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アートライティングコース

2022年05月23日

【アートライティングコース】「書く技術とは、自分の両腕を差し伸ばす技術にほかなりません。」D. ディドロ(日付不詳の手紙 1769年頃)

みなさま、こんにちは。アートライティングコースの教員、上村です。

この春、アートライティングコースは開設から4年目を迎え、今年も大勢の新しい学生のみなさんを迎えることができました。現在、400名超のかたが在籍しています。

本コースに入られるかたは、勿論それぞれに芸術に強い関心を持っておいでです。しかしその対象はきわめて多岐にわたります。絵画や演劇に詳しい人がいるかと思えば、フラメンコの実演者、書の達人、建築設計事務所のかたなど、本当に多芸多才で多士済々です。もちろん、自分では無芸と思っているかたもいらっしゃいます。

しかし、これは通信教育ならではのことですが、それはそれでこれまで過ごされてきた土地や時間がおのずとご自身の個性に独特の風合いを生み出しています。人々が関心を払う芸術的な対象以上に、何よりもそのひととなりや言動そのものが芸術作品のようなものです。アートライティングはそうした興味深い人々による、興味深い対象の発掘と評価です。

🔗アートライティングコース|学科・コース紹介

 

ところで、興味の対象となるものの良さは、それを見つめて良しとするひとがいてはじめて出現します。しかしまた、見つめるだけでは足りずに、その物事にかかわろうとする気持ちに駆り立てられるかもしれません。人間関係では、多くの場合、相手の美質を意識すればするほど親密になろうとする欲求が増すでしょう。そしてそれは人間の場合、ただ直接的に身体的な接触、あるいは会話とか会食とかで関係を取り結ぶことだけが手段ではありません。手紙でつながりを持とうとすることも、古くから行われてきました。

冒頭に掲げた言葉は、フランス啓蒙主義の立役者のひとり、ドニ・ディドロのものです(このブログのページの上の方にあるアートライティングコースのバナーには、筆を持つ人物の手元の画像が使われていますが、実はこれは下に掲げた図版のとおり、ディドロの肖像画の一部です)。

この言葉は、彼の愛人との文通のなかで書かれたもので、先行する文言を付け足すと、「ひとは愛する者を常に胸に抱きしめます。書く技術とは、自分の両腕を差し伸ばす技術にほかなりません」となります。恋人に手紙を書くことで、相手を腕に抱いて自分の胸元に引き寄せる、というような意味になるでしょうか。言葉を連ねて相手に届けるという行為は、ある種の能動性、対象に関わろうとする意欲がないとはじまりません。

もちろん、こうした関係は相手次第のところがあって、双方向の愛情がなければ、単なる迷惑メイル、つきまとい行為に類するものとなってしまいます。差し伸ばす腕が一方的に対象を手に入れるだけのものであったら、それは相手をモノと化しているのであり、それだけの淋しい関係でしょう。伸ばされた腕に応えて、向こうからも腕が伸ばされてこそ、人と人の交わりでしょう。

 

ところで、興味の対象が人間でない場合はどうでしょうか。相手が人間でないので、一方的な愛好、執着も罪にならないかもしれません。姿形をじろじろと、しげしげとためつすがめつ審美的に鑑賞する視線は、人間へと向けられたなら大変に迷惑あるいは気色わるいことでしょう。しかし、芸術作品はそもそもそうした視線のためだけに存在すると言っても良いかもしれません。

しかし「かもしれません」と書きましたように、実のところ、芸術作品に向かう視線も、作品とそれを見る人間との二項のあいだだけにあるわけではありません。私たちが作品に向かうとき、そこには自分と視覚対象のふたつが存在するのではなく、自分の評価を分かち合う誰かがそこに介在します。それは私たちが言葉を使う生き物だからでもあります。作品の評価はナマの純粋無垢な眼が行うのではなく、一種の言語活動でもあって、言葉によって他人と共有されたものの見方や価値観が大きくモノを言います。無遠慮に彫刻の表面を注視する視線は、ただ冷たい独善的な審美眼なのではなく、その彫刻の良さを共有する誰かを求めてもいます。対象と見る者との関係のほかに、対象への視線を共有する者同士の関係も存在する、ということです。見られる対象が人間でも同じです。

植民地の風変わりな現地人を好奇の眼差しで眺める都会人の視線には、現地の人間に対して、それを物珍しい標本のように眺める関係と、その標本に興ずるであろう別の都会人との関係とが同時に含まれています。見つめる相手がどこの土地のどのような文化の人間であれ、尊重すべきであることは言うまでもありません。他方で、見つめる自分には、その視線を無意識に自分に与えている社会や、視線の見つけ出す価値を分かち合う仲間が一緒にいることも事実です。

 

そうすると、愛情の対象へと接近しようとして語られる言葉にも、ふたつの人間関係を考えなくてはならないでしょう。ひとつは対象そのものとどのような関係を結ぼうとしているのか。単に視覚的対象としてのみ存在する作品ではなく、生きて動いている人々とその文化には、当然それなりの接し方があるでしょう。

またもうひとつは、対象を共に見る誰かとの関係です。これは、先に挙げた植民地人への好奇な視線のように、時には対象に対して心無い、無遠慮で冷笑的な共犯関係になるかもしれません。しかしまた対象への愛情が共有されているなら、それを伝え合うことで、その愛情は手応えを得て、幾重にも増幅するのではないでしょうか。芸術作品にせよ、土地の文化にせよ、それを尊重し、それを共に愛でることのできる相手と共に見つめることで、その価値が生み出されます。アートライティングも、愛情の対象へと互いに手を携えて向かい合う言葉の技術でありますように。

L.-M. ヴァン・ロー《ドニ・ディドロの肖像》1767年 ルーヴル美術館
© 2010 RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Stéphane Maréchalle
https://collections.louvre.fr/ark:/53355/cl010063387



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▼YouTube:アートライティングコース紹介動画(教員インタビュー)

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