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アートライティングコース

2022年02月12日

【アートライティングコース】「完璧に仕上げることは、一種のフェティッシュでもある。」 バーナード・リーチ『作陶家の挑戦』1975年

Bernard Leach, Thrown Bowl, 1973.
York Art Gallery
York Museums Trust via Wikimedia Commons. (CC-BY-SA 3.0)



みなさま、こんにちは。アートライティングコースの上村です。もう立春も過ぎて、年度末が近づいて来ました。アートライティングコースはまだ新しいコースで、卒業生を送り出すのは、今年でようやく2回目となります。昨年のおよそ倍の数の、またさまざまなヴァリエーションの卒業研究が出されていて、取り上げられた主題も、博物館建築、ジャズの録音、日本画、アニメーションの背景、都市文化など、多岐にわたります。執筆者のお住まいの地域がさまざまなこともあって、地域的なヴァリエーションも豊かで、さながら旅をしている気分になりました。

さて、芸術活動が地域性を帯びるのは、それがどうしても身体的な技術と関わるため、作り手や受け手の生活環境で培われる部分が大きいからです。もちろん、文化は伝播するものであって、芸術作品も首都や中核都市での潤沢な消費生活から発生するもの、たとえば壮麗な建築物や精緻な工芸品などは、文化的中心が各地域に及ぼす影響はきわめて大きいものがあります。また近年の物流や通信の世界システムが地域性をある程度希薄にしていることも否めません。しかしそうは言っても、情報やモノを消費する人間はあいかわらず自分の身体をもって暮らさざるをえませんし、地球上でもネット上でもその身体のまわりに島的な小世界を作って、グローバルな世界のなかに各々独特の文化が生み出されています。それらは永遠不変の規範にかたどられたというよりも、日々変化していて、時と場所とに応じて多様なかたちを都度都度に示しています。

冒頭に掲げた言葉は、イギリスの作陶家バーナード・リーチのものです。「リーチは幼いころに日本に滞在したことがありますが、長じたのちあらためて日本を訪れ、白樺派の人々、なかでも民藝運動の主導者である柳宗悦と交流を深めました。彼は自ら認める日本びいきでした。しかし、それは単に日本人たちと親しい関係を持っていたということではありません。むしろ、彼は日本のものづくりに深く共感するところがあり、柳宗悦や濱田庄司らの思想や作品の紹介者でもありました。そしてイギリスで彼自身の作陶工房を開き、20世紀の工房制作の焼き物を理論と実践で主導しました。
― 完璧に仕上げることは、一種のフェティッシュでもある。Perfection can be a fetish.

ここで書かれているようにフェティッシュなまでに「完璧」であることは、勿論、リーチにとって肯定的に捉えられてはいません。リーチは技術的な完成度の高さを機械的な仕事とみなし、むしろ手癖や偶然によってできるちょっとした歪みのようなものを尊びます。同じ本の中で、彼は濱田庄司のエピソードにも触れています。あるとき濱田は、どうして同じような模様を繰り返し描くのかと問われて、こう答えました。自分の描くものはひとつとして同じものはない、同じものを描こうとしても、筆も腕も思考も異なってしまう、と。リーチは、同じような図柄を反復して描いているようであっても、それを描くうちにおのずと意図せざる違いが生まれ、それこそが新鮮な生命感を持つ、と考えます。それは、あらかじめ決まった理想形にいかに近づくのかということではなく、ましてや範型にならって仕上げることでもなく、不規則や未完成であることも許容することでもあります。
この考え方は、ラスキンのゴティック建築の礼讃にもつながるものでしょう。ラスキンは、ゴティック建築に見られる所々の不整合を欠陥としてみるのではなく、建築物が長い年月をかけて、職人たちの都度都度の自発性によって作られてきた結果として、むしろ偉大さをもたらしている、と考えました。自由な制作に重きを置くという点では、リーチもアーティストです。しかしまた、リーチが考えるアーティストは「自分」の名前に固執するものでもありません。「我々が美を作るのに映画スターのようである必要はない」というのです。

ひょっとしたら、こうした考え方には、イギリスと日本という島国の立地が関係しているかもしれません。中国の宋代のような古典的な器にも、ヨーロッパ大陸やアメリカの産業技術の製品にもない、自由な手わざの作る温かみを、日本とイギリスのやきものに共通するものとして見たのかもしれません。意地悪な言い方をしたら、イギリスも日本も文化的周縁に位置する国です。しかしまた、だからといって中央がつねに素晴らしいとも限りません。とりわけ文化芸術の世界では、周縁部にこそ、あらたな熱量をもった運動が起きることがしばしばあります。
アートライティングコースのみなさんも、是非、それぞれのしかたで文化的な核を作ってくださいますように。

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