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芸術学コース

2022年03月04日

【芸術学コース】荒井寛方の展覧会について

みなさん、こんにちは。芸術学コース教員の三上です。お元気でお過ごしでしょうか。長かった冬の寒さもようやく和らぎ、ベランダの黄梅や庭の紅梅もほころび始めました(挿図1-①、②)。

(挿図1-①)一昨年、実家の庭から挿し木した黄梅。今年初めて開花しました。



(挿図1-②)庭の花梅の古木。今年もたくさん花をつけてくれました。



今回は、私が関心を持って取り組んでいる日本画家、荒井寛方(1878-1945)を取り上げた展覧会「アートリンクとちぎ2021・小杉放菴生誕140周年記念 放菴と寛方」展(佐野市立吉澤記念美術館、2022年3月6日まで)について書いていきます。

荒井寛方は明治から昭和戦前期に活躍した日本画家で、仏教主題の作品を多く描いたことで知られています。寛方についてはこちらのブログや本学通信教育部のウェブマガジン『アネモメトリ』にも数回書きましたので、ぜひそちらも御覧ください。

【芸術学コース】日常のひとこま 図書館、研究、図書館…


荒井寛方について


佐野市立吉澤記念美術館(挿図2)は、東武佐野線「葛生駅」(挿図3①-③)から徒歩7分ほどのところにある市立の美術館です。同館の所蔵作品図録『佐野市立吉澤記念美術館コレクション選』(同館編・発行、2012年)によると、地元在住の旧家である吉澤家から所蔵作品と新築の美術館施設が寄贈され、2002年に葛生町立吉澤記念美術館(当時)としてスタートしました。

(挿図2)佐野市立吉澤記念美術館外観



(挿図3-①)東武佐野線葛生駅外観



(挿図3-②)葛生駅ホーム



(挿図3-③)葛生駅ホーム



今回の道程で一番不安だったのが、北千住駅の東武特急りょうもう7号赤城行への乗り換えでした。案の定、まごまごしていて乗り遅れそうになったのですが、特急乗り場の駅員さんに「りょうもう乗り場はここですか?」と聞いたところ、「一人乗るよ~。」と合図を送ってくれました。初めての同館訪問にやや緊張気味でしたが、駅員さんたちアットホームな雰囲気に癒されました。

葛生駅から川沿いの道を7分ほど歩くと、同館の他、葛生化石館や図書館などの文化施設がまとめられたエリアに到着します。方向音痴で早速違う方向に歩いていきそうになりましたが、佐野市葛生化石館に行くという親切な方に声をかけていただき、無事美術館に辿り着けました。

本展は、栃木県氏家町(現さくら市)出身の寛方と、やはり栃木県日光市出身の洋画家の小杉放菴(1881-1964)の作風の変遷を、栃木県立美術館所蔵品でたどるというものです。同館ホームページによると、本展は栃木県立美術館の所蔵品を活用する「アートリンクとちぎ2021」の事業の一環として、小杉放菴の生誕140年を記念するための展覧会として企画されたそうです。寛方と放菴は共に栃木県北部(県北)出身者であり、彼らの作品を県南の佐野市で鑑賞できるまたとない機会とのことでした。実際私も本展を拝見して、洋画家の放菴と日本画家の寛方がほぼ同時代に、しかも同じ再興日本美術院で活躍していたことに改めて気づかされました。

二人展ということもあり、寛方の出品作品数は12点で、けして多いとは言えません。しかしながら初期から晩年までの代表作が厳選されており、丁寧にまとめられた作品解説を読み進めると、寛方の作風の変遷をたどることが出来ます。また、寛方作品は一室にまとめられており、代表作に囲まれるという実にぜいたくな空間でした。ほとんどの出品作はチラシ掲載されていますので、興味のある方は御覧ください。

寛方に興味を持つようになって日が浅いため、寛方作品にまとまって触れたのは、3年前にさくら市ミュージアム-荒井寛方記念館-で開催された「さくら市ミュージアム開館25周年記念、生誕140年記念 荒井寛方展」以来です。昨年から科研で調査を進めていますが、コロナ禍で思うように作品調査が出来ない日々が続いていることもあり、私にとってありがたく、貴重なものでした。本展もコロナの影響で関連イベントは中止を余儀なくされたそうですが、各地で展覧会の中止が続いた少し前の状況を考えれば、予定通り開催されただけでも感謝しています。

本展で初期から晩年までの寛方作品と直接対峙し、寛方作品の良さを深く味わったのですが、同時に実物を見る大切さも改めて実感しました。ほとんどの展示作品は図録などで見たことがあったのですが、実物を見ると色調の違いや細部の描きこみの有無など、図版では分からなかった多くの発見がありました。この時はまた、同館の学芸員の方に調査をお願いし、展示作品の箱書と同館所蔵の寛方筆《養老》(大正時代)や、寛方とゆかりの深い桐谷洗鱗(1877-1932)筆《天竺僧》(大正時代)も見せていただきました。

話は変わりますが、佐野市立吉澤記念美術館の周辺には、道を挟んですぐの場所には佐野市葛生化石館と同葛生図書館、同葛生伝承館などの文化施設が徒歩圏内にあります

今回は時間がなかったのですが、佐野市葛生化石館(挿図4-①、②)だけはなんとか見学できました。同館では同市に世界最小のナウマン象や巨大な鹿が生息していたことを始め、葛生で発掘された動物の化石が多数展示されており、同地の地勢の豊かさを楽しみながら学びました。実は寛方も昭和初期の3月初めにこの地を訪れ、同地の旧家吉澤家で中国絵画の名品を鑑賞し、佐野市内も周遊していたことを佐野市立吉澤記念美術館の学芸員の方より御教示いただきました。もし寛方の時代に葛生化石館があれば、寛方も立ち寄りスケッチをしたのでは、などと当地と寛方との関りについても思いをはせました。いずれ私も再訪し、ゆっくり散策したいと思います。

(挿図4-①)佐野市葛生化石館外観。佐野市立吉澤記念美術館とは細い道を挟んですぐの場所にあります。



(挿図4-②)佐野市葛生化石館エントランス。入り口の看板には、ティラノサウルスに羽毛があったという看板や、コロナに配慮した「きょう、ティラノくんはほえるのをがまんしています。」というユーモラスな看板も。マスク姿のティラノくんはとてもインパクトがありました。



コロナの感染はなかなか収束しませんが、ともかく出来るところから研究を進めています。今年の4月には本学エクステンションである一般公開講座「藝術学舎」で荒井寛方を取り上げ、時代背景を踏まえて紹介する予定です。一人でも多くの方に寛方の魅力を伝える機会になれば幸いです。

この記事を書いている最中に東欧の戦禍が報じられました。当地の人々の無事と一日も早い収束を願わずにはいられません。終戦直前に亡くなった寛方生涯のうち、特に最晩年は法隆寺金堂壁画の模写事業に捧げられましたが、戦況の厳しい中での活動がどうであったのか、改めて考えています。

様々なことが起こるなかでも、四季は巡り、春ももうそこまで来ています。寒さの緩む時期は体調を崩しがちですので、みなさんもどうぞお気を付けください。

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