハ!制作助手ツチヤです。
最近東京で「第9回 亀治郎の会」の売り子を手伝ってまいりました。そのときにお会いした方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。千秋楽には公演パンフレットも完売という大盛況でしたね。来年はいよいよ「第10回」ということで最後の「亀治郎の会」…第1回からお手伝いさせていただいた身としては少し切なく、しかし、亀治郎さんが公言どおり続けられてきたということに、はて自分にもそのように公言して続けていることはあるだろうか、見習いたい!と気が引き締まる今日この頃です。

さて、学生の時分、私に歌舞伎の魅力を教えてくださいました恩師・田口章子先生。
皆様ご存知の田口先生の人気講座・日本芸能史は今年で10年目を迎えられ、毎回ご好評いただいております!
そしてそして、10月2日に行われますのが、田口先生を中心に2009年に発足されました“京都のくるわと芸能研究会”の第二回目となるシンポジウム『日本文化と〈性〉』
さて、今回のシンポジウムがどのようなものか、私の拙い文章で少しご紹介させていただきます。

私たちのこれまでふれてきた学問は歴史的事実や誰かの研究によって見出されてきたものによって成り立っています。当たり前のことですが、皆さんは今まで教えられ、そうなのだと信じてきたことを疑ったことはありますか?実はそこに新しい事実が見えてくることもあるのです。
そして、それが田口先生の目指す研究のカタチなのです。

『日本文化と〈性〉』

日本文化と〈性〉というと、これまでの研究は〈セックス〉論と〈ジェンダー〉論としてしか展開されてきませんでした。

本当にそれだけで日本文化をとらえることができるのか?
触れられないものに触れずして研究と言えるのか?
従来の研究者が触れてこなかった部分にも迫らなくては真実を確かめることが出来ない!

そうして今回お集まりいただく「芸能・芸道」「渡来人」「絵画」「宗教・信仰」の4つのキーワードの研究をされている皆さん。この4名の研究者は熱い研究心をお持ちの新進気鋭のパネリストたちです。
その皆さんの持つ鍵で知られざる真の日本文化の秘密を解く糸口を見出すことができるかもしれないですし、驚くようなものが飛び出てくるかもしれません。しかし、鍵穴が全く合わないかもしれません。

田口先生が大学で出会った学生でこんな学生がいたそうです。
授業のなかで間違った江戸時代理解を先生が正したとき、「間違ったままでいいじゃないか」とその学生は言ったのです。それは本当に学ぶ者の姿勢でしょうか。研究者によって真実の探求がなされ、新しい事実が明らかになる。「生きた学問」と田口先生が言うように現代と向き合わなければ学問の存在価値はありません。
そのことを知ってほしい、いまの若者に欠けてしまった探究心をもってほしい…

そんな思いも込められた田口先生のこのシンポジウムは、何に出会うか分からない未踏の地へも踏み出すインディアナ・ジョーンズのように危険と隣合わせの冒険なのです!
是非、たくさんの冒険者のみなさんのご参加を期待しています。
劇場でお会いしましょう!

次回は研究者の皆様をご紹介してまいります。
お楽しみに~

ツチヤ

秋学期の企画のこと

9月 01日, 2011年
カテゴリー : プロデューサー目線 

上半期の後半は、センター企画としては、8月14日に上演された「マラルメ・プロジェクト2――『イジチュール』の夜」に全力投球した感じである。難解を以てなるマラルメの『イジチュール』を、舞台で朗読し、坂本龍一氏の音楽と高谷史郎氏の映像が絡み、更に、白井剛・寺田みさこ両氏のダンスが、その空間と戯れるというのであるから、まさにトータルな舞台パフォーマンスと言ってよく、ネットやブログなどから推し量れる評判は上々のようであった。この分だと、来年も、同じメンバーで、『エロディアード――舞台』と『半獣神の午後』を柱に、「マラルメ・プロジェクト3」を作る可能性は、大いに高まったと言える。
そこで、下半期のセンター企画であるが、当初予定されていたジャン=クロード・ドレフュスという、往年の女装ショーのスターが、後に、クローデルの『交換』やウェデキントの『ルル』という作品の、極めて難しい役をこなし、独自の演劇的世界を手に入れていたのが、『火曜日はスーパーで』で、一種の先祖返り的に、性転換した男性と、彼の性生活を狂わせた張本人らしき父親との会話だけで成り立つ「独り芝居」に挑戦したのだったが、体調が優れず、ドクター・ストップがかかってしまっては仕方がない。その代わりとして招くのが、若手の「女装独り芝居」とでも言ったらよいような『アディシャッツ/アデュー』である。
仕掛けとしては、「物真似芸人」を志しているゲイの若い役者が、自分の欲望の対象でもあり、それ以上に、そのようなものとして男に愛されたいという「エロス的イコン」を核とした「女性同一化のファンタスム」の展開である。しかしこの作品の「味噌」ともいうべきは、そうした性的幻想を歴然と踏まえた「女性像」が、世界的なポップス歌手マドンナやレディー・ガガであることで、彼女らのヒット・ナンバーを次々と「アカペラで[伴奏ナシで]」メドレーしつつ、彼自身のエロス的ファンタスムを舞台空間にちりばめていく。
まだ少年のような面影を残す前半部から、後半部は、「お定まりの」と呼んでもよい「女装ショー」に変わるわけで、「性差の揺らぎ」を、役作りのレベルで顕在化させるのである。
男女の自然的性差しか認めようとしない十九世紀型ブルジョワ社会は、フランスでも消え去ったわけではないから――社会党のパリ市長が、カム・アウトしたゲイであるというような表象は、日本ではそもそも受け入れら得ないだろうし、PACという配偶者法は、ゲイのカップルにも適用されているわけだから、日本とは事情は大いに異なる。しかしそれでも、ゲイに対する偏見や憎悪は、隠然として社会の深層に生き続けていて、傷害事件も絶えることはないようだから、この『アディシャッツ/アデュー』のような舞台の挑発性が減少しているわけではない。
前学期から始めた公開レクチャーシリーズ「劇場の記憶―舞台芸術の半世紀―」も、秋学期に続ける予定である。
1回目(通算で言えば4回目、11月8日)は渡邊の担当で、『創作能の地平』と題して、近年の新作能・新作狂言ブームについて、渡邊自身の経験から、そう安易に作れるものではないことを、1970年代の「冥の会」の経験(観世寿夫主演のセネカ作『メーデーア』)、1987年の「パルコ能ジャンクション――『葵上』」における故榮夫氏と、現萬斎君の作業を振り返りつつ、2001年に作った創作能『内濠十二景、あるいは《二重の影》』の2004年パリ公演版(榮夫、晋矢、萬斎)ならびに『薔薇の名――長谷寺の牡丹』を、榮夫氏追善の形で、春秋座において上演した映像を見る。大学院博士課程の在籍者でもあり、「木ノ下歌舞伎」の主催者でもある木ノ下裕一君に、聞き手に回ってもらう。
2回目(12月13日)は、「語り」という「言葉の姿」は、日本の伝統芸能の独占物ではないし、ギリシア悲劇には、外で生起したことの「報告」という形での「語り」は不可欠であった。それを受け継いだ17世紀フランス古典悲劇は、ギリシア悲劇とは異なる形で、「韻文悲劇」の言語態の一つとして、「語り」を劇作術の中に取り込んで行った。その典型として、ラシーヌ悲劇の内でも、「語り」の部分が「ラシーヌ詩句」の見事さに支えられて肥大した作品があり、その最も成功した例は、『フェードル』である。二度もパリで、日本語でフェードルを演じた、他に類例の無い経歴の後藤加代を招いて、『フェードル』の「さわり」の部分を、渡邊と共に読む。
3回目(1月17日)は、一年間の総括として、「演出家の世紀」とも呼ばれた二十世紀のその後半で、単に「言葉の演劇」だけではなく、「オペラ」と「ダンス」の領域で、最も目覚しい変化が体験された。大学院長である浅田彰先生にお越しいただいて、森山教授の司会で、渡邊と対談をしていただく。いずれの回も春秋座における「公開レクチャー」であり、18時開始である。
[入場無料だが、予約制]

渡邊守章
(舞台芸術研究センター プロデューサー・演出家)

« 前ページへ