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芸術学コース

2021年10月19日

【芸術学コース】トルチェッロ島、いくたびも

みなさん、こんにちは。芸術学コースの武井美砂です。秋も深まってまいりました。いかがお過ごしでしょうか。今回は、美術史を長く続けていると、同じ作品に何度もめぐり会うことができる、そしてその都度、作品への理解は深まっていく、というお話をしてみたいと思います。というのも、先だって、ヴェネツィア近郊のトルチェッロ島という小さな島の教会堂に私はまたしてもめぐり会うことができ、少なからず感動したからです。

みなさんはトルチェッロ島をご存知でしょうか。とても有名とはいえませんので、おそらくは知らない方の方が多いでしょう。私がこの島のことを初めて知ったのは、今から四半世紀前、西洋中世美術史を志そうかと思い始めた頃のことです。夏にヴェネツィアへ行く機会があったので、指導教官のK先生に「先生、ヴェネツィア近郊で見るべき作品は何でしょうか。やはりパドヴァのジョットでしょうか。」とお尋ねしたところ、先生は即座に「トルチェッロ島だよ。」とおっしゃいました。「えっ、どこですか、それ?」と思いましたが、そうともいえず、私は素直にその聞いたこともない島を訪ねたのでした(図1)。

図1 トルチェッロ島



トルチェッロ島はヴェネツィア本島から北西へ船で約1時間、ガラス細工で有名なムラーノ島、レース編みで有名なブラーノ島を経て、さらにその先のラグーンの奥に位置しています(図2)。

図2 トルチェッロ島の位置



ヴェネツィア発祥の地ともいわれており、古代末期にアッティラの侵略から海上へ逃れた人々が住み始め、710世紀には2万人を越える人口をほこっていたということです。現在ではその歴史的使命を終え、すっかり寂れているとのこと。ホテルの人からも「トルチェッロ島にはレストランが2軒しかないから予約して行った方がいい。」と勧められたほどです。実際に水上バスがラグーンを進むにつれ、人の営みの気配はどんどん薄れ、あたりは荒涼とした景色となっていきます(図3)。

図3 ヴェネツィアのラグーン



「これがヴェネツィアの原風景か。」とやや心細い気持ちにもなったことを思い出します。しかし、島に着いてみると、トルチェッロ島は静かでのどかで緑豊かな実に気持ちの良いところでした(図4)。

図4 聖堂と港の間の水路



夏に訪れたのも良かったのでしょう。後で分かったことですが、この島にはイギリスのエリザベス女王やダイアナ妃も訪れる有名なホテルもあるそうです。 

さて、水上バスを降りて水路沿いの小道を進んでいくと、サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂とサンタ・フォスカ聖堂が並んで建っています(図5)。

図5 サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂(左)とサンタ・フォスカ聖堂



サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂は創建が7世紀に遡るヴェネツィアで最も古い教会堂です。現在の聖堂は11世紀以降のものですが、初期キリスト教時代のバシリカの形式をよく残しています。聖堂内に入ると、正面奥の祭壇上部のアプシスにモザイクで描かれた美しい聖母子像が迎えてくれます(図6、図7)。

図6 サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂内陣



図7 アプシス



ビザンティン由来のオディギトリア型と呼ばれる聖母マリアは正面観の立像で、右手を胸に当て、左手で幼子イエスを抱いています。母の腕の中の幼子イエスは左手に巻物を持ち、右手で生き生きと祝福を与えています。聖母は左足にわずかに重心を置き、優美な逆S字のコントラポストを見せています。その衣は青く輝き、金の細い装飾と袖口の長い縁取りが繊細なアクセントを加えています。大きな金地背景に浮かぶように立つ聖母子像は、たおやかながらどこか明るく毅然としており、いつまでも心に残る作品です。

振り返って堂内西壁を見ると、そこには「最後の審判」のモザイクが壁一面に広がっています(図8)。

図8 西壁「最後の審判」



描かれているのは上から一段目が「キリスト磔刑図:聖母、キリスト、福音記者ヨハネ」、二段目が「アナスタシス(キリスト冥府降下)」、三段目が「デエシス(とりなし):聖母、洗礼者ヨハネ」、四段目が「エティマシア(空の御座):アダムとエヴァ、ミカエルとガブリエル、陸と海の死者を起こす天使」、五段目が「ミカエルの秤にかけられる魂:天国へ行く選ばれた者と地獄へ行く呪われた者」、六段目が「天国:善き魂を抱くアダム、聖母、十字架を持つ善き盗賊、天国の門、ペテロ」「神の慈悲を祈る聖母」「地獄:貪欲、大食、憤怒、嫉妬、吝嗇、怠惰」となっています。

ここに伝わるビザンティン由来の「最後の審判」図像は、その後の西ヨーロッパの美術に大きな影響を与えていくことになるのですが、初めてこの作品を見た時、私の印象に一番残ったのは、四段目の「陸の死者を起こす天使」のお尻と太もものドレーパリー、そしてその大きな瞳と太い鼻梁をもつ天使たちの顔でした(図9)。

図9 西壁「最後の審判」部分



力強くて快活でなんと気持ちの良い表現なのだろうと思ったものです。これらの造形も、西ヨーロッパの1200年様式に正しく繋がっていく後期ロマネスク美術を代表する様式であったことが後になって分かるのですが、今でも私の最も好きな造形の1つです。

指導教官にいわれて訪れたこの時のトルチェッロ島で最後に思い出すことは、何といってもお昼に頂いたボンゴレ・ビアンコのお味です(図10)。

図10 島のレストランの1つ



イタリアの明るい陽光の下、島に2軒しかないというレストランの1つ「悪魔の橋」のテラス席で頂いたアサリのスパゲッティは本当に驚くほどの美味しさでした。ヴェネト地方は白ワインが名産ですし、そこにアドリア海の身の引き締まったアサリと、イタリアのパスタの組み合わせですから、美味しくないわけはないのですが、それにしてもあれから四半世紀、トルチェッロ島のボンゴレのお味は忘れられません。

さて、このトルチェッロ島に私は数年前、全く異なるコンテキストで再会することになりました。それは本学で20世紀のアメリカの画家マーク・ロスコを研究していたOさんが、修士論文で《ロスコ・チャペル》と取り上げた時のことです(図1112)。

図11 ロスコ・チャペル



図12 ロスコ・チャペル内部



カラーフィールド・ペインティングで名を馳せたロスコのこの最晩年作は、黒と紺の諧調による14枚のパネル画を内部に飾った八角形の礼拝堂です。テキサス州ヒューストンに建てられたこの作品は1971年に完成しますが、ロスコ自身は前年に自死を遂げています。しかし、それ以上に私が驚いたことは、ロスコがこの礼拝堂の着想をトルチェッロ島のサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂から得たということを知った時です。Oさんの緻密な研究により、ロスコがこの礼拝堂建設に至るまでの制作のプロセスはずいぶんと明らかにされたのですが、それでもイタリアのあの陽光輝くトルチェッロ島の聖堂空間がこの現代的なモノトーンの瞑想空間へ繋がるとは、その間に横たわる芸術家の創造の飛躍を思わずにはいられませんでした。一方で、800年以上も昔の作品が、現代作家にこのようにインスピレーションを与えること、その造形のエネルギーにも改めて心打たれたのでした。

そして先だって、今度は本学の卒業研究に向けてSさんがターナーを研究したいということで、イギリスのジョン・ラスキンの著書『ヴェネツィアの石』を読む機会がありました。ラスキンは19世紀に活躍した社会思想家であり美術評論家でもありましたが、ターナーを熱烈に擁護したことでも知られています。そしてこの『ヴェネツィアの石』の第一部ビザンティン時代の1章がトルチェッロ島に捧げられていたのです。ターナーを入口に私はまたしてもこの島とめぐり会うことになりました。ラスキンの風景描写、作品記述を読むと彼が観察対象をいかによく見ていたかが分かります。ラスキンはデッサンも数多く残していますが(図13)、その繊細な描線、陰影の施し方を見ると、彼の対象への愛着をつよく感じて嬉しくなります。

図13 ラスキンのスケッチ



そして、ラスキンがサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂の特質として第1に挙げていたのがその聖堂内の明るさなのでした。ラスキンは、ヴェネツィアのサン・マルコより、ミラノのサンタンブロージョより、パヴィアのサン・ミケーレより、ヴェローナのサン・ゼーノより、ルッカのサン・フレディアーノより、フィレンツェのサン・ミニアートより、トルチェッロの聖堂内は明るいと述べています。

この記述を読んで私がはっと気づいたことは《ロスコ・チャペル》の天窓です(12)。ロスコは当初、大きな天窓を設けることを考えていたのですが、テキサスの日差しから作品を守るために最終段階で天窓をほぼ覆うデザインに同意してしまいます。そしてあの暗いモノトーンの瞑想空間は出来たのです。しかし、2020年、ロスコの当初の意図を実現するべく12のような天窓へと修復が成ったことで、おそらく《ロスコ・チャペル》は本来の姿を取り戻したのではないでしょうか。つまり、ロスコのインスピレーション・ソースであったトルチェッロ島のサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂とは、この大きな天窓から差し込む明るい陽光そのものだったのではないかと思うのです。そして、この光の明るさとの対比においてこそ壁面を覆う14枚のダーク・ペインティングも生きてくるように感じるのです。

『ヴェネツィアの石』というくらいですから、石についての記述が多いのは当然かもしれませんが、ラスキンはサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂の内陣壁の彫刻についても言及していました(図1415)。

図14 内陣壁浮彫



図15 内陣壁浮彫



この孔雀とライオンについて「名状し難いほど豊かな表現で趣きがある」と評しており、この彫刻が常々気になっていた私は我が意を得たりと大層うれしかったことも付け加えておきます。

このように美術史を長く続けていると、たとえ専門的に取り組んでいなくても、同じ作品に何度も出会うことができます。そしてその度に、作品への理解は何かしら深まっていくのです。みなさんも美術史への旅に出かけてみませんか。すでに旅立っている在校生のみなさんはどうかご自分の研究対象に愛着を持って長く旅を続けて下さい。きっとみなさんそれぞれの「トルチェッロ島」に出会うことができます。それはとても楽しい旅なのです。

 

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