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2022年08月22日

【通信制大学院】あなたの最初の読者からの手紙(編集者・松岡弘城)―文芸領域リレーエッセイ②



2023年度に新設する文芸領域への入学を検討する「作家志望者」「制作志望者」へのエールとして、作家、編集者、評論家の方がリレーエッセイとしてお届けします。

今回は文芸領域の教員で編集者の松岡弘城さんのエッセイをご紹介します。




あなたの最初の読者からの手紙


前略

あなた様におかれましては、作家をめざすべく、日々、研鑚を積んでおられるとの由、まことに頼もしく思います。

そんなあなた様にとって、たいへん耳の痛い、厳しい指摘からはじめてみましょう。足かけ十五年間、カルチャーセンターの創作教室で講師をしてきた経験から申し上げますと、アマチュアの書き手のほとんどは、驚くべきことに、日本語が著しく不自由です。

「何を言ってるんだ。日本語は母語で、生まれてこのかた、うん十年、使ってきたんだ。不自由だなんて失礼な物言いをするな。偉そうに」

なんて反論がすぐにでも聞こえてきそうです。もっともな言い分に見えるかもしれませんが、こと、小説を書くスキルという点では、まったく間違った認識です。ヒントは、話し言葉と書き言葉の違いにあります。

他の芸術分野に比べて、小説が秀でているのは、参入障壁の低さです。パソコン、否、紙と鉛筆さえあれば、誰だって今すぐにでも、小説を書きはじめることができるでしょう。高価な楽器や絵の具、練習や創作のためのスペースだって、ほとんど不要です。しかも、唯一と言っていい道具たる日本語は、さきほどの反論のように、日々使い慣れている。ええやん、ええやん、楽勝やん、すぐできるやん♪と思っていると、罠にはまります。

確かに、外国語とは異なり、我々は暮らしの中で日本語を自在に駆使していると言えるでしょう。買い物に行く、病院で診察を受ける、学校や会社で討議をする――「話す」「聴く」、つまり意志疎通に関して問題はない。ところが、「書く」「読む」についてはいかがでしょう。小説に限らず、自分が書いた文章で、意図は読む人にまっすぐ伝わるでしょうか。また、小説でもネットニュースでも結構、文章を読んで内容を一〇〇パーセント理解できているでしょうか? 恐らく、途端に自信がなくなってくるように見受けます。

教室で、よく例に挙げるのが、画家ピカソです。兎に角多作の人で、人生で何度も何度も画風を変えて挑戦しつづけた前衛の巨匠ですが、ピカソは幼時からデッサンに関して超絶技巧の持ち主だったことは誰もが知っているはずです。絵画しかり、演奏しかり、ほとんどの芸術は幼い頃から一日に数時間、否、十数時間の鍛錬を一日も欠かさず続けなければ、何者かには到底、なれません。というか、同じ努力を積み重ねても、プロとして食っていけるのは、ほんの一握りです。

もうおわかりでしょう。小説とて同じです。作家になるには、少なくとも日本語に習熟していなければいけませんし、プロフェッショナルとして、「日本語とは何ぞや」と訊ねられれば、滔々と夜を徹して自説を披露するぐらいでなければいけません。いささか細かくなりますが、校正上、つい先ほど使用した語彙「意志疎通」は本来「意思疎通」が正しい。書き方や読み方が二通りあって、いずれでも構わないといった言葉も数多くありますが、まず辞書を引いて確認する必要があるでしょう。さらに上級者には、類語辞典を引く癖をつけるよう、アドバイスします。同じ言葉を何度も使う愚を避けるためです。今は亡き「浪速の爆笑王」、落語家の桂枝雀は、たびたび速射砲のような言い立てを得意にしていました。ある寺にピストル強盗が入った――「賊、盗っ人、泥棒」、あるいは、言葉遊びと切り出して、――「しゃれ、冗談、にわか」 (上方落語「阿弥陀池(あみだいけ)」より)。修練の賜物、脳内に無数の語句が渦を巻いているかのようです。小説は文藝とも申します。繰り返していては「藝」がありません。こうして一語一語に徹底的にこだわるところから、小説を書くスキルは始まります。

日本人として初めてノーベル文学賞を受賞した川端康成の名作「雪国」は冒頭の第一文「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

が有名ですが、実は本当にすごいのは第二文です。

「夜の底が白くなった。」

文法的に詳しく解説しますと、第一文は主人公を取り巻く環境や状況の[説明]なのに対して、第二文は[描写]と呼び、比喩が「描写」の切り札になります。それにしても、句点を含めてたった十文字で、これだけの情感を巻き起こすとは、まさに天才の技としか言い様がありません。想像でしかありませんが、とりわけ緊張感が高く、できれば読者を作品世界に引き摺り込みたい、だから冒頭は木材に鉋(かんな)をかけるように何度も書き直す、研ぎ澄ます中で、渾身の一文が生まれたのではないでしょうか。

少し先を急ぎすぎました。先の一文をものにできるのは、視野を世界に広げても、あまたいる作家の中で、さらにごく少数でしょう。未踏の域への到達を目標に掲げる心意気はおおいに結構ですが、まず、あなた様がめざすべきところは、そこではありません。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」

劇団「こまつ座」を主宰し、戯曲にも通じた作家、井上ひさしの座右の銘として、よく引かれる一節です。ちなみに井上さんは、文壇でも随一の辞書マニアとして有名でした。この言葉には、どうすれば、読者や観客に伝わるのか、考え抜いた末のエッセンスが凝縮されているように思います。

四百字詰め原稿用紙換算で四百から五百枚、本になったら三百五十ページを超えてくるような長編小説を書くのは、率直に言って、簡単な目標ではありません。これまで一度も長編を書きあげた経験がない人にとっては、いきなりフルマラソンに挑むような難行かもしれません。それでも、書き出しの一語、一文から積み上げていく以外に方法はありません。途中でくじけそうになったら、あなたの作品を心待ちにしている読者の顔を思い浮かべてください。私は、あなたの作品の最初の読者の役を心から喜んで引き受けたいと願ってやみません。さあ、笑顔で「ゆかいに」はじめてみませんか。

不一


 

松岡 弘城(まつおか・ひろき)


1967年神戸生まれ。1991年京都大学法学部を卒業後、日本経済新聞社に入社し、新聞記者として勤務。文化部で書評欄の運営、作家の取材、連載小説の編集作業に携わる。2005年に退職、現在はフリーランスで小説の編集とコラムの執筆を手がけている。

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