2014.06.11

御堂「天心」の完成にあたり

御堂「天心」と石仏の由縁

学校法人瓜生山学園 理事長 徳山 詳直

ここ瓜生山の山上には、松陰さんが立っています。京都の街を睥睨しながら、学園の行く末をじっと見守ってくれています。
人間館の正面玄関には、藝術立国之碑と並んで岡倉天心が座っています。あの天心像は、いずれ学園が順調に発展したときに据えようと考えて、四十年前に手に入れていたものです。幸いにして学園は順調に発展を遂げ、運良く瓜生山に据えることができました。
そして、今また、すばらしい仏さんを迎えることができました。
元をたどれば、この仏さんは大雲寺というお寺に祀られていました。しかし、信長の比叡山焼き打ちで、寺は壊滅し、石仏だけが、かろうじて残されました。その後、お寺は、岩倉の実相院として再興されました。やがて明治になって、岡倉天心が、日本の美術史を作興していくために、フェノロサと共に全国を歩いて回り、各地の寺宝を調査しました。この仏さんは、そのときに再発見されていたであろう、とても有難い石仏です。
天心にゆかりのある仏さんが、鎌倉の初期から今日まで幾多の苦難を乗り越えて、今この場所に座ることになった。まことに不思議な縁です。松陰、天心、そして、この仏さん──それらを包み込んで、藝術立国の旗が、いよいよ高々と靡く時を迎えています。私は、そのことが嬉しくてなりません。その思いを形にして留めるために、御堂の姿は五浦六角堂に倣いました。
仏さんを信じることは、決して、神仏を崇めることだとは思っていません。この世の中に、神や仏のような、有るか無いかは分からないけれども、必ずや人類を救ってくれる、そんな存在がどうしても必要です。それが、藝術立国の志だと思っています。
繰り返しますが、松陰、天心、仏さん、それらを大きく包み込んで、藝術立国の旗が、ますます高々と靡く時が来ました。まことに感に堪えません。