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アートライティングコース

2024年03月22日

【アートライティングコース】何でもないものも二度と現れない故にこの世のものは限りなく尊い ───改定新版『小津安二郎・人と仕事 下』①

こんにちは。アートライティングコース非常勤講師の青木由美子です。
3月があっという間に過ぎていくのは年度替わりの浮き立った空気のせいでしょうか。
2023年度アートライティングコースからは38名の卒業生が巣立っていかれました。
みなさん、おめでとうございます。本学で培った「書く力」が、これからの歩みの推進力になってくれることを心から願います。グッドラック!
さて、話は変わって、みなさん映画はお好きでしょうか。今回は古い名作映画をめぐるトピックにお付き合いください。

何度か見たことのある映画が、まるで初めてのような新鮮さで目を奪い胸に迫ってくるという経験をしました。昨年1212日、名匠小津安二郎監督の生誕120年、没後60年という記念すべき年のまさに小津の命日に実施された、代表作『東京物語』4Kリマスター特別上映会でのことです。会場は小津に所縁のある松竹大船撮影所跡に建つ鎌倉芸術館の小ホール。アフタートークとして『ドライブ・マイ・カー』(2021)でアカデミー国際長編映画賞を『悪は存在しない』(2023)でヴェネツイア国際映画祭銀獅子賞を受賞した濱口竜介監督が『東京物語』を読み解くという、幾重にもスペシャルなイベントでした。

デジタル修復された4K映像は解像度高くクリアで、自分の視力が一気にあがったかのように陰影も美しく隅々まで見えて心底驚いたものです。奥行きのたいへん深いカットが多いことにも初めて気づきました。引き戸や窓が開け放たれていることが多く、日常の小さな世界を描いているようで主人公はその向こうの世界につながっている、どこか開けた感覚がありました。また、音声もノイズが取り除かれ俳優がセリフに乗せた感情が微妙なニュアンスとともに伝わってくるため、解釈が以前とは変わった場面も少なくありません。自宅のTVモニターと劇場のスクリーンという鑑賞環境の違いも大きかったとはいえ、これまでに知っていた『東京物語』とは別作品を見ているようなここちがしたことも確かです。映画は映像で語るアートだという当たり前のことを、この日、私ははっきりと体感したのでした。なんという饒舌な映像でしょう!

ところでここで『東京物語』について少し説明しておきましょう。
1953年に製作された小津安二郎監督の代表作。尾道で暮らす老夫婦(笠智衆・東山千栄子)が東京の子供たち(山村聰・杉村春子)を訪ねたところ、彼らは自分の生活に追われていて両親を心から歓待することができません。そんななか戦死した次男の嫁、紀子(原節子)だけが親身にもてなしてくれました。夫婦は予定を切り上げて帰郷しますが、老母が病に倒れてあっけなく亡くなってしまいます。親子の再会と別離、避けられない気持ちのすれ違いを精緻な映像で描いた本作は国内外の評価が高く、2012年英国の雑誌『Sight&Sound』で世界の映画監督が投票した「最高の映画ベスト10」で一位に輝いたことが知られています。

この日、濱口監督は「人物をどう動かすか」という視点から『東京物語』を紐解いてみせました。「同期」「連動」「反復」をキーワードに小津が周到に張り巡らせた映像的仕掛けの一端を明らかにしています。ふたりの登場人物が同じタイミングで同じ動作をする「同期」や、ある人物の動作が別の人物の動きを発動させる「連動」は、研究者でも映画マニアでもない私のようなぼんやりした観客でも気づく小津映画の特徴ですが、最後の「反復」は大変興味深い読み解きで感心しました。これは全く同じ動作が別の時間・空間で繰り返されるというもので、例に挙げられたのは手で髪を触る仕草です。次男の未亡人紀子、老母とみ、長女シゲが別々の場面で行っています。濱口監督の解釈によると、この仕草は内心思うところがありそれが表に出ないよう抑制していることを表しているのだとか。ひとつは紀子ととみがアパートで寝る支度をしている時、「思いがけのう昌二の布団に寝せてもろうて」と戦死した夫の名前をとみが口にしたのを聞いて、紀子は右手で髪をかき上げます。もう一つは東京からの帰路、大阪の三男の家で交わされる老夫婦の会話でのこと。「そうじゃのう、まア、幸せなほうじゃのう」と言う夫に「そうでさあ、幸せなほうでさあ」と応答する妻とみが指で髪を梳いて撫でつけています。長女シゲの場合は母が危篤と連絡を受け、兄と対応を相談している場面で、その夜の汽車で行こうと決めた後で「忙しいんだけどなあ、ここんとこ」と言いながら結い上げた髪を左手で何度も撫でつけます。確かにどれも本心とうわべの言葉や表情にズレがあることが伝わってくるシーンでした。この「反復」の効果は一見バラバラな人物を同じ仕草がつなぐことによって深いところで通じ合う関係性が立ち上がることだ、と濱口監督は解説していました。なるほど、と。私は自分がこの映画に惹きつけられる理由がようやく少しわかったような気がしました。これまでは躊躇なく素晴らしいとは言い切れない、何か「わからなさ」をかかえながら気がつけば画面に見入っていたのが、自分でも不思議でした。惹きつけられる理由は、一見平凡な日常を描いて少しも平凡でない複雑に編み上げられた小津映像の豊穣さだったのだと思いいたったのです。

濱口監督が本作に初めて出会ったのは大学一年の時。以来、何度も見返してはそのたびに新しい発見をしているといいます。彼の『東京物語』への拘りぶりがよく表れている寄稿文を、『ユリイカ』2016年2月号 原節子追悼特集(電子版)から一部引用してみましょう。

……にも拘わらず、私は書かなくてはならない。そして、書くとすれば小津安二郎の『東京物語』の原節子=紀子について語る、ということ以外にあり得ない。それを見て得た驚きは、私がこの文章を書き得る極めて限定的な、しかし決定的な理由だ。そのことは今、私が映画を撮り続ける理由の一つですらある

ここで言っている「驚き」は、映画の最終部における原節子と笠智衆のやりとりのなかで、カメラを前にして彼女が見せた「顔」、そのいわく言い難い表情から受けた衝撃を指しています。戦死した息子のことは忘れて自分の幸せを考えるよう勧めながら「あんたはいい人じゃ」と繰り返す笠智衆に、「いいえ、いいえ」と抗している原節子がやがてこれまで内に秘めてきた不安や孤独を吐露し涙ぐみ両手で顔を覆うというたいへん印象的なシーンです。

いわゆる『人間』を描いたとか、そういうことではない。むしろ新たにここで人間が創造されており、その瞬間にカメラが間に合っている、ということ。『東京物語』の原節子は私が知る限り、このように表現し得る世界でたった一つの映像なのだ。なぜそのようなことが可能なのか②

濱口青年の心に刻まれたこの問いが、その後の彼の創作活動を貫いて今日まで続いているように私には見えます。インタビューや講演で撮影や演出の方法について語った記事を読むと、カメラの前で原節子に起こったことを呼び出す方法を常に追求していると感じます。濱口監督もこの『東京物語』のショットに出会ったことが、自分が映画を撮り続けている理由だとアフタートークで語っていました。没後60年たった監督の作品が45歳気鋭の作家の創作をドライブしていると知るのは、実に感慨深いものがあります。

小津安二郎を敬愛する映画監督は他にも国内外に数多くいます。折しも昨年末にはヴィム・ヴェンダースが監督した日本映画「PERFECT DAYS」が公開されましたが、彼は小津リスペクトを繰り返し表明していることで有名です。小津に言及している最新のインタビュー映像が「PERFECT DAYS」の公式サイトで見られますが、作品について語っている内容が小津の残したメモの一節「何でもないものも二度と現れない故にこの世のものは限りなく尊い」というフレーズに極めて似通っていることに驚きます。本作は公衆トイレの清掃人、平山(役所広司)の日常を淡々と描いていますが、平山という名前は小津が主演男優に好んで振り当てたもので、古い映画ファンなら見る前から小津を意識しないではいられません。そしてなにより、役所広司という俳優の静謐な演技と画面のなかでの在り方が、この映画を小津調に染め上げていました。ラストシーンで、画面いっぱいに映った平山の顔の、形容しがたい表情には胸が揺さぶられます。https://www.perfectdays-movie.jp/interview/

 同じく昨年末に6年ぶりの新作『枯れ葉』を日本公開したアキ・カウリスマキ監督も小津ファンとしてよく知られています。小津作品を次のように解説している「静かなる反抗者」という論考からは彼の心からの敬意があふれているようです。③

「『東京物語』が非常に特別なのは、画面はとても静かで、まるで何事も起きていないかのようでいて、つぶさに見ると全編にわたって、常に多くの事柄と感情が動いている点だ。彼の作風は、私たちがこれまで見てきた西洋、特にハリウッド映画とは全く異なる。小津は彼らの慣習とルールを完膚なきまでに打ちのめす」
映画『枯れ葉』の公式サイトでは日本の観客に向けたカウリスマキ監督からのメッセージが見られますが、小津の名前を挙げたユーモラスな文章がいかにも彼らしくチャーミングです。
https://kareha-movie.com/index.html#director

 映画作家、想田和弘と小津安二郎の出会いはユニークです。上記と同じ『小津安二郎大全』に寄稿した文章によれば、大学時代のある日、小津作品(おそらく『晩春』)についてのたぶん川本三郎のコラムをたまたま目にして、なんとしてもこの映画を見なければという衝動にかられます。レンタル店にもなく、上映予定もないためレーザーディスクの全集をなけなしの預金を下ろして購入し、貪るように見たそうです。そして、まるで自分のために作られた映画のように感じたと書いています。大学では宗教学を専攻し、それ以前には小津作品を一本も見たことがなかった想田にいったい何が?

そこには『生きること』や『死ぬこと』が鮮やかに写っているように思えた。そのことに強烈に惹かれ、憧れた。そのうちに、僕はなんとしても映画を作らねばならぬと思うようになった

大学卒業後、想田はニューヨークの美大、スクールオブ・ビジュアル・アーツの映画学科に留学し映画監督への道を歩み始めます。友人の選挙活動を追った『選挙』(2006年)より事前リサーチ、台本、BGMを排し、自ら「観察映画」と呼ぶ即興的なドキュメンタリー手法を実践し、今日までに10作品を制作。国際映画祭で数々の賞を獲得しています。
公式ホームページ https://www.kazuhirosoda.com

 2023年夏、Amazon Prime Videoで配信され話題となった映画「赤と白とロイヤルブルー」は米国初の女性大統領の息子と英王室の王子が恋をする、LBGTQやジェンダーのトピック満載な今日的ロマンティックコメディです。脚本と監督を手掛けたのは劇作家のマシュー・ロペス。ゲイ・コミュニティで生きる3世代の男たちの愛憎を描いた代表作『インヘリタンス─継承』が、ロンドン、ブロードウェイなどに続き日本で初上演されるのを機に来日した本年2月、ネットメディアから受けたインタビュー記事のなかで小津安二郎からの影響を語っていました。

小津監督の『東京物語』を見ていると、東京の家族の物語のなかにプエルトリコ系の自分の家族の姿が見えるんです。どの国でも紡がれている物語は同じで、それを独自のものにしているのはそれぞれの語り手の文化的視座であるのだなというのは日本映画から学んだことでした

https://ranran-entame.com/ranran/97393.html

 

たまたま最近見た映画,見る予定の作品に関わる監督のうちの5人もが、まだ何者でもない若い頃に小津と出会い傾倒し、時を経て、それぞれ全く作風の異なる映画監督となっていました。大樹が枝葉を広げている絵が浮かび、「アートの広がり」「継承」という言葉が頭をよぎります。また、全員が4Kリマスター前の低画質映像にもかかわらず作品に没入し、そこから豊かなものを受け取っていることに驚きを隠せません。 そう、それは物理的な画質の問題ではないのです。

最初に掲げた文章に戻りましょう。

何でもないものも二度と現れない故にこの世のものは限りなく尊い

──そんなふうに世界を見る人の前で、小津映画は最も美しい姿を現すのだと思います。

みなさん、名作映画をもっと見ましょう。

 

参考文献
①『改訂新版 小津安二郎─人と仕事─下』原著発行者:井上和夫/改訂新版編纂:松浦莞二 、宮本明子 小津安二郎学会 P213
②『ユリイカ20162月号─特集:原節子と<昭和>の風景』電子版、青土社。
③松浦莞二 宮本明子編著『小津安二郎大全』朝日新聞出版、2019年、P405,P100-104

▼アートライティングコース説明会





 

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