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歴史遺産コース

2023年02月10日

【歴史遺産コース】瓜生山キャンパス(京都)周辺の歴史の痕跡を辿る

みなさん、こんにちは。業務担当非常勤講師の岩田です。本学の京都キャンパスは京都のどのあたりにあるかご存じでしょうか?本学は京都市の中心部から北東に位置します。この場所は歴史的にどのようは場所だったのでしょうか?

平安京オーバーレイマップ」で確認してみましょう。このマップは平安京に関する地図を現在の地図上に配置したものです。地図の赤線で囲ったところが平安京の範囲です(途中出切れていますが、もっと南も含みます)。平安京は青線で示した鴨川よりも西側にあったので、残念ながら本学は平安京の郊外にあたります。この場所は山城国愛宕郡(やましろのくにおたぎぐん)でした。

「平安京オーバーレイマップ」に加筆。
https://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/heian/



しかし、実はこの地には平安京が造られる以前から、歴史が積み重ねられてきました。古い時代からその痕跡を辿ってみましょう。まずは、大学の南西にあたる場所で発掘された、縄文時代早期(約8000年前)の竪穴住居跡「上終町(かみはてちょう)遺跡」です。この遺跡を含め、比叡山の西南麓には複数の縄文遺跡が南北に点在しており、北白川遺跡群と呼ばれています。

この上終町遺跡の近くで発見されたのが、7世紀後半(飛鳥時代)に造営されたとされる「北白川廃寺」と呼ばれる寺院跡です。金堂と考えられる瓦積(かわらづみ)基壇の建物跡や回廊跡などが確認されており、この瓦積基壇の一部は現在、京都大学の文学部陳列館の前に移築されています。金堂の基壇は東西約36メートル、 南北約23メートルで法隆寺や山田寺よりも大きいのだとか。平安京が造られるはるか以前に、このような大規模な寺院がこの地に造営されていたことに驚かされます。全容は不明ですが、北白川廃寺は愛宕郡粟田郷(あわたごう)を本拠地とする粟田氏の造営した粟田寺であったとする説もあります。
*ご紹介した2つの遺跡は発掘後に埋め戻されているので、現地でその遺構をみることはできません。

北白川廃寺の瓦積基壇(京都大学文学部陳列館前)



時代はずっと下がりますが、本学の背後(東)にある瓜生山の山頂周辺には、室町幕府の管領細川高国が1520年代に築城した山城跡があります(「北白川城跡」)。山頂周辺には曲輪(くるわ)や人為的な平坦地、堀跡などが残っています。

そして、大学の北方には、江戸時代の俳人松尾芭蕉が訪れ、俳人与謝蕪村の墓があることでも知られる金福寺(こんぷくじ)があります。その北には、もとは徳川家の家臣であった漢詩人の石川丈山(じょうざん)が隠居生活を送った山荘「詩仙堂」(現在は曹洞宗大本山永平寺の末寺)があります。

金福寺
*例年、1月中旬から2月末まで拝観休止です。



詩仙堂



 

最後は近代です。大学から緩やかな坂道を西に下っていくと、白川疎水にぶつかります。ここは琵琶湖の水を京都市へ通すために、明治時代に造られた水路・琵琶湖疎水の支線です。桜の季節はとても風情があります。その疎水沿いの閑静な住宅街に建つのが駒井家住宅です。アメリカ人の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により、昭和2年(1927年)、京都帝国大学教授駒井卓博士の住宅として建てられました。

駒井家住宅
*一般公開されていますが、夏期・冬期に休館期間があります。



白川疎水



ざっと、大学周辺の歴史の痕跡を辿ってみました。紹介したのはごく一部です。瓜生山キャンパスにお越しの際には、是非大学の周辺にある、様々な歴史の刻まれた場所も訪れてください。

 

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