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2024年10月07日
【通信制大学院】文芸領域教員コラム「うそでありうそでなく、苦しくて楽しいほんとうの」(作家・編集者 岡 英里奈)

文芸領域への入学を検討されている「作家志望者」「制作志望者」に向けて、本領域の教員がコラムをお届けします。
今回は作家、編集者の岡 英里奈さんのコラムをご紹介します。

【岡英里奈】(おか・えりな)
作家、編集者。1995年、大阪府生まれ。2016年、小説「カラー・オブ・ザ・ワールド」で第22回三田文学新人賞佳作受賞。『すばる』『文藝』『ユリイカ』『三田文學』「図書新聞」などに寄稿。近作に「とどまる人」(『すばる』)「小さな穴と水たまり」(『小説紊乱』)など。2017年より編集者として三田文學編集部で勤務。2023年より同副編集長、京都芸術大学通信制大学院文芸領域・非常勤講師。2024年よりNHK文化センター町田の小説創作講座講師を務める。
X: https://twitter.com/erina______oka
うそでありうそでなく、苦しくて楽しいほんとうの
人が苦手だ。人に会うと、すぐ嫌われることを思う。人が集まる場に赴いたあと、二日は寝込む。
本は好き。生きて動くものと違って、こちらから働きかけないかぎり静かに黙っていてくれる。嫌なことがあっても部屋に閉じこもって本と一緒にいれば大丈夫。ひとりでも生きていける。ずっとそう思っていた。
大学一年生の頃、文芸サークルで学校に生えている銀杏の木をテーマに短い話を書くことになった。書くために、木に初めて触れた。固いと思っていた木は、すべすべして人の手の甲のようだった。
できあがったのは銀杏の木と男の話。かれらは互いを愛している。木のほうが長生きで、男が先に死ぬ。幽霊となった男が、木にこう呟いて消える。
「もっとごつごつしてると思ってた。あんなに想っていたのに、僕は見るだけで、触れることさえしていなかったんだね」
それからもう、十年が経った。最近、小説を読むと痛みを感じることが増えた。物語に没入できない。現実のわが身をいちいち振り返ってしまって。小説内に登場する「名刺」という単語から仕事のミスを思い出して読み進めなくなったり、困難を乗り越える登場人物たちが自分よりも年下だと気づき、急に何も成し遂げていない自分を思い落ち込んだりする。
むかし好きだった本を読んでも、うちのめされるばかりである。あなたたちのような人生を、私はこれから、歩むことはない。旅芸人にはなれないし、大喧嘩できる友人もいない。私がすることといえば売れ残った割引弁当を買うこと、電車ですぐに降車しそうな人の気配を察知してその前に立つこと。それを繰り返して死んでいくこと。
虚構が反射する現実のすがたに戸惑ってしまうのは、ずっと逃げてきたからだ。虚構があるから、何があっても大丈夫。いつまでも虚構の世界にいたい。いさせてと思う。
幼い頃からぼうっとしていて、不器用で、何をするにも人の何倍もの時間がかかる。いつもものごとに追い立てられ、気づいたら夜になり、朝が来て無力を思い知る。いつでも速く歩いている。早く次のやるべきことをしなければ。誰とも会わない。触ったりにおったり、感じたり、立ち止まろうともしない。焦るばかりで、他人の痛みにも気づかない。安全な孤独の城に閉じこもってばかりいる。
しかし私は、十年前、銀杏の木に触れたのだった。現実の木があったから小説を書いた。小説を書こうと思ったから現実に触れた。書こうとしなければ、きっと死ぬまで、触れることのないまま終わった。
ままならない日々の先にある死を、こわい、と思っていた。でも、もういま、すでに私はここにいないのではないか。こわくて身動きがとれなくて何にも触れられない。生きているのに、消えているみたい。あの小説に書いた男のことを思う。彼は幽霊になってから好きだった銀杏にようやく触った。それでは遅い。私はずっと幽霊だった。あの男のように。
触れる。触れれば傷つくものもある。トゲのような痛みもあれば、世界が一変する電気のような感動も。自分のなかに籠るのではなく、空気中の分子のように他者にぶつかりつづける。たくさん読む。たくさんの場所に行く。たくさんの人に会う。キズをつくってじっくり時間をかけて膿ませることで、ようやく見えてくるものがある。居心地の良い城を壊して、草原となったひろやかな場所で、あたらしい何かと巡りあう。
幸いなことに、この大学院は臆病でひよわな私のようには孤独に安住していられない仕組みになっている。作品は他者の目で見られる。他の人に自作を読んでもらう時、滲み出た自分の人間性を指摘されてびっくりすることがある。やはり小説は現実で、このどうしようもない私から生まれるものなのだなと思う。
歴史、書物。生きている人、死んでいる人。目の前の風景、いつかの風景。そうした様々な他者に触れ、私じしんを変化させる。そうして生まれた作品は、遠くの場所の会えない誰か、百年後のどこかの誰かの人生の一部になるかもしれない。逃げないでがんばりたい。嵐のようにめまぐるしくすべては過ぎ去っていく。勇気を持って立ち止まり、じっと見つめる。びゅんびゅん飛んでくる風は目に刺さって痛いだろう。でももう、目は閉じない。
十年ぶりに、あの銀杏の木に触れてみた。夜十時、真夏のゲリラ豪雨のあと。
触れたとたん、木はぬちっと音を立てた。あの頃のようにすべらかな肌ではなかった。肌というより、そのなかの粘膜で包まれた体内に指をさしいれているような気がした。ぬちっ。ぬちっ。水のはじけるような音。人間の内臓が鳴らすような音。どこを触ってもその音が鳴った。
まだきみのことを、ぜんぜん知らない。そう思いながら、闇の中、生き物の体にできた傷口みたいにてらてらひかる木脈を見上げた。
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説明会情報
【2024年10月16日(水)19:00~20:30】
文芸領域 特別講義(1) 小説ゼミ編(第一部)
「普遍的な物語を書くために――物語の「技術」を学ぶ場――」
たとえ紙媒体が衰退し、本が読まれなくなっても、「物語」なるものは人類にとって普遍的な価値をもち、きっといつの時代にも、ひとびとのこころを惹きつける何かであり続けます。
“いつか自分の手で、自分にしか書けない「物語」を書いてみたい。けれど、何をどうすればよいのかわからない”。
こうした思いが、「自分にも書ける」という確信に変わる場が、この大学院文芸領域にはあります。「物語」創作の最前線について、そしてその明るい展望について、以下の登壇者がお伝えします。
登壇者一覧)
■小説ゼミ2(主としてエンタテインメント小説ジャンル)指導担当者
*松岡弘城(編集者)
ゲスト)
■非常勤講師(*学生作品評価添削担当)
*藍銅ツバメ(作家)
*あわいゆき(書評家)
司会進行)
*辻井南青紀(作家/文芸領域長)
【2024年11月7日(木)19:00~20:30】
文芸領域 特別講義(2) 小説ゼミ編(第二部)
「物語の新しい可能性を問う――「マーケット」の影に隠れたもの――」
この数十年来、真摯に世界と向き合ってその意味を鋭く問い直す「純文学」や「現代文学」なるジャンルの作品は、一般的にあまり読まれなくなりつつある、ように見えます。
しかし、物語を通してこの世界のありようを確かめ、探求を続け、新たな道を模索することに、もう希望は見いだせないのか。それとも、いまだ省みられていない、新たな可能性の萌芽があるのか。
気鋭の文芸評論家、作家、書評家とともに、こうしたことを大学院という学びの場でいったいどれほど追求できるのか、その可能性を探ります。
登壇者一覧)
■小説ゼミ1(主として純文学ジャンル)指導担当者
*池田雄一(文芸評論家)
*藤野可織(作家)
ゲスト)
■非常勤講師(*学生作品評価添削担当)
*あわいゆき(書評家)
司会進行)
*辻井南青紀(作家/文芸領域長)
【2024年11月20日(水)19:00~20:30】
芸領域 特別講義(3) クリティカル・ライティングゼミ編
「人の心を動かす文章とは――自ら発信する時代のライティングスキルーー」
ブログやSNSなど、いまや誰もが簡単に世界に向けて文章を発信できる時代。うまいだけではなく、もっと読みたいと思わせるにはどうしたらいいのか──。
エッセイ、書評、取材記事にコラム、あらゆる文章に対応するスキルは、誰にでも身につけられるもの。文章力なんてあとから付いてきます。人文書から実用書までさまざまなノンフィクションを手掛けてきたベテラン編集者2名が、伝わる文章の秘訣と当ゼミで学べることについてお話しします。
登壇者一覧)
■クリティカル・ライティングゼミ 指導担当者
*田中尚史(編集者)
*野上千夏(編集者)
司会進行)
*辻井南青紀(作家/文芸領域長)
↓説明会の参加申し込みは文芸領域ページ内「説明会情報」から!
▼京都芸術大学大学院(通信教育)webサイト 文芸領域ページ
文芸領域では入学後、以下いずれかのゼミに分かれて研究・制作を進めます。
●小説創作ゼミ
小説、エッセイ、コラム、取材記事など、広義の文芸創作について、実践的に学びます。
●クリティカル・ライティングゼミ
企画、構成、取材、ライティングから編集レイアウトまで、有効な情報発信とメディアのつくり方を実践的に学びます。
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