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歴史遺産コース

2021年11月16日

【歴史遺産コース】1200年の教えを伝える「お山」―比叡山と世界遺産を学ぶ―

歴史遺産コース教員の石神裕之です。
京都を囲む山々も少しずつ色づいてきました。瓜生山も薄紅葉です。

瓜生山の薄紅葉



さて今回は歴史遺産コースの数あるフィールドワーク授業のなかでも、最も人気が高い「歴史遺産II-4 世界遺産 比叡山延暦寺」をご紹介しつつ、世界遺産を学ぶ意味について考えてみたいと思います。

延暦寺会館よりの琵琶湖の日の出



比叡山といえば、信長の焼き討ちを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。実は今年はこの焼き討ちから450年の節目に当たります。

 1571(元亀2)年912日、織田信長の率いる大軍が浅井・朝倉連合軍と組んだ延暦寺を攻めました。それによって100を超す堂宇が焼き払われ、多くの僧侶や関係者が亡くなったと伝わります。延暦寺では「元亀の法難」とも呼ばれます。

 450年目の今年、なんと織田信長と明智光秀の子孫も延暦寺に集い、盛大に慰霊法要が行われたと報道がありました。

 

突然ですが、ここで問題です。

この焼き討ちに際して焼失を免れた建造物はあったのでしょうか?

※答えはブログの文末に!

 

さて、比叡山はご存じのように「最澄(767822)」によって開山されました。最澄は三津首百枝(みつのおびとももえ)の長男として生まれ、幼名は広野(ひろの)と呼ばれていたそうです。
※生年については、異説もあります。

15歳で得度し、最澄を名乗ります。そして延暦4年(785)、東大寺戒壇院で具足戒(僧の守るべき戒律[250])を受け、正式に僧侶となりました。

 しかし、その三ヶ月後には比叡山に登り修行生活に入りました。延暦7788)年、一乗止観院(後の根本中堂)を創建、薬師如来を自ら刻み、本尊としたと伝わります。

 そしていわゆる「日本仏教の母山」と言われるように多くの高弟たちを輩出し、鎌倉新仏教とも呼ばれる宗派の祖師、すなわち法然、親鸞、道元、日蓮、一遍などはそろって比叡山延暦寺で修行しています。

 それほど最澄が中国より持ち帰り、さらに比叡山で育んだ「天台教学」の体系が優れていたということでもあるのでしょう。

 三塔十六谷とも呼ばれて、東塔・西塔・横川(よかわ)など山内にたくさんの修行の場が設けられ、数千人の僧侶が天台の教えを学びました。

 今年は、その最澄が遷化(逝去)して1200年の節目(伝教大師一千二百年大遠忌)にあたることから、山内外で様々なイベントが行われています。

 詳細は延暦寺のホームページでご覧いただければと思いますが、タイミングよく「歴史遺産II-4 世界遺産 比叡山延暦寺」の開講時期と重なり、「戒壇院(かいだんいん)」の内部を見学することができました。

修理を終えた戒壇院



「戒壇院」とは、「戒」を授かる授戒の場です。最澄は「天台教学」をもとにした大乗戒の受戒を延暦寺で行うことが悲願でしたが生前には叶わず、弟子の光定(こうじょう・779〜858)の奔走もあって、没後7日後に勅許されました。

今回、修理を終えた戒壇院は朱漆も美しく蘇りました。焼き討ち後、延宝61678)年に再建されたもので、現在は国指定の重要文化財 (明治34[1901]年指定)建造物となっています。

天台宗にとっても最も大切な場所と言えるわけですが、天台宗の僧侶でも、この堂には生涯に一度きりしか入ることがないそうです。授業に参加された学生の皆さんも、とても厳粛な空気感を感じられていました。
20211212日(日)まで特別公開されています。詳しくは末尾の延暦寺ホームページをご覧ください。

今年は、延暦寺の寺宝を展示する「国宝館」でも、「戦国と比叡〜信長の焼き討ちから比叡復興へ〜」と題した特別展を行なっており、天正121584)年の羽柴秀吉から出された復興に関する「判物」や焼き討ちで焼損したと考えられる天部形立像(平安時代、滋賀・覚性律庵蔵)など、こちらも見応えのある展示でした。
2021125日(日)まで開催されています。詳しくは末尾の延暦寺ホームページをご覧ください。

さらに現在、延暦寺の中心的堂宇である「根本中堂(こんぽんちゅうどう/寛永19[1641]年復興・昭和28[1953]年国宝指定」も大修理中です。平成282016)年から始められ、本堂の銅板葺きや廻廊の栩葺の葺き直し、塗装彩色の修理などが順次進められています。

修理前の根本中堂 2016年撮影



完成は2026年の予定ですが、コロナ禍の影響もあって少し伸びる可能性もあるようです。「修学ステージ」と称した工事の様子を見学できる場も設けられています。こちらでも参加された学生さんは、天井の板絵や屋根の栩葺の板の厚さなどを真剣に観察されていました。

修理中の根本中堂の回廊



いわゆる文化財としての延暦寺の建造物修理の様子を、間近で見る機会はなかなかないですので、ぜひご覧いただきたいところです。

こうした文化財もたくさんあり、日本仏教の母山としての立場を保ってきた比叡山延暦寺ですが、「世界遺産」となった理由を皆さんはご存じでしょうか。

「古都京都の文化財」というタイトルで、平安建都1200年を迎えた199412月に京都各所の神社仏閣など17の構成資産からなる文化遺産群が登録されました。

そもそも世界遺産の登録に際しては厳しい審査があり、「選定基準」が定められているものでもあります。その基準や評価のポイントとはどんなものであるのか。滋賀県と京都府にまたがる比叡山延暦寺はなぜ「古都京都の文化財」なのか。

いろいろと謎が深まっていくわけですが、その意味を知るには、まずはこの「御山」を訪れることが最も早道です。

歴史遺産コースのこの授業では、現在も修行道場でもある現地に赴くことで、建物ばかりでなく、開山以来続く法会を拝見したり、延暦寺で修行された僧侶の方にお話をお聞きします。

それによって、いわゆる観光としてではなく大学の学びとして、比叡山延暦寺や世界遺産の意義について深く知ることができます。

来年はぜひご一緒に比叡山延暦寺を学びにお山へ参拝いたしませんか。お待ちしております!

※「歴史遺産II-4 世界遺産 比叡山延暦寺」は2日間の日程で行われます。新型コロナウイルス感染症対策により、今回は現地での宿泊はせず、両日とも現地集合としています。
※比叡山延暦寺ホームページ https://www.hieizan.or.jp

※なお東京国立博物館では「伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」平成館・特別展示室【会期】20211012日(火)~ 20211121日(日)も開催中です。その後、九州国立博物館・京都国立博物館に巡回します。

 

《クイズの答え》

西塔の「瑠璃堂」は禅宗様(唐様)の特徴をもち、室町時代後期の建造物と評価されています。かつては比叡山内の別の場所にあったともいわれますが、信長の焼き討ちを逃れた唯一の建造物だそうです。1912年に国指定重要文化財となっています。

【↓瑠璃堂(2020年の特別公開の際、「歴史遺産II-4 世界遺産 比叡山延暦寺」の開講が重なり、授業で見学しました)】

 

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