入学選考料 | 20,000円 |
---|---|
入学金 | 30,000円 |
保険料 | 140円 |
授業料 | 231,000円 × 4年間 = 924,000円 |
卒業までの合計金額の目安(4年間) |
入学選考料 | 20,000円 |
---|---|
入学金 | 30,000円 |
保険料 | 140円 |
授業料 | 231,000円 × 2年間 = 462,000円 |
卒業までの合計金額の目安(2年間) |
芸術学科
SCIENCE OF ART
芸術作品の見方が深まる知識と感性を養いながら、
美術史や芸術理論などの専門的な学びを深化。
自分の方向性を見出し、研究するための技術や考え方を身につけます。
日本、ヨーロッパ、アジアなど、幅広い地域の美術史や特性を考察。さらに芸術理論や美術資料の読み方など、芸術学の基礎を全方向から学ぶことで、これまでとは違う視点から、より深く芸術作品を理解できる知識や感性を身につけられます。
「制作者について」「作品の成立背景とは」「美とは何か」「なぜ人によって美が違うのか」など研究テーマはさまざま。自ら研究テーマを設定し、芸術について深く学び、自分の興味や価値観を見つめ直した上で、丁寧な指導のもと研究結果を論文にまとめあげます。
本コースがめざすのは、学生自身が芸術の魅力や可能性を知るだけでなく、それをより多くの人に伝えられるようになること。実際に、本コースでの学びと並行して学芸員課程を受講し、芸術普及をめざす人も多くいます。
入学選考料 | 20,000円 |
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入学金 | 30,000円 |
保険料 | 140円 |
授業料 | 231,000円 × 4年間 = 924,000円 |
卒業までの合計金額の目安(4年間) |
入学選考料 | 20,000円 |
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入学金 | 30,000円 |
保険料 | 140円 |
授業料 | 231,000円 × 2年間 = 462,000円 |
卒業までの合計金額の目安(2年間) |
大学、短期大学、専門学校等をすでに卒業している方は、京都芸術大学通信教育部(大学)芸術学コースに3年次編入学ができるため、最短2年間で専門分野の基礎を身に付けられます。大学入学から大学院修了まで、最短4年間で学ぶことができます。
また、通信教育部卒業生は大学院入学時に入学金10万円が免除されます。
書類審査
(大学等の卒業証明書など)
最短2年
3年次編入学の出願資格に
該当しない方は最短4年(1年次入学)
通信教育部
芸術学コース
書類審査
(指定提出物など)
最短2年
大学院
芸術学・文化遺産領域
芸術を学んだことがアピール点となり、志望していた現在の会社に就職。「なぜその位置に展示するのか、理由まで学芸員さんが教えてくださるので、いろんな意味で勉強になります」。
「衣を脱ぎ去った聖人|聖セバスティアヌスの図像表現の変遷|」と題した論文で先生をうならせた渡邊さんは、22歳で入学。「制作は苦手だけど、美術が大好き。一般大学を卒業する頃に、芸術学という分野があるのを知って」。どうせなら幅広い年代の社会人と学び直そう、と本学へ。美術館を訪れるスクーリングで、自分ひとりではなく、さまざまな人の視点から作品をみる面白さを知った。かたや、予想外に手こずったのは、慣れているはずのテキスト科目。「課題の意図を読み解けなくて」。どこか受け身だった現役時代の学びとは違って、すべてをゼロから考え、調べるのが研究の原点。そんな紆余曲折こそが、成長の実感へとつながる。「自分で見つけた!という興奮を味わってからは、レポートが苦じゃなくなりました」という渡邊さん。ついに卒業論文で、惚れ込んでいた聖人の絵と向き合うことに。
出会いは、旅先の美術館。「なぜここに、こんなイケメンが?」という第一印象からはじまった、聖人との恋。論文テーマに決めてからは、日本語の文献が少ないという言葉の壁にぶつかり、好きな気持ち聖人女子に客観的な思考を邪魔され、空回りばかり。初心を取り戻そうと、ありったけの聖人の絵を集めて見直したところ、不思議な発見をした。「描かれた時代がすすむにつれ、どんどん若く、薄着になっていくんです」。まさに「なぜイケメン?」という初対面での疑問が、先生も認める新たな視点となったのだ。ユニークな論文を仕上げた卒業後は、美術品を運搬する企業に就職し、晴れて社会人の仲間入り。「仕事こそ勉強の連続ですね、いちいち教われないことも多いけれど」。自分から考え、調べる姿勢が、大きな支えになっているという。「これからも考えつづける人生を送り、いつか大学院で学びを深めたい」という渡邊さん。その時は何をテーマに?という問いに、「やっぱり、この聖人かも」と照れながら微笑んだ。
卒業したいまも、学友たちとメールやSNSで近況を伝えあい、飲み会などを開催。「気に入った展覧会や作家について、夢中で話し込んでいると、青春時代に戻ったようです」。
松田さんを本コースへと誘った、その男性の名は関根正二。いまから100年前に夭折した洋画家である。「いつか芸術を本格的に学びたい」という長年の希望と、この作家との出会いに背中を押され、本学の扉を開いた。「親も高齢になるので、やりたいことをできるうちに、という気持ちもありました」。
絵の好きな父に手を引かれ、美術館に通いはじめたのは幼稚園の頃。それなりに詳しいつもりでいたが、入学して、自分よりずっと若い先生方の知識に圧倒された。「どれだけ数多くの作品を見ようと、それぞれを個別に捉えていては、理解したとは言えないんですね。時代の傾向や文化、政治など、すべてがつながって、ひとつの作品が生まれるのだと教わりました」。さらに、写真やデッサンなどの実技科目にも挑戦。「制作系の学生さんとも知り合えて、作り手の気持ちに少し近づけた気がします」。孤独だと思っていた通信教育で、驚くほど豊かに広がっていった人の輪。ちょっとした学習の相談から芸術論まで、世代を超えて熱く語り合える学友との出会いは、他では得られない貴重なものだったという。
多くの人や学びにふれ、見る絵のジャンルも広がり、それでも松田さんに心変わりはなかった。関根についての数少ない文献を何度も読み返し、どこの店に通っていたかまで調べ尽くす。「まるで恋する乙女、いやストーカーだね、なんて学友にからかわれました」。その甲斐あって、図録の小さな写真から、持論の裏付けとなる証拠を発見。「頑張る人には、いつかそういうご褒美が降ってくるものです」と、偶然をつかんだ粘り強い努力を、先生に讃えられた。
「いまは大学院で、関根を直接知る人の資料を集めて整理を試みています。記憶や記録が失われてしまう前に、なんとか後世に残したくて」。貴方を忘れない。忘れさせない。松田さんの情熱は、短すぎた画家の生き様を、末長く人々の心に刻みつけていく。
最初のスクーリングで知り合った学友とは、いまも足しげく美術館に通う仲。「入学がきっかけでLINEをはじめました。芸術という、共通の楽しみでつながりあえる友人は、本当に貴重な存在です」。
一般の短大を卒業後、事務職で働きながら、美術館通いを趣味としていた脇丸さん。ある日ふと新聞広告で、通信で芸術学士という文字を見つけた。「ちょうど琳派400年の前年で、勝手に運命を感じてしまって」。長年好きだった日本の古典をはじめ、古今東西の芸術について学ぼうと入学を決めた。「とはいえ未経験のことばかりで、最初はレポートに苦労しました」。
ピンチを救ったのは、思いがけない学友の存在。「通信なのに、こんなに交流があるんだとビックリ」。スクーリングで知り合った友人に学習のコツを教わり、SNSで励ましあって学びをすすめた。さらに、先生の添削も大きな支えに。「内容のまとめ方から文章表現まで、紙の上ながら、手とり足とり教わるようでした」。やがて論述にも慣れ、レポート作成を通して、新たなものの見方や知識を深めていった脇丸さん。ついに卒業研究として、憧れの《風神雷神図屏風》と向き合うことになった。「まずは論文の書き方や文献の調べ方などのテクニックをいちから教わり、核心となる考え方にすすむのですが…」。行く手には風雲ならぬ暗雲が。
「先行研究は疑ってかかれ」。そんな先生の言葉に驚き、すぐに納得した。「他を批判的に見なくては、自分の研究ができないんです」。超がつく名作を選んだために、無数の先行研究が大きな壁となったのだ。「あれもこれも語り尽くされ、一体何を書けばいいんだろう」悩み抜いた末に得た結論は、「あえて著名な先行研究を土台に、自分らしい見解を加えること」。先生の導きもあり、納得いくものにできたという脇丸さん。「卒業後は、ぽっかり穴があいた気分に。学士とともに取得した学芸員資格をボランティアで活かそうと、手話を習いはじめました」。ひとたび身につけた目や技は、あらゆるかたちで芸術との絆になっていく。本コースに来たそのときが、脇丸さんにとっての琳派元年、芸術学元年だったかもしれない
現在は学芸員資格課程を履修中。「資格を得ることで、小川三知の作品展示や紹介に少しでも役立てば、と思って挑戦したものの……再びテキスト科目に苦しんでいます」。
「たまたまテレビ番組で見かけたステンドグラス作家、小川三知の作品が頭から離れなくて」。もっと深く知りたい、研究したいと思いつづけてきた井村さん。「今やっておかないと必ず後悔する」と、仕事をしながらの入学を決めた。「とはいえ最初は、上級のカルチャースクール程度に考えていたんです。でも、とんでもなかった」。テキスト課題やスクーリングのレポートに返される添削指導の細かさ、そして厳しさ。「成績がよくない時ほど、丁寧にご指導いただけて。先生の熱心さが、通信という距離をこえて伝わりました」。
幅広いカリキュラムの中には、自身の興味とかけ離れた分野もある。しかし、学ぶうちに「すべてがどこかでつながっている」と感じられた。また、各界を代表する先生の講義はもちろん、学友たちと互いの分野について熱く語りあうのも楽しかった。「予想以上に、仕事や介護、子育てをしながら学んでいる方が多くて。多忙ながら時間をやりくりして頑張っている姿に、何度も励まされました」。
少しずつレポートに慣れ、東西の芸術への知識を深め、あらためて「私が研究したいのは、やっぱり小川三知」と確信した井村さん。作者を愛好する会に入り、各地に残る作品を訪ね、親族への取材を行い、新たに出会った人々の助けに感謝しながら研究をすすめていった。「まだまだ知名度の低い作家なので、資料も研究する人も少ないんです」。卒業論文をまとめ終える頃には、自分も数少ない研究者のひとりになっていた。「おかげで、三知の地元にある美術館で、研究発表をする機会までいただきました」。自身の努力が世に出ることより、とにかく小川三知の魅力を、ひとりでも多くの人に伝えたい。新たな研究者が増えることで、埋もれた作品の保存につなげたい。そんな一心で、これからも研究活動をつづけると決めた井村さん。三知について語るその表情は、光を受けたステンドグラスのように輝いている。
卒業後は大学院の「比較芸術学分野」に進学。大学院ならではの「プレゼンテーション」という新たな難題に悩まされつつ、フジタ研究を深めつづける。
「まさか自分がこうなるとは、思ってもみませんでした」という加藤さん。本コースを卒業して大学院へすすみ、さらに研究を深めている。けれど入学前は、ただの美術好きな主婦。一人娘が手を離れ、カルチャースクールの延長のようなつもりで入学を決めた。「考えが甘かったですね。与えられる学びの広さ、求められる思考の深さにがく然」。もちろん深く学ぶほど、得られる喜びも深い。悩んで書きあげたレポートには、びっしり細かく先生からの添削が。現地研修では、先生や学生数人で行動をともにし、大人の修学旅行を味わった。「卒業論文テーマを藤田嗣治に決めていた私は、〝フジタの加藤さん〞なんて呼ばれて」。しかし、いざ着手してみると、そのフジタが大きな壁となった。
「散漫な随筆です」。先生から辛辣に批評され、ショックを受けた。本学に来てから、デッサンなどの体験を通して、絵の見方が変わった。少しずつ知識も増えてきた。しかし、それだけで持論を生むことはできないのだ。思い悩み、一時は作品を見るのも嫌になっていた加藤さんに、先輩からの助言が。「思考を止めないで、どこにいても常にメモを持ち歩いて」。その言葉を胸に、久しぶりにフジタの展覧会に足を運び、これまでの苦悩がふっきれた。「やっぱり好き。だから、がんばろう。素直にそう思えたんです」。
題材をいちから見直し、なんとか人生初の論文を完成。「あの厳しいご指摘がなかったら、中途半端なままだった。愛あるダメ出しに、今は感謝しています」。先生の他にも、豊かな知を持つ学友たち、大学を通して知り合えた美術関係者、パソコンの指南役になってくれた家族など。いろんなつながりが自分を支えてくれた。「芸術は人の魂を救い、生きる力を与えてくれる」。そんな名言が身にしみた、とつぶやく加藤さん。好きなフジタと向き合う先に見たのは、芸術学という学びの原点そのもの、だったのかもしれない。