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2022年01月07日
【アートライティングコース】一月一日 快晴 八時半起きる。 南アルプス全部見える。はっきり見える。富士山も全部見える。いいお天気だ。 (武田百合子)

こんにちは。アートライティングコース非常勤教員の青木由美子です。
みなさま、2022年をどんなふうにスタートされましたか。我が家は神奈川県藤沢市、箱根駅伝のコース近くにあり、正月の2日、3日は沿道から選手に声援を送るのが恒例ですが、ここ2年は状況を考えてTV観戦に切り替えました。アッという間に目の前を駆けていくランナーのスピード感は、残念ながら画面越しではほとんどわかりません。スポーツにはその場にいなければ感受できないスペシャルな瞬間があると私は思っています。ロードランニングの場合、選手が走り抜けて切り裂いた空気がこちらに押し寄せてくる感覚でしょうか。その小さな風を受けた時「速い!」と、いつも無意識に呟いていました。演劇も音楽もスポーツも、観る機会を制限され続けてきたので、そんなふうに思わず声が洩れるようなパフォーマンスとの出会いが不足しているのをしみじみと感じます。舞台が観たい、アリーナで声援を送りたい、と単純に思います。しかしその一方で、アートだの文化だのと言わず日常を淡々と感性豊かに営む人がいると、敬意を抱かずにはいられません。一見ありふれた毎日に心に触れる何かを見いだす独自の視点の持ち主だと思うからです。そこでいちばんに思い当たるのは武田百合子さん。彼女の著書『富士日記』は1981年に文庫版が発行されてすぐ、私の愛読書となり一時期つねに手元に置かれていました。大好きな本でしたが、なぜこんなに面白いのだろう、と当時はその魅力を言語化できず不思議に思っていました。買い物の品目と値段一覧や献立リストなど、当たり前の日常記録ともいえる内容だったからです。
『富士日記』(初出1977)は作家武田泰淳夫人、百合子さんが富士山麓にある別荘での夫との暮らしを13年に渡り記録した日記です。泰淳氏が亡くなった後、出版され、処女作にもかかわらず高く評価され「田村俊子賞」を受賞しました。冒頭に挙げたのはこのブログの掲載月に合わせて選んだ、『富士日記(上)』(新版2019) 昭和41年1月1日の文章の最初の部分です。上手く書こうと思ったら、普通はこんなふうにはなりません。子どもが書いたようでもあり、詩のようでもある。実に大胆でみずみずしい文章だと思います。よく晴れて空気が澄み渡った寒い朝、山がくっきりといつもより大きく迫りくるように見えます。私も八ヶ岳に20年以上通っているので、そういう経験は何度もありますが、その度ごとに立ち止まって山に見入ってしまいます。上記の文章はその感じをとてもよくつかんでいます。武田百合子さんは卓越した観察力を持ち、感受したものを言葉に変換するセンスに恵まれているのでしょう。デビュー時に「天衣無縫の文章家」と称賛されたそうですが、納得できるユニークな表現力です。日々のよしなしことをそのままスケッチしているようで、なんともいえない面白味が立ち上がってきます。

アートライティングコースで私が担当しているのは、「描写」という課題にそって正確に書くことを学ぶ科目、[アートライティング演習1]です。受講生はそれぞれ好みの「道具」と「都市」を選び、その描写をメインにした800字のテキスト作品を作ります。提出されたテキストを講評するにあたって、私がいちばん多くアドバイスするのは「具体的に書く」ことです。花ではなく、バラ、菫、ユリ、竜胆と、上着ではなくグレンチェックのジャケットと、できるだけ具体名を使うことを推奨します。今回、『富士日記』を読み直してみて、具体的記述のお手本のような文章だと気づきました。冒頭の文をもう少し引用してみましょう。
一月一日 快晴
南アルプス全部見える。はっきり見える。富士山も全部見える。いいお天気だ。
朝 お雑煮(豚肉、かき玉、ねぎ)、黒豆、だてまき、昆布まき、かまぼこ、酢タコ。
花子はカルピス、主人と私はビールで、新年の挨拶をする。「明けましておめでとう。今年もどうぞよろしく」
少ない文字数で新年を祝う家族の情景を浮かび上がらせていると思うのですが、いかがでしょう。では、もうひとつ。
四月十九日(火) くもり時々晴
午前十一時半東京を出る。くもって小雨でも降りそう。昨日から気温低く、昨夜。群馬の沼田では二十センチの雪であったそう。私は梅の芽のことが心配だ。
野菜、パン、クリーニングした毛布、新しいふとんカバー三枚、シーツなど。花の種(百日草、けいとう、コスモス)など積み込む。
御殿場まわりで行く。山北あたり菜の花がまだ盛り。富士桜も満開。
武田百合子さんの文体は、実に独特で自由闊達です。順番通りに書いたり、輪郭線を描かなくても、文章がばらけることなく、力強く、映像を喚起します。それは徹底して具体的に書いているからだと思います。彼女のような天才的書き手の文体を真似ることはできませんが、この点だけはおおいに参考になるのではないでしょうか。そのためには、まずは観察力、つねに周囲に興味をもってしっかり見ることから始めたいと思います。というのも私、観察眼には全く自信がありません。子どものころから近視だったせいか、空想ばかりしていたせいか、注意散漫このうえなし。なんとか克服すべくがんばります。
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