クロステックデザインコース

2022年8月「クロスの熊本県天草市プロジェクト通信」No.4(8月8日分)

「先生の夢はなんですか?」

と学生に尋ねられ、即答で、

「鈴木神社みたいに、吉田神社として敬われ銅像になることです」と答えるクロステックデザインコース教員の吉田です。

 

冒頭から「この人何を言っているんだろう?」と思われたかもしれませんが、天草に来ています。

前回の記事の続き。)

小学生とワークショップを実施したのはお伝えしましたが、そこで出てきた天草のスポットに、「鈴木神社」というのがあったんですね。

「鈴木神社?めずらしい神社の名前」と思って、そこを学生と訪ねたんです。

(こうやって、興味を持ったらすぐに行ってみよう!というのが学生に染み込めばいいなぁと)

ここは、みなさんもご存知の「島原・天草一揆」があった天草。

その一揆後の天草の復興に力を注いだ初代代官鈴木重成公、兄の鈴木正三和尚、息子の二代目代官鈴木重辰公を祀る神社が、鈴木神社なんです。

冷静に考えるとすごくないですか?

代官って、歴史的に見ると、幕府から任命され派遣されその町にやってきます(あえてざっくり書きます 笑)。

幕府の意向に沿う立場であることから、住民にとっては上から押さえつけられたり、それを利用しようと癒着の対象になりがち。

ところが、鈴木重成公は、「島原・天草一揆(の乱)」の起った「原因」を考察し、それは一揆の中心となった「農民」への厳しい重税だったと考え、そこを見直さないと同じことが繰り返されると考えました。

それを感情ではなく、詳細な「検地」を行って、当時の石高が高すぎることを事実をもとに明らかにして、老中松平信綱(今で言うと、財務大臣や財務省と言っても良いのかな)に、「石高を半分にすること」を願い出るんですね。

しかし、「島原・天草一揆」後のため、それを簡単に認めることは幕府にも威信があり、簡単には承諾されず。

そこで、鈴木重成公はその事実を記載した建白書を残して、切腹。

命を賭して、農民のために命を捨てた代官だったのです。

 

江戸時代は、家長が切腹した場合、お家断絶になるのが通例。

しかし、幕府は、天草は鈴木家でなければもはや治めることができない(それぐらい農民に信頼されていた)と考えて、養子の重辰を二代目代官に任じました。

二代目の重辰公も、石高半減の訴えを繰り返し行い続けて、重成公の七回忌についに石高半減が認められました。

そこから、重成公の遺髪が納められた遺髪塚から、「鈴木神社」として天草では信仰の対象に。

鈴木神社だけではなく、天草だけで、30ヶ所以上に「分祠」され(そのぐらい天草各地で敬われたということ)、「鈴木さま」として信仰されています。

そんな「鈴木さま」ならぬ、「吉田さま」と全国の子どもたちや学生が思ってくれるような「人徳」のある人間になりたい!

と言うのが、「冒頭」の話。(冒頭のネタをどこまで引っ張る!)

というのも、ちょっとだけ真面目な話で、

小学生や保護者の方や、天草市民の方に、

「鈴木神社って、めずらしいですよね?どうして、3人の人物を神格化?」と尋ねても、みんな「鈴木三公を祀って」という話はできても、上のような由来(というか「物語(ストーリー)」はあまり知らない。(昨日、色々な資料館を学生と回って、みんなで調べました)

 

例えば、冒頭でリンクを貼った、天草観光協会の「鈴木神社」のページも実に「さらっ」と。

(これは、批判ではなく、全国各地で起こっている現象。「要所(要点)をまとめる」とこうならざるを得ません。

 

地域の課題や未来を考えるとき、私たちはつい「現在」と「ちょっと先の未来(もしくは、すごく遠い未来)」を考えてしまいがちです。

しかし、その地域には、これまでも「人」が生きてきました。

その土地の風土から、その土地の生活が形作られ、人の営みから文化がつくられます。

「人」が生きてきたということは、そこにはさまざまな「感情(喜怒哀楽)」が溢れ、そこには多くの「物語」があります。

 

そうしたことに丁寧に光を当てると、全国の各地域には、それぞれ「違い」があり、そこが「資源」になることも多いと考えています。

 

今回、明日からご一緒する先生の一人、「野村朋弘」先生は、京都芸術大学の通信教育課程 芸術教養学科の先生です。

専門は、「日本史研究」です。

 

私は、野村先生と話をすると、いつも刺激をもらっているので大好きな先生です。

学ぶことは「視点」を獲得することだというのは、専門の異なる先生との対話からいつも感じます。

 

その野村先生から教えていただいた言葉で、

「歴史学とは、歴史を縦軸に、地図を横軸にして考えるんです」

は、ここ最近で、「あぁ!」と感銘を受けて、それ以降、クロステックデザインコースの私が担当するすべての授業で、何十回学生に伝えたか(笑)

「歴史を縦軸にする」というのは、300年、500年、1,000年のスパンで歴史を紐解くと、その大きな俯瞰した視点で「現在」や「未来」を考えることができるということ。

「地図を横軸」にするというのは、その土地を実際に自分の足で歩いて、自分の眼で観察することで、その風土の中から、人が何を感じ、考えたかが見えてくるということ。

 

それはとても大切なことで、今回の天草に連れてきている学生たちにも伝えているので、それを「実際の体験の中で」彼らが感じ取ってくれたら良いなと考えています。

 

話を戻すと、地域の資源に光を当てるとき、「事実」だけでは人が動かないことが多いんですね。

その事実に加えて、「物語(ストーリー)」を創ったり、元々あった「物語」に光を当てることが大切になります。

(それは、「プレゼンテーション」でも同じ)

そうしたことを、学生たちと考え、それをどうやって組み立てて、伝えていくかを模索し続けていきます。

 

天草を走り回っているので、お腹が空いてきて、ちょっと遅めの14時00分からの昼食。

有明町をリサーチしているときに「ここよさそう!」と見つけた「よりみち」さん。

 

有明名物の「たこ」をもちろんいただこうということで、「名物たこ天丼」をいただきました。

(学生を約10日も連れていくと、財布が悲鳴を上げています。今回も出発前に妻に、「今回はいくら使うの?(笑)」と言われました。カード情報で「あいつ、ここで食べたな。この金額は、明らかに一人じゃないなとバレバレで)

たこ天丼を食べながら、店主の方と天草の海の現状について話をしました。

 

「もう体感だけど、この10年で本当に海が変わったよね」という話から、たくさんの質問をして、学生たちと「地域の生活者の視点で感じること」をたくさん頂戴しました。

 

ちなみに、昨日「8月8日」は、天草では8本足から「たこの日」として、たこを供養する行事が行われており、

それを出された直後に伺い、「今日食べてよかったのか……」と全員箸が止まる。

そんな感じで、学生たちと3日目の天草も飛び回って、たくさんことに出会い、たくさんんことを考えています。

 

こうした学びを、いつかこれを読んでくださっている皆さんともできたら良いですね。

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