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新所長就任のお知らせ

2025年4月1日

お知らせ

  2025年4月1日付で、吉岡洋教授が文明哲学研究所所長に就任いたしました。

今後とも、文明哲学研究所をよろしくお願い申し上げます。

 

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ごあいさつ

 

 人間のあらゆる活動の根底には、意識するか否かにかかわらず、「哲学」が存在します。ここで言う哲学とは人文学における専門分野のことではなく、この宇宙においてそもそも自分とは何か、人間とは何かを理解しようとする営みのことです。

 芸術は時代や地域、社会状況によって様々な姿で現れますが、芸術の制作・研究の根底にも哲学があります。最新情報をいち早くキャッチし、目まぐるしく変化するトレンドに乗って成功を目指せばいい、という態度も一種の「哲学」ではあるでしょう。けれどもそれは最悪の哲学であり、すぐに賞味期限が切れてゴミになってしまいます。

 私たちが必要としているのは、本当の意味で持続可能(サステイナブル)な哲学です。特定の目的に役立つ思想、時代が変われば有効性を失うような思想には用はありません。そして、そうした哲学の前に立ち現れるのが、「文明」という大きなテーマです。

 文明という概念には、自分をそうでないものから区別する働きが含まれています。人間を自然から、また文明化された状態をそうでない(未開な)状態から。「文明開化」という言葉から分かるように、文明とは「開かれる」ものなのです。暗い森が開かれると明るい広場が生まれ、人々がそこに集うことができます。と同時に、閉じた自然を開くには力が要ります。その力は暴力という形で人間に襲いかかることもあります。

 いま私たちが生きている文明は、科学技術によって決定的に支配されています。人類の過去の文明は、かならずしもそうではありませんでした。だから現代文明の姿を見るためには、過去の文明を理解する必要があります。また世界には、文化や歴史、宗教を異にする様々な文明があり、互いに衝突して破壊的な結果をもたらすこともあります。ここでも自分自身の属する文明の姿を見るには、他の文明を理解する必要があるのです。

 文明哲学研究所は、こうした広い意味での哲学研究を目的としています。当たり前に見える現実を別の角度から考え直したり、目の前の対象を長い時間や広い視野の中に置いてみたり、何よりも哲学的に「考える」ことの楽しさを皆さんと共有したいと思っています。「哲学」という字面が持ついかめしさを気にせず、当研究所が提供する講座やイベントにどうかリラックスした気持ちでご参加いただければ幸いです。

 

文明哲学研究所所長 吉岡洋

 

 

吉岡 洋(よしおか ひろし)

1956年京都生。情報科学芸術大学院大学(IAMAS)教授、京都大学教授を経て、現在京都芸術大学文明哲学研究所所長。

 主な著書に『情報と生命』(新曜社)『〈思想〉の現在形』(講談社)他、美学芸術学、情報文化論に関わる著作・翻訳など多数。批評誌『ダイアテキスト』(京都芸術センター、2000-2003)編集長、「京都ビエンナーレ2003」「岐阜おおがきビエンナーレ2006」総合ディレクター。映像インスタレーション「BEACON」制作メンバー。

 2023年度からは一般向けの講座「哲学とアートのための12の対話」(https://xxy.kosugiando.art/)を行ってきた。近刊には『AIを美学する──人工知能はなぜ「不気味」なのか』(平凡社新書、2025年2月)がある。

 

【電子書籍】『ルビンのツボー芸術する体と心』

2025年3月7日

出版・メディア情報

 齋藤亜矢先生の著書『ルビンのツボ-芸術する体と心』が、電子書籍でもお読みいただけるようになりました。Amazon Kindle、楽天Koboなどの電子書籍書店でご購入いただけます。「!」や「?」いっぱいのエッセイ集。ぜひご一読ください。

 

『ルビンのツボ-芸術する体と心』(2019年6月21日刊行、岩波書店)

 

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『ルビンのツボ-芸術する体と心』

 

芸術を生みだす心のしくみとは? 子どものころの砂遊び、骨折、片目の光を失った経験……。異色の芸術認知科学研究者が、自身の体と体験をとおして感じたことを軸に綴る。アートとサイエンスの交差する場をフィールドに「! 」を探し、そこにアーティストの「! 」やサイエンスの「?」を添えた珠玉のエッセイ集。

 

養老孟司氏推薦!
「頭で考えるより、五感で感じて生きる。その方が人生、ずっと面白い。」

 

山極壽一氏絶賛!
「サルと類人猿と人間と。自らの体験を通した考察で、芸術の起源に新しい光を当てた好著。」

 

【目次】
はじめに
からだとこころ
サイエンスの視点、アートの視点
チンパンジーとアール・ブリュット
洞窟壁画とアール・ブリュット
手の想像、目の想像
考える、考えない
自由と不自由
自然の美、人工の美
美しい、怖い
弥生人と絵文字
わかる、わからない
在と不在
上手い、おもしろい
木を見る、森を見る
仮想と現実
二次元と三次元
要、不要
単純と複雑
主観と客観
おわりに

【新刊情報】『AIを美学する―なぜ人工知能は「不気味」なのか』

2025年3月7日

出版・メディア情報

 吉岡洋先生の著書『AIを美学する―なぜ人工知能は「不気味」なのか』が、平凡社より刊行されました。

amazon等のネット書店でもご購入いただけます。ぜひご一読ください。

 

『AIを美学する―なぜ人工知能は「不気味」なのか』(2025年2月刊行、平凡社新書)

 

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『AIを美学する―なぜ人工知能は「不気味」なのか』

 

《概要》
なぜ私たちはAIの活躍を目にしたとき、楽しさばかりでなく「不気味さ」を感じてしまうのだろうか? 私たちにとってAIとは何なのだろうか? ――AIと暮らすことが当たり前となった今、「AIとは何か」を美学の視点から問いかける。
『2001年宇宙の旅』のHAL9000、怪物フランケンシュタイン、映画の中のゾンビ、『火の鳥』のロボットたち……誰もがおなじみのフィクションに登場する「人間でない存在」から、「シンギュラリティ」や生成AIを利用したアートまで、カント哲学や実存主義を手がかりにAIの「面白さ」を考える1冊。

 

「人は必要性や有用性だけから何か新しいものを作り出したりしない。面白いから作るのである。
人工知能の場合もこれと同じだ。多くの場合、AIの有用性や効果――ポジティブにせよネガティブにせよ――についての議論ばかりが目立って、その面白さ、「遊び」的な側面についてはあまり語られない。遊んでいる場合ではない、そんな気楽な話ではない、ということだろうか。しかし私はせっかくAIについて本を書く機会をいただいたので、ここでは思い切り気楽に面白く語ってみようと思う。」
(第一章「幽霊はどこにいる」より)

 

《目次》
まえがき
第一章 幽霊(ゴースト)はどこにいる ――AIをめぐる、別な語り(ナラティブ)
第二章 私もロボット、なのか ――本当は怖くないフランケンシュタイン
第三章 不気味の谷間の百合 ――不気味の谷間の百合
第四章 実存はAIに先立つ ――人工知能の哲学、ふたたび
第五章 現代のスフィンクス ――人間とは何か?とAIは問う
あとがき

 

京都新聞コラム『現代のことば』

2025年3月3日

出版・メディア情報

 2025年2月25日付 京都新聞夕刊『現代のことば』に、齋藤亜矢のコラムが掲載されました。隔月連載の第31回目、タイトルは「意味を手放す」です。ぜひご一読ください。

 

*『現代のことば』はネットでもお読みいただけるようになりました(有料会員のみ)

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1429190

雑誌「モンキー」9巻4号

2025年3月3日

出版・メディア情報

 雑誌「モンキー」9巻4号(公益財団法人日本モンキーセンター発行)が刊行されました。文明哲学研究所が担当する連載「自然と芸術」第33回は、齋藤亜矢先生による「人はなぜ動物にひかれるのか」です。ぜひご一読ください。

 

雑誌「モンキー」 (ご購入、定期購読もこちらのページからお申込みいただけます)

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