- 2018年4月27日
- 日常風景
【油画】卒業生インタビュー ♯01
#01 西垣 肇也樹 NISHIGAKI Hayaki
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2012年
京都造形芸術大学大学院 修士課程
芸術研究科 芸術表現専攻 洋画領域 修了
2014年~2017年
京都銭湯芸術祭 企画運営
2017年
「市展、京展 80年記念展」須田賞
「渋谷芸術祭 SHIBUYA ART FESTIVAL 2017」大賞、Shibuya for SNBA賞
他、展示・受賞歴多数
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西垣 肇也樹:N
蒲原 早奈美(聞き手):K
Ⓚ なぜ文字の作品を?
Ⓝ 2013年かな、瀬戸内芸術祭のプロジェクトに参加してて。バイクで行ったんよ。ほんなら、瀬戸芸1回目は島本来の感じがまだ残っていて、アートが入っているんやけど、そんなにまだ島自体がこう、若い人もあんまり住んでいなかったし、豊島美術館とかもまだなかったんよ。それが3年たつと変なもので、島にお客さんがくるから、バス停やご飯屋さんがいっぱいできていたり。標識とかもできてて。そんなん島に住んでる人はわかってるから今までなかったんやけど。とにかくそういう文字情報に溢れてた。アートの島になることによっていろんないいこと、島全体が明るくなって、過疎地域に人が入ってきて、いいこともあんねんけど、かたや豊島美術館の周辺の段々畑に畑の人が、自分の敷地内に倉庫を立てたんよ。それが景観悪くなるからってなんとかしてくださいって言われたりとか。豊島は産業廃棄物の問題があって、島以外から何かが来るっていうことに慎重な感じなっていて。こういうのが始まって潤沢になるけど、瀬戸芸に対してシビアに見ていて。そういうところから見ると、こうやって人がたくさんくるのって、産業廃棄物がたくさんきていた時代と、どう変わっているのだろうとか考えるようになって。そういう思いとかを作品に込めれないかなって。ウィルスが増殖するみたいな。島になかったものが増えていってるっていうのも素直に表した。バイクで色々回ってキャンプして、寝泊まりしながら描いてたかな。
Ⓚ そういうのってそこの地域の人と喋ったりしてリサーチしたり?
Ⓝ そう。島民の集まりとかに参加してさっき話したこととかも聞いたり、資料館にいったりとか。処理場とか、そういうのも船で見にいって。なんかこう、勝手に1人で島民と話してたわけじゃなくて、そういうツアーに参加して、みんなで考えるみたいな。これまでは、大学やからおっきい作品かけたし、作る場所もあったり、展示もできたけど、卒業するとそれらがなかなか難しくなる。展示する場所をまず決めなければいけない。島で展示するなら島の話を聞かなければいけない。ただ展示して終わりじゃなくて、ちゃんとリサーチして関わるっていうのに移行したんかな。その時はわからなかったけど、油絵の具でやってた表現は、しっくりこない感じがあって、そういう豊島で生まれた作品は違う考え方というか。作品を展示する場所に合わせて作るみたいな。設定し始めたかな。
Ⓚ それからは?
Ⓝ 次は京都銭湯芸術祭かな。風呂がもともとなかったから銭湯よく行ってたし、学部時代から。銭湯で展示したらどうなるかなって純粋に思ったりとか敷いている時もあって。
―(パンフレットに掲載)
Ⓚ 話変わって、このスタジオハイデンバンについて。
Ⓝ 京都銭湯銭湯芸術祭もスタジオハイデンバンも繋がってて、京都でしかできないっていうのをやりたいっていうのが第1にあって。東京でも京都でもどこでも展示できるっていうのは、一体自分が京都にいる意味はなんなんやろうって問いから発信しているところがある。なんか、社会から隔離された環境で制作するっていう美学が、自分の中であって、とにかく1人で黙々とやっているのがかっこいい、みたいな。それやってみたけど、現代に合わないところがあって。そしたら大庭さんから、1人やってても、生涯やって行くんだったらあまり意味がないよって喝入れてもらって。周りにいろんなことしている人がいるんだったら、それを巻き込んで行かないと、って。その中で誰か売れて来たりしたら、他の人にも光が当たるかもしれないし、仕事とかもシェアしたりもできるかもしれないし。そういうことを考えておかないといけないって。自分が、1人でやることができないってわかってきたし、環境をリセットしたほうがいいと思って。とにかく、みんなでスタジオ構えるってことを考えた。京芸はそういう人たちいたけど、京造には、スタジオを一から構えてる人いなかったから、初めての試みとしてやってみようかってなって。大庭さんにも相談して、スタジオの絶対条件とかも考えていった。作るときに、まず絵で生活できるように、っていう意識を持つことを (つまり趣味としてやらないってこと)共通意識として持つことを条件にして。最初にオープンスタジオをしたときに、コレクターとか美術関係者とのつながりのある場所にして行くことを目標にした。1回目はターゲットを学生中心にしてギャラリーとかにも告知して。 2回目は淀スタジオとコラボして、アートフェア形式にした。ターゲット絞ってアートを買ってくれる人を呼ぼうって感じにした。片付けて、ホワイトキューブにしてやった。あと、ディレクションを間に入れてやった。27くらいの同世代の人にやってもらって、お金のこともやってもらったり、システムづくりもしてもらった。京都のスタジオで、販売っていうことをしているのは、ここ以外聞いたことなくて、その状況はいかんってなって。名和さんとかに聞いたら、美術関係者、結構京都来てるのに、どこに行ったらいいかわからんってなってるらしくてける、SANDWICHにしか行かないと。京都こんな感じかってなるらしくて。卒業した人たちがピックアップされる場所は少ない。自分たちが自分たちの方法でやるっていうところがないから、作って行ったほうがいいんじゃないかって考えた。ハイデンバンは若いスタジオやから、どんどん繋がりを作って行かなきゃいけないし、京都の中心の場所になっていってほしいって気持ちもあるから、みんなが作品を持って来て展示して買うこともできる、ディスカッションもできる場所になるようにと思って。そういう場所が必要だと思って、メンバーでときには喧嘩して、作って行った。3年で、ARTIST FAIR KYOTOに呼ばれる人も出て来ているし、少しずつ結果は出て来ていると思う。京都の一つのポテンシャルを持つスタジオになりつつあると思う。
Ⓚ あと、最近ゴジラの作品になった経緯とか聞きたいです。何でゴジラ何ですか?
Ⓝ 1番最初に描いたのは、ここのオープンスタジオの時。文字の作品も並行してたから、鉛筆でゴジラ描いたのが最初かな。絵をやめようって思ってたことがあって。京都銭湯芸術祭やりながら、そっちの方向(企画など)もありやなって。絵を描くだけじゃなくてもクリエイティブにできるし、別に絵を描くことだけが全てじゃないってずっと思ってて、常に思うけど、最終兵器で、ゴジラは最後に描こうと思ってた。
Ⓚ いつから思ってた?
Ⓝ 学部の時から。友達にもその時ゴジラ描いたらええやんって言われてて。それは別に描いたら終わりって意味じゃなくて、好きなものをさ、描くのって怖くない?例えばさ、目覚まし時計にさゴジラ入れてしまうと、嫌いになりそうやん。そういうもので、向き合うと見えてくる嫌なものって絶対あって、極力避けたかった。
Ⓚ ゴジラ好きなんですね(笑)
Ⓝ ゴジラ愛がすごくて、それはやりたくなかったけど、大学院の時に1つ見つけた巨大な油彩っていうのが、どこかで具象のアンチテーゼで描いてたところがあるから、最後にこう、出しきれないってのがあって、じゃあ、根元的に続けられるものとか、ほんとはよく知っているものじゃないと戦えないし、継続できないと思ったときに、やっぱりゴジラっていうのが1つあると思って。最初鉛筆やったけどアウトプットが弱いと、違う表現方法を模索しなければとなって、ゴジラを素直に出したほうがいいんじゃないかって、中途半端に書くならちゃんと向き合って描いたほうがいいってなって。まず、和紙を使う、保存のきくように墨で描く、いわゆるゴジラってわかるように描くって決めて。
Ⓚ 筆で描いている?
Ⓝ そう。どちらかというと古い人間だから、パソコンも使わないしシルクスクリーンもしないし、絵を描くことが好きやったから、自分の手だけで描くっていうのが、素直に自分の描きたいものと対話している感覚があるから。学部までカラーで、顔リリーズの時モノクロになって、大学院でまたカラーで、文字のシリーズからまたモノクロになって、交互になって来てて。
Ⓚ 今度フランスで展示があるって。
Ⓝ この前終わったで。ルーブル美術館の地下にあるギャラリーで展示した。海外に出す機会が増えつつあって、一昨年もニューヨークに行ってんねん。1枚作品送るってのは何かしら出て来てるから。そういうのもある。
Ⓚ 今後、まだわかんないとは思うんですけど、やりたいこととかありますか?
Ⓝ ローバーミニって車好きで、高校の時から買おうと思ってて。でも生産終了してて、修理するのもめっちゃかかるねん(笑)今まで絵を描くモチベーションってのは、あれの修理代に当てるっていうのもあったのよ。それができないくらい壊れて来てて、手放すことになって。もっと絵が売れて、また車を買うってのがモチベーションになってる。車なくても絵描けるんちゃうかなって思うけど、絵を描くことってもっと正義のように思ってたのよ。描くことこそが正しいと思ってたけど最近、柔軟に考えられるようになって来て、昔のように、シンプルに描く理由みたいなものが出て来たほうがいいのかなって思って来ている。
Ⓚ これ一応受験生向けのパンフレット用なんですけど、受験生へ何かありませんか。
Ⓝ 若えなあって。Youtuberよりも夢あるんじゃないすかって(笑)
いやー夢ないかなあ(笑)
Ⓚ 自信なくなってきてる(笑)高校生の時に思ってたこととか。今だからこそ、みたいな。
Ⓝ わからんけど、科学的に証明されて来ていることって多いけれど、月にも行っているし。その中でクリエイティブするってすごく難しいと思うのよ。情報に溢れかえってて、検索したらすぐ答えがわかってしまう、それを同じく言うのって意味の無いことってずっと思ってて。絵を描いたり、見に行ったりしてもまだわからないことが多くて。思考するってことは、どうとでも捉えられるってことだから、それだけは知ってほしいと言うか。影響だけではなくて、自分で考えることのが大切だし。絵が得意だけじゃできないのが美術だと思う。日本の教育上さ、上手に描ける人が褒められて、こっちの世界に行くってなっちゃうけどさ、もう少しこう、医者か画家になりたいんですってくらいの振り幅で考えるといいかなって思う。絶対医者になったほうが収入上かもしれんけど、幅広い見方で美術を見てほしい。もっと違う視点で美術をやってほしい。なんか苦労話とかよくあるやん。自転車操業的な話をいうと、芸人とかと遜色ないとか。でも目に見えて面白いんじゃなくて、生き方として面白いところがあるから、狩猟生活に戻った感じ。今から、マンモス狩ってくるわ的な。生々しいリアルな生き方やなって。そう言うのに興味ある人がおるかわからんけど(笑)
Ⓚ すごいマイナスな(笑)
Ⓝ いやでもこれ生きてるって意味で、すごい哲学的で面白いと思うで。マイナスに聞こえるけど、どこかに属して働くのではなく、自発的に行動しなきゃいけないから。外でて、狩に行くみたいな、そう言う意味で根元的な、本能的なものに近いから、そう言う意味で面白いよな。人類が作った社会システムを半分無視しているところでもあるし、社会の隙間みたいなところでやるから生きていることを実感するみたいな。わかりますか?20パーセントくらいか。
Ⓝ言ってて俺もわからんくなってきた(笑)今の高校生言っていいかな(笑)弥生時代以前の狩をしたい人たちは芸術家になろう、やな(笑)いい言葉やな、是非載せてよ是非!(笑)
Ⓚめっちゃ気にいってるじゃないですか(笑)
Ⓝ狩猟民族に戻りたい人はアーティストになろう、か。(笑)
…END
■卒業生インタビュー■