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芸術学コース

2021年11月12日

【芸術学コース】「民藝の100年」展を見る

芸術学コースの大橋利光です。いつの間にやら、秋ですね。芸術の秋、学問の秋を感じておられるでしょうか?

私は先日、東京国立近代美術館の「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」展を見に行ってきました。ご存じの通り、民藝運動の創始者である柳宗悦(やなぎ・むねよし)は、雑誌『白樺』の同人たちとの活動の中で、朝鮮陶磁の魅力に触れ、朝鮮の工芸への関心を深めていきます。そしてそれらの工芸品を生み出した朝鮮の人々にも思慕を寄せていきました。そのような柳と民藝運動をテーマとする本展は、朝鮮近代を専門とする私にとっては、待望の展示でした。

この展示の最も注目すべき点は、民藝「運動」を主眼としている、ということでしょう。つまり、いわゆる民芸品を陳列する展示でないのはもちろんのこと、柳宗悦個人の言葉や思想の展示でもありません。この展示では、それらの要素が皆無というわけではありませんが、それよりも、「民藝運動」というムーブメントの歴史が、目に見える形で示されている、というわけです。

展示は全6章の構成で、1階と2階にまたがる広いスペースがあてられています。章はおおむね年代ごとに区切られていて、民藝運動がどのような方向に、どのような形で展開していったのかという動きと変化を概観できるようになっています。以下、あくまで私の個人的な感想にとどまりますが、展示の各章ごとに目にとまったことをピックアップしてみたいと思います。

「第1章:「民藝」前夜―あつめる、つなぐ(1910年代~1920年代初頭)」では、民藝運動が始まる以前の『白樺』同人たちの活動の様子が展示されています。彼らはどのようなものを好んで見ていたのか、「民藝」を生み出したまなざしが、ここで描き出されていると感じました。

「第2章:移動する身体―「民藝」の発見(1910年代後半~1920年代)」では、民藝運動の最初期の活動の様子が示されています。ここでとくに重視されているのは、この時期までに日本各地に急速に伸びていった鉄道です。柳らによる朝鮮と日本の往来、日本各地を巡回しての調査と蒐集、さらには欧米に渡っての蒐集など、民藝運動メンバーらが盛んに移動している様子が明らかにされています。私にとってはこの章の展示がとくに印象深かったので、のちほどもう一度感想を述べることにします。

「第3章:「民」なる趣味―都市/郷土(1920年代~1930年代)」では、産業の発達や人口の集中などに伴うさまざまな問題を抱えた「都市」と対を成す概念として、「郷土」への関心が高まったことを背景に、民藝運動が各地の伝統的な生活文化を積極的に評価していった様子が示されています。また、それらの伝統文化にならいながら、新しい民藝を生み出す人々を組織しようとしたことも示されています。

「第4章:民藝は「編集」する(1930年代~1940年代)」では、一転して、ミュージアム・出版・ショップという3つの柱を通じて、民藝運動が自分たちの物の見方を「見せる」取り組みを行ってきたことが示されています。過去のものを展示したり紹介したりするだけでなく、民藝を新たに生み出し、流通させるという特徴的な活動の様子が、ここからわかります。ちなみに、このセクションで展示されていた「ににぐり糸(屑繭で紡いだ糸)」のネクタイが、90年も前のものであるにもかかわらず、私の目にはものすごくかっこよく感じられました。

「第5章:ローカル/ナショナル/インターナショナル(1930年代~1940年代)」では、戦時期にさしかかる時代における民藝運動の様子が示されています。一方では「日本」各地の民藝が調査・蒐集され、その成果が地図や展示として可視化されます。また他方では、沖縄、アイヌ、朝鮮、中国・華北、台湾などの民藝に対する関心を示した活動も行いながら、日本文化の対外発信といった動きに参画していった様子も示されています。

「第6章:戦後をデザインする―衣食住から景観保存まで(1950年代~1970年代)」では、第二次世界大戦後の民藝運動が、日本文化の発信にとどまらない国際文化交流へと歩を進めていく様子が示されています。そのなかで、インダストリアル・デザインへの展開や、建築保存・景観保存といったことにも関わっていく様子が示されています。

以上のように、1910年代から1970年代までの約半世紀余りにわたる民藝運動の多面的な展開が、この展示の中に凝縮されています。非常に濃密な内容で、じっくり見始めるといくら時間があっても足りないほどです(なにしろ、展示室の入口に「時間配分にご注意ください」という注意書きがあるのですから!)。私も、1回見ただけではまだまだ吸収しきれていない部分が多々あり、ぜひもう一度見に行かなければ、と思っているところです。

そうした中でとくに印象に残っているのは、先にも触れましたが、第2章における鉄道への言及です。ここでは民藝運動のメンバーが「移動する」ということに力点が置かれているようですが、私としては、もう少し違うとらえ方ができそうな気もしています。

「民藝」つまり「民衆的工芸」というからには、「民(民衆)」の存在を見いだすことが運動の核となっているはずです。そしてその「民」は、第3章で示されているように、「都市」との対を成すものとして見いだされたのでした。ここでいう「都市」とは、「科学(化学)」に立脚した「現代」の都市空間であり、それと対比される「郷土」の「民」とは、「近代以前」の時空に生きている人々だということになるでしょう。とすると、「郷土」に旅立つための鉄道とは、現代的「都市」と前近代的「郷土」の間の時間的差異を地理的差異に置換する装置として機能していると言えます。やや乱暴に言い換えるなら、鉄道は前近代的「郷土」に旅立つためのタイムマシンだったのではないか、ということです。日本各地の民藝を地図上に示した大きな屏風絵、《日本民藝地図(現在之日本民藝)》(1941年)は本展の目玉のひとつですが、そこには各民藝へのアクセス方法を図示するかのように、各地に延びる鉄道路線が描かれています。つまり、現代「都市」の住民と「郷土」の民藝をつなぐ(と同時に、その一方で隔てる)ものとして、鉄道が大きな存在感を持っているのだと言えるでしょう。

近代の資本主義は、異なる価値体系の間の差異を媒介することで利潤を得る仕組みだ、といわれることがあります(岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』筑摩書房、1992年[初版1985年])。民藝のまなざしも、現代都市住民の価値観と、それとは異なる前近代的「郷土」の価値観の差異を媒介することで、当初は成り立ってきたのではないかとも思えます。第4章の中で、柳が雑誌『工藝』の連載記事として、「良い」作品と「悪い」作品の図版を対比させながら、自らの着眼点(「美の標準」)について語っていることは、まさにこの価値観の差異を示すものと言えるでしょう。柳は両者の価値観の差異を媒介し、その上位に立つことで、自らの物の見方が揺るぎないものであることを示しているのだと、私には思われます。

初期の民藝運動に顕著に見られたこのような「差異の媒介」の視線が、ともすれば都市住民たちのオリエンタリズム的視線にとどまってしまう危険性をはらみながら、次第に形を変えていったことが、展示を通してうかがわれました。民藝運動に対するこのような視角が得られたことは、私にとっては大きな収穫でした。

ただ、少し惜しいと思われるのは、そうした「差異」に注目する民藝運動の視線が、1945年をはさんで戦後にどのようにつながっていったのか、そもそもつながりはあったと考えるのか、なかったと考えるのか、そういった点が少し見えにくくなっていたことです。「戦前/戦後」でぷっつりと途切れさせて、戦後新たにリスタートした民藝運動、という印象を見る者に抱かせてしまう展示構成であるようにも思われますが、戦前と戦後には何の連続性もなかったとまでは言えないでしょう。この点については、私自身も今後注視していきたいと考えているところです。

ずいぶん長く語ってしまいました。ところで私は、金曜日の夜間開館を利用してこの展示を見学しました。ほかの観覧客もそれほど多くなく、十分にお互いの距離を保ちながら、自分のペースでじっくり展示を見ることができました。展示会期の後半にさしかかると次第に人も増えてくることが予想されますが、金曜・土曜の夜間開館も利用すれば、わりあい快適に展示を見ることができるかと思います。さらに言うと、本学の学生であれば、通常の学割よりもさらに安い「キャンパスメンバーズ」料金で入館できますので、ぜひ積極的に活用することをおすすめします。

ちなみに、こちらが展示図録。シンプルでシックな装丁です。12月には布装の特装版が発売されるとのこと。そちらも見てみたいものです。

▼柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年 https://www.momat.go.jp/am/exhibition/mingei100/



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