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芸術学コース

2021年12月16日

【芸術学コース】曖昧な「天使」

【fig.1】教会で頂いた、我が家の天使たち



皆さん、こんにちは。芸術学コースの佐藤です。もうすぐクリスマス。寺社仏閣に溢れた京都とはいえ、さすがに街角ではイルミネーションやオーナメントを目にする季節となりました。クリスマスが描かれる物語は沢山ありますが、なかでも個人的に印象深いもののひとつに、『フランダースの犬』が挙げられます。アニメ版でも、クリスマス前夜、ルーベンスの絵画の前で主人公のネロ少年とパトラッシュが息絶える場面はあまりにも有名です。

【fig.2】ネロとパトラッシュを迎えに来る天使たち ©日本アニメーション



この場面では、「天使」たちが舞い降り、彼らを天に導きます。かつて私は、この場面に差し掛かると感涙のためにきちんと観ていませんでしたが、後年に観直した際、ふと、この「天使」たちにかすかな違和感を覚えました。翼のある裸の幼児たち。天使ってこんな感じだったかしら。受胎告知を表した作品などに登場する天使とは、だいぶ違うような…。

そもそも、天使の形象とはどのようなものなのでしょうか。皆さんは、「天使」というとどのような姿を思い浮かべますか。先述のような裸体の幼児、あるいは白衣姿に光輪、はたまた女性や女児の天使など、人によってさまざまな「天使」が思い描かれることと思います。いずれにせよ、ひとくちに天使と言っても、性別や年恰好、持ち物や容貌など、意外にも多様なイメージが存在するのではないでしょうか。そこで今回は、天使の形象の変遷とその背景について、概観してみたいと思います。

【fig.3】《ヘルメスとサテュロス》(前525-475年頃)、アッティカ式赤像式壷絵、ベルリン、古代コレクション



「天使」を指す語のなかでも、英語angel、仏語ange、伊語angeloなどの語源にあたっているのが、古典ギリシア語のアンゲロスです(ἄγγελος)。アンゲロスとは、「使者、伝令」という意味です。歴史書や悲劇をはじめとする古典ギリシア語文献には、数多くの使者・伝令が登場し、重要な役割を担うこともしばしばです。

また、ギリシア神話のなかでも、ヘルメスという神が、神々のいわば伝令役として、あるいは魂の導き手として、随所で活躍します。ヘルメス図像の典型例としては、【fig.3】のように、翼付きの帽子や翼付きの靴、手には二匹の蛇を象ったケーリュケイオン(またはカドケウス)と呼ばれる杖を手にしています。じつは、ヘルメスはボッティチェッリ《春》などの名画にも密かに姿を現していますので、これらのアイテム(美術史用語でいうところのアトリビュート)を目印に探してみてください。また、ヘルメスはいかにも伝令らしく、今日でもギリシアの郵便局のロゴマークにも登場し、メッセージ伝達の象徴として機能しています(【fig.4】)。

【fig.4】ギリシアの郵便ポストのデザインには、ヘルメスの横顔が用いられている。



アンゲロスが使者・伝令であることは前述のとおりですが、日本語の「天使」もまた、文字通り「天の使者」ですね。ユダヤ・キリスト教における天使も、神の御言葉を告げる存在として登場します。なかでも、伝令役としてよく知られるのは大天使ガブリエルであり、マリアに処女懐胎を告げる役で、受胎告知の場面に登場します。大天使ガブリエルはまた、先述のヘルメス神と同様、情報伝達にかかわる職業の守護天使でもあるとのこと。

【fig.5】フラ・アンジェリコ《受胎告知》(1437-1446年)、フィレンツェ、サン・マルコ美術館蔵



ところで、受胎告知を描いた絵画、しかも点数の多いルネサンス期の作品だけを比較してみても、大天使ガブリエルの衣は薔薇色であったり、色の異なる衣を幾重も纏っていたりと、純白の衣ではない事例がきわめて多いことに気づくことでしょう。また、その翼についても、白よりも極彩色のものが多いのは意外に感じられるかもしれません。

【fig.6】カルロ・クリヴェッリ《大天使ミカエル》(1476-1485年)、ロンドン、ナショナルギャラリー



同じ大天使でも、ミカエルは、ガブリエルとはまた趣の異なるいでたちです。彼は、鎧を身に着け、剣(および天秤)を手に、堕天使サタンを踏みつける姿で描かれることが多いようです。あるいは、アダムとイヴが楽園から追放される場面にも彼が登場します。

また、ミカエルではありませんが、【fig.7】のように、同じく武装した天使たちも描かれています。今日のわれわれは、「天使のような」との形容を、優しげで可愛らしいものに対して用いることが多いのではないでしょうか。しかし、大天使ミカエルやこの武装した天使軍団は、まったく異なるイメージをもたらしてくれるはずです。

【fig.7】グアリエント・ディ・アルポ《武装した天使たちの一団》(1360年頃)、パドヴァ市立美術館蔵



はたまた、頭部と翼のみの形象をとる天使たちもいます。彼らは、上述の大天使たちのようないわゆる「御使い」とは別種です。例えば、天使の階級でも最上位にある熾天使(セラフ/セラフィム)は、3対6枚の翼を有し、その色は伝統的に赤色系が多いようです。いっぽう、熾天使に次ぐ第二位の智天使(ケルブ/ケルビム)の翼のほうは一様ではなく、一対のものから三対のものまであり、色も青や黄金など多岐にわたります。これら熾天使や智天使らの、翼に覆われた顔という形象は、人間の姿よりも炎や光により近しいような気がします。

【fig.8】アンドレア・マンテーニャ《ケルビムの聖母》(1485年頃)、ミラノ、ブレラ絵画館蔵。聖母子の周りを囲んでいるのがケルビム。



以上、主な天使の形象を概観してみましたが、いずれの形象も、俗に「天使」と言った時に思い浮かべるものとはそれぞれ若干異なる気がしませんか。無論、個人差はあるでしょうが、「天使を描いてください」とお題を出されたら、幼児ないし年若で、緩やかな白い長衣(あるいは裸体)、光輪と翼を伴った優美な姿を描く方が一定数いらっしゃるのではないかと思います。では、そのような「天使」のステレオタイプ化されたイメージは、どのように形成されていったのか、以下で探ってみましょう。

天使に限らず、表象とは、時代や文化的背景によってさまざまに異なります。例えば、いわばヒラの天使たち、およびガブリエルやミカエルら大天使といった「下位の天使」たちは、熾天使や智天使らと異なり、元来は翼を有していなかったそうです。しかし、中世以降、彼ら下位天使たちも、翼ある者として想像されるようになります。この変化の背景には、東方世界における精霊の表象などからの影響も指摘されているようです。また、先述のミカエルや天使軍団のような雄々しい姿や、あるいは少年の姿の聖歌隊として描かれるようになるのもこの頃からだそう。さらに近世以降になると、天使は、概して有翼で、子供や幼児、女性的な姿であったり、男性にしても柔和で中性的な姿であったりと、変化に富んでいきます。

【fig.9】ボッティチェッリ《春》(1482年頃)、フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵、部分拡大



とりわけ、幼児姿の天使については、ルネサンス以降にクピドの表象と融合した可能性がしばしば指摘されてきました。クピド(アモルと呼ばれることもあります)とは、ローマ神話に登場する愛神であり、ギリシア神話のエロースに相当します。ちなみに、クピドというこのラテン語の名は、英語のキューピッドの語源にあたっており、つまりは我が国の某食品メーカーのマスコットとしても有名なキューピーちゃんの原型といっても過言ではありません。さて、話を戻すと、エロースないしクピドは、愛神というだけあって、神人問わず射抜かれた者に愛を吹き込む金の矢と、愛を去らせる鉛の矢、そして弓を携えた姿で表象されることが多いため、美術作品でも比較的同定しやすい登場人物です。また、クピドは、概して裸体・有翼の幼児姿で表されます。

【fig.10】エロースを描いたアッティカ式赤像式アリュバロス(前480-470年頃)、パリ、ルーブル美術館蔵



しかしながら、クピドに相当するギリシア神話の愛神エロースの表象を概観すると、元来は幼児ではなく青年として想像されていたことの窺える作品が多く見受けられます(【fig.10】参照)。ただし、時代が下ると、ギリシア美術においてもエロースは裸体の幼児姿をとることが多くなり、クピドの形象に接近していきます。いずれにせよ、幼児姿の天使という形象への影響が指摘されるクピド/エロースの表象じたい青年から幼児へと変遷した経緯があるという点は、注目に値すると思われます。

【fig.11】エウフロニオス作画《トロイアの戦場から運び出される戦士サルペドンの遺骸》(前515-510年頃)、アッティカ式赤像式クラテル、ニューヨーク、メトロポリタン美術館蔵



  ところで、エロースの他にも、ギリシア神話には有翼の者が多数登場します。眠りの神ヒュプノスと死の神タナトスという双子の神も、その一例です。【fig.11】は、この双子の神が、戦場で死骸を運んでいる場面です(ちなみに中央には先述の翼付き帽子を装着したヘルメス神が、魂の導き手として登場しています)。いずれの登場人物についても、図像の脇に名前がギリシア語で明記されています。なお、私見ではありますが、タナトス(死)とヒュプノス(眠り=小さな死)の二神は、いずれも現世と冥界の間にある存在として、天使と一脈通じているようにも思われます。ちなみに、【fig.11】の図像を見ていると、構図の類似性からか、【fig.2】の天使に運ばれるネロとパトラッシュを想起してしまうのは、私だけでしょうか。

さて、この辺で冒頭の問いに立ち戻りましょう。今回は、アニメ『フランダースの犬』で描かれた裸体の幼児姿という天使像にたいする違和感から、天使の形象とはいかなるものかという問いを端緒に、いくつか天使の姿およびその周辺を概観してきたのでした。多様な天使の表象を目にしてきたいま振り返ると、私が感じた例の違和感は、おそらく、「天使=白い衣、有翼、中性的な成人」という無意識の固定観念に発していたのではないかと思えてきます。裸体の幼児姿の天使は、たしかに「元来」の天使の姿とは異なるかもしれません。しかし、今回概観してきた形象の変遷に鑑みれば、クピドをはじめとするさまざまなキャラクターとの混交のなかで十分に生じうる形象であり、あながち滑稽なものとは言い切れないでしょう。

【fig.12】森永ロゴマークの変遷 ©森永製菓 https://www.morinaga.co.jp/company/about/history.htmlより転載



同様のことは、お馴染み、森永製菓のエンゼルマークにも見出すことができます。【fig.12】は、エンゼルマークの変遷です。頭部と翼のみの現在のマークに至る以前は、長らくキューピーちゃんのようにも見える有翼・裸体・幼児姿として親しまれていたことが分かります。つまり、森永の天使ひとつみても、エンゼルといいながら、愛神クピドの影響を受けたような幼児姿の天使から、ケルビム風の天使へと変化しているのです。ここにも、先述のアンゲロス(天使)とクピド(愛神)の交叉がみられます。

むろん、こうした変更・変遷が間違いだと言いたいのではありません。むしろ、唯一の「正解」や「真の姿」を求めるよりも、細部の差異や亜種に着目してみることで見えてくるものも沢山あるものです。今回は、天使を例に、ほんの一端を覗いたに過ぎませんが、馴染みの表象の経糸と横糸を解していくと、なかなか楽しい発見に出逢えることがあります。ぜひ多くの方に、このささやかな(しかし奥深い)喜びを味わっていただきたいと願っております。

それでは、皆さん、よいクリスマスおよび新年を!


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