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芸術教養学科

2020年01月24日

【芸術教養学科】人間性と役に立つ教養

このブログの執筆が回ってくるたびに頭を抱えてしまいます。学科での出来事をいきいきと伝えることができればいいのですが、芸術教養学科の場合、webを通じての学びが中心になるので、なかなかその場面を描写しても地味なものになってしまうのです。

みなさん、airUマイページというサイトを通じて、課題文を読んだり、レポートを提出したりするのですが、その画面の向こう側(私たちから言えばこっち側)には生きた教員がいて、レポートを読んではうつむいたり膝を打ったりしているのです。でもそのようすを、いきいきと伝えるだけの筆力が残念ながら私にはありません。

ということで本学科のコラムでは、いきおい「ガイダンス」や「フライングカフェ」といった、対面型の行事報告になることが多いのです。こうした対面型の場があることを知っていただくことはとても大事だと思うのですが、その繰り返しになってしまうのもなんだかなあ、ということで、この文章のはじめに戻って頭を抱えてしまうのです。
今回はそうしたネタになる行事もないので、教員のひとりごとということにさせていただきたいと思います。しばらくの間お付き合いください。

芸術教養学科は、何を学ぶところなのかわからない、という人がいます。また入学後のレポートなどを読んでいると、あ、ちょっと誤解したまま入学されたのかな、という感じの方もいます。

どういうときにそれを感じるかというと、この学科で何を学びたいかという問いに対して「芸術が好きなので芸術が学びたい」という答えが返ってきたときです。誤解のないように言っておきますが、芸術教養学科では実技教育はありませんが、古今東西の芸術の歴史、芸術についての理論については、充実した科目群が用意されています。ですから、そういうものが学べない訳では決してないのです。

ただ、そうした科目群は「学部共通専門教育科目」というものとして用意されています。芸術教養学科でなくても、履修することができるものなのです。
では、芸術教養学科だからこそ学べる専門の科目ではどういうものを取り扱うのか。ここが大事なところなのです。これについては一日体験入学や入学説明会といった機会では必ず話すのですが、webの情報だけだとなかなか伝わりにくいのかもしれません。

芸術教養学科では、「作家」の「作品」に限らず、人の創意が生み出したよいもの、美しいもの全般を扱います。食文化や景観といった、一人の人のアイディアと技に帰するのが難しいものも、そうしたものとして扱います。そうしたものがどのように生み出されたのか、そうした過程をこれからの世の中や生き方にどう活かしていくことができるのかを考える、視点と方法論を獲得します。そのために、先に挙げた古今東西の芸術史はもちろん、さまざまな伝統、デザイン思考のありかた、各地での注目すべき社会的実践などを学んでいくのです。

これまで人間がつくってきた、あるいはつくりつつあるもののなかに、よいもの、美しいものはいっぱいあるのです。ふつう「芸術」として語られるのは、その一部に過ぎません。しかし「芸術」以外のよいものの意味や価値は、ややもすれば見過ごされがちです。そうしたものごとたちを、「芸術」を見るような視線で見つめ直し、語り直す、そうすることで自身の人生をよりよいものとし、さらには世の中をよくしていく、というのがこの学科の目指すところなのです。

こうした芸術教養学科の関心のあり方が現れているサイトがありますので、そちらを是非ご覧ください。
ひとつは、教材にも用いられているwebマガジン「アネモメトリ」(https://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp)です。この誌上ではさまざまな場所での興味深い実践事例が紹介されています。もちろんアートプロジェクトなどが取り上げられることもありますが、空き家の再生・利活用、山深い里でのクリエイティブな試みなど、今日の「創造」のさまざまな場面が切り取られています。

もうひとつは、芸術教養学科の「WEB卒業研究展」(http://g.kyoto-art.ac.jp/)です。これは、卒業研究レポートのうち、執筆者が公開を希望し、かつ資料公開についての許諾等が得られたものを紹介しています。
これらをご覧いただければ、芸術教養学科のまなざしのありようについて、理解いただけるのではないかと思います。

この少し上で、「自身の人生をよりよいものとし、さらには世の中をよくしていく」と書きました。これはどういうことなのか、少し考えてみたいと思います。
ここからは私見になります(ここまでもですが)、ときどき人間性ってなんだろう、と考えることがあります。ニュースを聞いて、「それが人間のすることか…」と思ってしまうことが多々あるのです。

そうしたひどいニュースについてここで触れることはしませんが、「人間的ではない」と思われるものに、二つのタイプがあることに最近気づきました。言われてみれば当たり前なのですが、一つは杓子定規で機械(の一部)のようになってしまっている場合。もう一つは、けだもののようになってしまっている場合です。機械のようになっている人を見た時には、「この人には血が通っていない、もう少し生き物らしくあってほしい」と思います。また、けだものとしかいいようのないような振る舞いをした人のニュースに触れた時には、「人間としての理性はどこにいってしまったんだ」と思います。一方は脳みそ過多の生命感欠如、一方は獣性過剰の理性欠乏、といった感じです。「非人間的」なありように、真逆な二つのタイプがあるように感じられます。

では、人間的なありようというのは、この二つの真ん中にあるのでしょうか。この二つのバランスでなりたつのでしょうか。このあたりはいろんな議論があるところでしょうが、私は同じ「非人間化」の二側面のように思います。人間が人間扱いされない場面、機械のように振る舞うことが求められる環境に置かれると、その人はだんだんけだものになっていくのかもしれないと思うのです。

今私たちが暮らすこの世の中、職場などが、人を人として扱っているかどうか、けっこう危うい時代になってきているように思います。こういう時代に「自身の人生をよりよいものとし、さらには世の中をよくしていく」にはどうしたらよいのか。

そのためには、人間の「人間的」なありようをきちんとつかみ、イメージし、それにそって行動していくほかないのでしょう。そしてそうした人間的なものというのは、芸術はもちろんですが、それ以外のさまざまなものごと(文化)の中に表現されてきたのです。それを読み取るたいせつな仕事をしてきたのが人文学でした。しかし今、その視点や方法を、より多くの人が得、共有することが求められているのだと思います。

芸術教養学科がやろうとしているのは、そういうことなのだと、私は思っています。人間を見つめる視点や方法を、一部の知的エリートではなく、暮らしに仕事に遊びに生きる全ての人に解放すること、さらにデザイン思考という新型のエンジンによって、それを未来に向けて推進することを構想しているのです。

さて本学は今春、通信制大学院に新たに「学際デザイン研究領域」(https://www.kyoto-art.ac.jp/tg/designlp/)を立ち上げます。この1月19日に開催された説明会には、200人を超える方が集まられたとのこと。関心の高さが伺われます。この新しい大学院課程では、芸術教養学科の学びと繋がる発展的な研究実践が行われます。芸術教養学科と、理念的なものを共有しているのです。
この「ビジネスに『デザイン思考の想像力』を」というキャッチコピーを読んで、どう思われましたか? これだけ見ると、儲けに直結することが教えてもらえそうな感じがするかもしれません。

もちろんここでの教育内容の中には、創発的な創造プロセスに関する、「仕事に直接役立つ」ものも含まれています。でもそれだけではありません。
家庭や地域や職場での生活が、より創造的でいきいきとした「人間的」なものとなること。それが個人にとっても世の中にとっても、まわりまわって生産的な意味を持っていくのではないかと思います。私は、芸術教養の意味はそこにあると思っています。

芸術教養を身につけることは、短期的な収益の向上には必ずしも結びつかないかもしれませんが、「人間的」な共生を通じた豊かさにはまっすぐにつながっていると思います。少なくとも、それを踏まえた教育研究を行なっているつもりです。ご関心を持っていただければ幸いです。

 

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