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齋藤先生が解説を担当。最相葉月氏の書籍『れるられる』が文庫本化!

2025年10月21日

出版・メディア情報


齋藤亜矢先生(文明哲学研究所 教授)が巻末の解説を担当いたしました
ノンフィクションライター最相葉月氏のご著書『れるられる』が、このたび
岩波書店より岩波現代文庫として新たに文庫本化されました。


『れるられる』は、「生む・生まれる」「愛する・愛される」など、七つの
動詞を切り口に、人生における受動と能動が転換する境目を綴った連作短篇集的な
エッセイです。


巻末のあとがきには齋藤先生が『解説「れる/られる」の境目に』を寄稿されています。


この機会に、ぜひご一読ください。

 

れるられる最相葉月

 

  • ・書籍名: 『れるられる』(岩波現代文庫)
    ・著者名: 最相 葉月
    ・出版社:岩波書店
    ・刊行日:2025年9月12日
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    【岩波書店の書籍紹介ページはこちら】


    https://www.iwanami.co.jp/book/b10144361.html

    「ヘーゲルと核戦争」第8回 土曜の放課後2

    第8回「ヘーゲルと核戦争」

    2025年10月10日

    お知らせ

    日程終了しました

    10月18日(土)14:00より文哲研の共催セミナー「土曜の放課後2」の第7回目が開催されます。「土曜の放課後2」は全12回の連続セミナーとなっており、過去の哲学者や思想家に現代的なトピックを掛け合わせた講演を行っております。よろしければお申し込みの上、ご参加くださいませ。

     

     

    第8回「ヘーゲルと核戦争」

     

    核兵器はなぜ廃棄できないのか。それは核保有国が、戦争を回避するためには核を持つことが必要だと考えているからです。大量殺戮を可能にする兵器が平和維持に不可欠だという理屈は、日常感覚からすると奇妙に聞こえるかもしれません。この理屈が成り立つ根拠は、核が基本的に「使えない兵器」であるという認識にあります。

     

    敵対する二人の人物が、確実に相手を殺せる拳銃を持っているとします。しかもその拳銃には、打たれたら自動的に報復する機能も付いています。すると、二人が合理的に(つまり自分の延命を目的として)判断する限り、どちらも拳銃を発射することはできません。これが抑止力です。けれどもよく考えてみると、抑止力とは「相手は絶対に攻撃しない」という確信によってではなく、「もしかしたら攻撃するかもしれない」という疑いによって担保されています。

     

     軍事力の均衡によって戦争を回避するという発想は、ナポレオン戦争終了後のウィーン会議(1814-1815)にもあります。ヘーゲルの『精神現象学』はその直前、1807年に刊行されました。その前年、執筆中のヘーゲルがいたイエナにナポレオン軍が侵攻しました。ヘーゲルはナポレオンのことを「馬上の絶対精神」と呼び、「歴史の終わり」について思考しました。「歴史の終わり」とは人類滅亡ということではなく、対立する〈力〉同士のぶつかり合いによる発展(弁証法)のプロセスが停止するということです。

     

    核兵器は「最終兵器」とも呼ばれます。最終兵器とは、人類を滅亡させる(かもしれない)兵器であると同時に、歴史を終わらせる兵器という意味でもあります。ヘーゲルはもちろん核兵器は知りません。けれども核戦略理論とはそもそも何なのか、それを哲学的な根底から理解するためには、ヘーゲルと共に思考することが今もなお必要だと思います。(吉岡 洋)

     

    (吉岡 洋、哲学とアートのための12の対話 2025「土曜の放課後2」公式ページより引用)

     

     

    日程2025年10月18日
    時間14:00 - 16:00
    受付開始:13:30
    場所京都市立芸術大学 C棟3階「講義室7」(C-316)
    費用講座参加費:1,000円/回(京都市立芸術大学、京都芸術大学の学生は参加費は無料です)、記録映像視聴:3,000円/10回(京都市立芸術大学、京都芸術大学の学生は無料です)
    主催土曜の放課後・実行委員会 (植田憲司、吉冨真知子、谷本研、二瓶晃、由良泰人、大西宏志、安藤泰彦、小杉美穂子)
    お問い合わせ公式ページ:https://yxy.kosugiando.art/
    URLhttps://yxy.kosugiando.art/

    暑さを耐えた道しるべ~瓜生山の恵み~

    2025年10月10日

    お知らせ

    10月に入り、朝晩に涼しい風が吹くようになり、ようやく秋の気配が深まってまいりましたが、少し振り返り残暑の厳しかった8月下旬〜9月初旬に見つけた瓜生山の恵みです。

     

    どんぐり

     

    キャンパス内の山沿いの道を歩いていたところ、足元に一足早い実りの標(しるべ)が落ちていました。まだ青々とした葉に包まれながら、立派なドングリが実をつけている枝です。

     

    おそらくコナラ(どんぐり)の仲間かと思われますが、この暑さの中で小さな殻斗(かくと)をかぶり、緑色の実をじっと固く守っている姿は、まるで幼稚園児が深くかぶった帽子のようでかわいらしいです。

     

    どんぐり

    これから季節が進めばこのドングリも色を濃くし、まもなく地面に落ちる時期を迎えます。それは森に暮らす様々な生き物たちの糧となり、瓜生山の秋の恵みになるでしょう。

     

    本学の瓜生山キャンパスは、豊かな自然に囲まれ、四季折々の変化を肌で感じることができます。このドングリの成長のように自然が育む生命の力強さを目の当たりにすると、立ち止まって深く考えるきっかけをもらえます。

     

    皆さまも自然の中を歩かれる際は、足元に目を凝らしてみてください。暦よりも一足早く季節の準備を進める生命の息吹に出会えるかもしれません。

    【うにくえ後半】「面白さ」は文明の原動力。AIにはない予測不可能性

    2025年10月1日

    出版・メディア情報

    前回の投稿の後編となるウェブメディア「うにくえ」。今回もコラムが掲載されましたのでお知らせいたします。

     

    前半に引き続き、美学の視点から考えたAI時代における人間の価値はどこにあるのかを考えていきます。そして、「面白いこと」の意味はなにか?

     

    こちらからご覧ください【「面白さ」は文明の原動力。AIにはない予測不可能性

     

     

    うにくえ
    この世界にわたしは一人しかいません。 顔も、性格も、好き嫌いも、大切なものも、まったく同じ人はいないはず。 なのに、 「もっと個性を出して」とか 「あなたらしさを見せて」なんて言われたかと思いきや、 「みんなと同じであること」を求められたり。 こせいって何なんだ…… 自分にはコセイがないんじゃないか…… そんなギモンをみなさんと一緒に考えたいと思って、 『うにくえ』はスタートしました。 さあ、個性をめぐる、ちょっとした冒険に出かけましょう。 あ、ちなみに『うにくえ』という名前。 海にいる、あのトゲトゲのやつとは関係ありません。 「Unique(唯一の)」をローマ字読みしたものなんですよ。 “個性的”でしょ?

    「カントと現代アート」第7回 土曜の放課後2

    第6回「カントと現代アート」

    2025年9月27日

    お知らせ

    日程終了しました

    9月27日(土)13:30より文哲研の共催セミナー「土曜の放課後2」の第7回目が開催されます。「土曜の放課後2」は全12回の連続セミナーとなっており、過去の哲学者や思想家に現代的なトピックを掛け合わせた講演を行っております。よろしければお申し込みの上、ご参加くださいませ。

     

     

    第6回「カントと現代アート」

     

    現代アートとは何でしょう。興味がないという人でも、漠然としたイメージは持っていると思います。そうでないと「興味がない」という反応すら起こらないでしょう。ましてや現代アートが「好き」あるいは「嫌い」という人は、もっとハッキリしたイメージを持っているでしょう。しかしここでは、興味がある/ない、好き/嫌いということはとりあえずカッコに入れて、そもそもなぜ「現代アート」のようなものがあるのか?という問題を考えることから始めてみたいと思います。

     

     現代アートがなぜあるのか?という問いは、より正確に言い換えれば、それはなぜ文化として成立しているのか?という問いです。興味がない、嫌いだという人でも、現代アートが文化として価値を認められている(芸術大学ではそれが教えられ、作品は美術館で展示され、市場で売買される)という事実は否定できません。この事実を作り出したのは、およそ19世紀後半以降、過去約150年間の歴史です。その期間に芸術の世界に生じた、モダニズムと前衛運動という出来事が、現代アートを産み出す直接の歴史的条件となっています。

     

     カント(1724-1804)は18世紀後半に活動した哲学者ですから、もちろんモダニズムも前衛も知りません。では彼の時代の「現代アート」──この言葉はもともと英語の”contemporary art”(同時代芸術)の訳ですから──はどうでしょう? 18世紀後半のアートは、ロココの美術やモーツァルトの音楽など、今の私たちにとっても馴染みのあるものですが、カントはそれらについてもよく知っていたという形跡がありません。嫌いだったわけではなく、たぶんあまり興味がなかったのだと思います。

     

     にもかかわらず、カントが1790年に出版した『判断力批判』という本で展開した美的判断についての考え方は、19世紀以降の芸術の変容について考える上でも、決定的に重要と考えられてきました。「批判(クリティーク)」という概念は、日本語では「批評」「評論」とも訳されますが、カントの「批判」は個々の作品や作家が良いとか悪いとか論じるものではなくて、そもそもそれが「なぜあるのか」つまり「芸術として成立するのか?」という条件を問うものです。つまりアートの内容ではなく形式に注目し、アート作品に限らず自然物も含めて、私たちが美的経験をするとき心の中にはそもそも何が起こっているのか?ということを考えました。

     

     こうした「カント美学」の観点から、私たちの時代の現代アートはどのように見えるのか、ということを考えてみたいと思います。
    (吉岡 洋、哲学とアートのための12の対話 2025「土曜の放課後2」公式ページより引用)

     

     

    ※ 会場は、A会場(京都市立芸術大学 C棟3F 講義室7)です。
    ※ 今回は午後1時30分〜3時(受付開始:午後1時)の開催となります。

    日程2025年9月27日
    時間13:30 - 15:00
    受付開始が13:00といつもより30分早まります
    場所京都市立芸術大学 C棟3階「講義室7」(C-316)
    費用講座参加費:1,000円/回(京都市立芸術大学、京都芸術大学の学生は参加費は無料です)、記録映像視聴:3,000円/10回(京都市立芸術大学、京都芸術大学の学生は無料です)
    主催土曜の放課後・実行委員会 (植田憲司、吉冨真知子、谷本研、二瓶晃、由良泰人、大西宏志、安藤泰彦、小杉美穂子)
    お問い合わせ公式ページ:https://yxy.kosugiando.art/
    URLhttps://yxy.kosugiando.art/
    文明哲学研究所

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