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アートライティングコース

2022年03月18日

【アートライティングコース】或る芸術が人を強くうつのは、その純粋なフォルムにおいてである(ロベール・ブレッソン)



こんにちは。アートライティングコース非常勤教員のかなもりゆうこです。

みなさんが長年親しんで傍ら置き、何度でも開いてしまう本はどんな本でしょうか?
私にとってのそんな本のひとつにロベール・ブレッソンの『シネマトグラフ覚書』があります。ブレッソンは職業俳優を一切使わずに、彼が〝モデル〟と呼ぶ人間を作品づくりの支柱に据え、存在する人物・物事そのもの、つまり「本質」の美を追求しようとした映画作家です。映画好きで映像作品の制作もしてきた自分にとって、この本にはシネマトグラフ(ブレッソンは自らの映画をこう呼んでいます)の極意がきらめく星のごとく散りばめられているのですが、そこには映像言語以外の様々な言語活動にもあてはまる、傾注すべき事柄が隠れていると感じています。きっとアートライティングにとっても良きヒントになることでしょう。

では、その深遠なるメッセージのいくつかを見てみましょう。

”創造すること、それは人物や事物を湾曲したりでっちあげたりすることではない。それは、存在する人物たちや事物たちの間に新たな諸関係を取り結ぶことだ。しかも、それらが存在しているままの姿で。”

”読書から得たアイデアは永遠に書物の知識でしかない。人物へ、事物へ、直接に赴くこと。”

”私自身の言うことにだけ耳を傾けるとき、私は驚異的なことをなす。”

いかがでしょうか? ここに記されているのは、知覚を自然の状態に近づけていき、物事をできあいの言葉ですくいとってしまわずに、対象と素手で触れ合うことの大切さです。知性の向上や言葉による表現を学ぶには欠かせない手段という意味で、いつもは読書の楽しみや意義について伝えているのですが、今回は角度を変えて対象に向かう際に重要なこととして「読書をしすぎないこと」を勧めてみようと思います。
自分で考える時間をたくさん持つこと

ショウペンハウエルの『パレルガ・ウント・パラリーポメナ(余録と補遺)』の中には読書にまつわる三編のエッセイがあるのですが、まずはその中の「読書について」から紹介します。

”本を読むというのは、私たちの代わりに他の誰かが考えてくれるということだ。”

”紙に書かれた思考は、砂丘を散歩する人がのこした足跡ににているが、けっしてそれ以上のものではない。”

ショウペンハウエルは強い逆説的な読書論でもって私たちを叱咤激励し、やみくもに読書をするよりも自分で考える時間を多く持つことが大事であると説いているのです。

「著述と文体」からも好きな箇所を抜き出してみます。

”言葉は芸術品であるから、他の芸術品と同じように客観的に取り扱わなければならない。”

”比喩は、よく知らない関係をすでに知っている関係に置き換える役割を果たすという意味で、大きな価値がある。真の理解はすべて関係性の把握にある。”

”比喩は認識を得るためのの強力な手段なので、核心をつく冴えた比喩を使えるということは、理解が深い証拠である”

物事も言葉による表現もオブジェクティブに観察し深く理解して扱うこと、そして、本当に理解していなければ比喩は使えない、比喩が使えたらもう一級というわけです。

その上で「自分で考えること」にはこうに記してあります。

”人は自分で思索したことしか、真に知ることはできない。”
無邪気な精神は自分の意思を意思する

読書とは所詮は自分が興味があるところだけを読み取ってしまうのだとショウペンハウエルに叱られてしまいそうですが、続けてニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』の中の「読むことと書くことについて」からも似た一節を引き出してみたいと思います。

”他人の血を理解することはたやすくできることではない。わたしは読んでばかりいる怠惰な者を憎む。”

とても容赦のない強い言葉なのですが、ニーチェは人生を肯定的に生きるために人々への贈り物としてこの本を書いたので、怖がらずに安心してください(この本には「万人のための、そして誰のためでもない本」という副題がついており、これは自分が知らない後世の人々に向けても書いているという意味が含まれていることでしょう)。

”幼子は無垢だ。忘れる。新たな始まりだ。遊ぶ。みずから回る輪だ。最初の運動だ。聖なる「然りを言うこと」だ。”

本書でニーチェは人生には三段階の成長があると言っていて、それはまず忍耐を通して強さを獲得する「駱駝」、次に自由を求め自分の意思を発揮する「獅子」、そして最終的に行きつくべきは自らの感性に身をゆだねる無邪気な精神の「幼子」です。〝創造という遊び〟のためには幼子であることが必要で〝ここで精神は自分の意思を意思する〟のだそうです。物事に生気を吹き込むのはどのような状態なのか、教えてくれているように感じます。

さて、「読書をしすぎないこと」を勧めてみる試みは果たして成功したのか失敗したのか……。どこか共通する面が見て取れる三冊の本から多くの引用をしたり、これらの名著をお勧めしたいという熱い気持ちを持っていたり、矛盾が生じている状態です。結局は裏の裏からの読書愛になってしまいました。さらに言うなら、最もすばらしい読書とは無償の行為なのかもしれませんね。

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