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芸術教養学科

2024年06月20日

【芸術教養学科】正身のとこ

私有地 天野忠詩集の表紙

『私有地 天野忠詩集』表紙



みなさん、こんにちは。芸術教養学科の宮です。

(『大改造‼️ 劇的ビフォーアフター』風に)なんということでしょう。ふと気がつけば、今年も半分が終わろうとしています。ついこのあいだ、「あけましておめでとうございます」と新年の挨拶をしたばかりなのに。

それにしても、まだ6月だというのに、暑い日が続いていますね。6月14日には、京都でも35.9℃(!)を記録しました。いやいや、まだ6月ですよ。もうなにも手につかない、やる気にならない、とにかく涼んでいたい、という気持ちの方も多いのではないでしょうか。
もちろん、私もその一人です。5月には、いつも通り(案の定!)五月病に罹りました。6月に入ってからも、なかなか治らず、ずるずると怠惰な日々を送っています。いや、これからも、のんべんだらりとした、ぐうたらな毎日が続いていくのでしょう。とはいえ、もし1年を通して五月病ということになると、そもそもそれは「◯月病」と呼ぶべきなのでしょうか。

と、そんな愚にもつかないことばかりを考えつつ、一冊の詩集を読み返していると、ある一篇の詩に再会しました。それは、こんな詩です。

新年の声

これでまあ
七十年生きてきたわけやけど
ほんまに
生きたちゅう正身のとこは
十年ぐらいなもんやろか
いやぁ
とてもそんだけはないやろなあ
七年ぐらいのもんやろか
七年もないやろなあ
五年ぐらいとちがうか
五年の正身………
ふん
それも心細いなあ
ぎりぎりしぼって
正身のとこ
三年………

底の底の方で
正身が呻いた。

―そんなに削るな。

「七十年」が「十年」に、さらに「七年」「五年」「三年」と、どんどん減っていくおかしさ。そして、最後の最後に、耐え切れなくなった、「正身」が、いきなり「―そんなに削るな」と出てくる愉快な混乱。詩人・天野忠の名作「新年の声」です。

ただ、これは諸手を挙げて喜んでばかりもいられません。それは、いうまでもなく、私が「生きたちゅう正身のとこ」は、はたして何年くらいになるのかと自分自身に問わずにはいられないからです。笑いながら、鋭利な刃物を突きつけられている感じ、とでもいえばいいでしょうか。

では、どうすれば「生きたちゅう正身のとこ」を増やすことができるのでしょう。それは、やはり新しい知識や教養を学び続けること以外にはないのではないでしょうか。新たな学びによる、これまでになかった体験や経験の積み重ねこそが、「生きたちゅう正身のとこ」を、より豊かに、より充実したものにしていくのです。

たとえば、天野忠「新年の声」を自分の周りにいる人たちの半数が知っていたらどうでしょう。あるいは、日本に住む人々の十分の一が知っていたとしたら。これはなかなか簡単なことではないと思いますが、しかし、もしそうだったとしたら、我々の生活はもう少し余裕のある、生き生きとしたものになっているのではないでしょうか。
私が所属する芸術教養学科の「芸術教養」とは、人々を深くもすれば、活力も与えてくれる大切な源泉のようなものなのです。ときにそれは現実を、日常を一変させるほどの大きな力を持つことがあります。その源泉が満たされることによって、「生きたちゅう正身のとこ」は確実に増えていくのではないでしょうか。

天野忠「新年の声」をお読みになって不安になられた、そこのあなた。大丈夫です。新しいことを始めるのに、遅いなんてことはありません。まずは、動画教材の一部を体験できる「トライアルサイト」をご覧になってみてください。きっと新しい世界が広がる筈です。
私も五月病や暑さを理由に、ダラダラと怠けてばかりいず、なにか新しいことを始めたいと思います。

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