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- 【アートライティングコース】表向きは穏健な家庭小説のふりをしながら、作者は読者に「型にハマるな」「あきらめるな」という信号をひそかに送っていたのではないか。 ──齋藤美奈子『挑発する少女小説』
2025年03月26日
【アートライティングコース】表向きは穏健な家庭小説のふりをしながら、作者は読者に「型にハマるな」「あきらめるな」という信号をひそかに送っていたのではないか。 ──齋藤美奈子『挑発する少女小説』

さて今回は少女小説を題材に、「子どもの読書」と「大人の読み解き」について考えてみたいと思います。
私は親の目を盗んで深夜まで『若草物語』を読みふけっている小学生でした。気に入った場面は、登場人物の服装やヘアスタイル、家具調度や窓の外に広がる風景、お菓子や茶器など、挿絵だけを頼りに想像力を総動員し、こと細かく頭の中に思い描いて楽しんだものです。また、主人公になりきって自分が小説のなかで大活躍するという妄想に耽ることもしばしば。他にも『赤毛のアン』『ハイジ』『あしながおじさん』などこの時期同じように偏愛した小説は少なくありません。それからずいぶん長い月日が流れましたが、あんなに没入したのだからどの作品もストーリーは克明に覚えているだろうと思ったのですが、いや、そうでもない。記憶をたどっても曖昧な部分が多く、特に終盤の展開はすっかり忘れていることに自分でも驚きます。物語に没頭している時間はとても幸福だったという強い確信はあるのですが…。そこで、数十年振りに『若草物語』を読んでみました。実に多くのシーン、セリフを忘れていました。四姉妹がさえずっているような饒舌な文体も読み始めるまで思い出せませんでした。人の記憶は全くあてになりません。また驚いたのは宗教的、道徳的雰囲気が記憶にあるより色濃いこと。そういえば「天路歴程」という言葉は『若草物語』で知ったのでした。保守的な価値観、ジェンダーに関する違和感など大人になった今の自分には少々気になります。けれど半分知っている半分忘れている文章を読むのは、なかなか楽しい経験でした。あんなに何度も読んだのに記憶量が貧弱なのはどういうことでしょう。小学校低学年のことなので解らない話題、興味のない分野は流し読みだったのでしょうか。
いずれにしろ、もう子どものようには読めません。作品世界へ身を投じて潜り込むような幸せな時間がなつかしい。

齋藤美奈子らしい切れ味鋭い解説の一部を要約してご紹介しましょう。
・少女小説は現実に即したリアリズム文学
・少女小説は良妻賢母教育のツールだった
・少女小説は読者が選んだロングセラー
・人気があるのは翻訳ものの少女小説
・少女小説を特徴づける四つのお約束ごと
①おてんば ②みなしご ③恋愛より友情 ④少女期からの卒業
少女小説は19世紀後半から20世紀前半に生まれた、女性の手になることが多い少女向けの作品です。工業化が進み生産労働と家庭が分離し、男は仕事/女は家庭という性別役割分業社会が生まれたことを背景に女の子向けの家庭小説が要望され出版されるようになりました。少女小説は文学史的には良き家庭人のための家庭小説にジャンル分けされます。
中産階級の台頭と教育熱、第一派フェミニズム運動の影響もあったでしょう。
それにしても良妻賢母教育のツールとは! 私が熱中した物語はそのようなものではないし、150年もの長きに渡って少女たちに愛され読み継がれてきたのはそんな古めかしい価値観に共感したからではないでしょう。齋藤はロングセラーの少女小説には表向きと裏のふたつのメッセージがあり、作者と読者は一種の共犯関係のなかで大人社会を出し抜いているという独自の見解を述べています。それが冒頭にあげた次の文章です。
表向きは穏健な家庭小説のふりをしながら、作者は読者に「型にハマるな」「あきらめるな」という信号をひそかに送っていたのではないか。
これを踏まえて少女小説の名作9タイトル齋藤美奈子流の定義を見てみましょう。
・シンデレラ物語を脱構築する『小公女』
・異性愛至上主義に抵抗する『若草物語』
・出稼ぎ少女に希望を与える『ハイジ』
・生存をかけた就活小説だった『赤毛のアン』
・社会変革への意思を秘めた『あしながおじさん』
・肉体労働を通じて少女が少年を救う『秘密の花園』
・父母の抑圧をラストで破る『大草原の小さな家』シリーズ
・正攻法の冒険小説だった『ふたりのロッテ』
・世界一強い女の子の孤独を描いた『長くつ下のピッピ』
少女小説のイメージが変わりそうな、力強く自立した少女の姿が浮かんできます。
少女小説は物語と同時期の政治や社会、戦争に全く触れません。家庭を中心にした日常のなかで主人公の成長を描く決まりです。しかし作家が書かないからといって内容と無関係なわけではありません。さまざまな情報とクロスさせて考察すると、物語の立体的な姿が現れます。上に列記した9作品を齋藤美奈子が読み解いた書評は、どれも意外な発見があって実に面白く、目から鱗が落ちるとはこういうことかと何度も膝を打ちました。たとえば『ハイジ』は資本主義を生きる出稼ぎ少女の成功、と断じられていてビックリ。工業化と格差が進む当時のスイスの状況と合わせた解説には説得力があります。
ご興味のある方は、ぜひ『挑発する少女小説』(河出書房新社、2021年)をお読みください。
さて昔も今も、少女小説界の人気者は「男の子になりたかった女の子」ですが、『若草物語』四姉妹の次女ジョーはその代表です。なぜ自分は男に生まれなかったのかと嘆き、遊びも仕事も態度も男の子のようにしたい!としばしば口にしています。今どきの言い方ならジェンダー平等の要求です。1868年の発表から今日まで、『若草物語』が世界中の数えきれないほど多くの少女たちを夢中にさせ、勇気づけてきたのは、「男の子と同じに生きていい」という裏のメッセージが届いたからではないでしょうか。私も受け取ったひとりです。ジョーに感情移入して応援してきました。外見に無頓着なのもカッコいい。小説や戯曲をどんどん書いて発表し、原稿を出版社に送っているのも尊敬できます。男の子らしくない男の子、ローリーとの友情も羨ましく思っていました。
「女の子らしさ」の規範に収まりきれない少女にとってジョーの存在がいかに心強いことでしょう。『若草物語』が世に出てから157年、私たちの身近にジョーの姿を見ることが多くなった気がしませんか?
齋藤美奈子著『挑発する少女小説』河出新書
L・M・オルコット/吉田勝江=訳『若草物語』角川文庫

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