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和の伝統文化コース

2022年09月15日

【和の伝統文化コース】禅宗と日本文化の関係



皆さま、こんにちは。和の伝統文化コース非常勤講師の、叉東(さとう)です。

私が暮らす京都には、日本文化が多く残ることを日々実感します。その原因のひとつに、お寺が多く残ることが考えられます。今回は、禅宗に注目して、日本文化との関係をご紹介したいと思います。

 

🔗和の伝統文化コース|学科・コース紹介

禅宗は、お茶・枯山水庭園・建築など、日本文化に様々な影響を与えました。コロナ渦を除くと、参拝の際にお抹茶をいただけたり、枯山水庭園と呼ばれる形式の庭や、日本の住まいの「玄関」の発祥についても、関係があると考えられています。

例えば、京都に残る禅宗のひとつ臨済宗の本山に、足利将軍が定めた京都五山(天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)と、別格の南禅寺、他に大徳寺、妙心寺などがあります。

まずお茶との関係では、日本臨済宗の開祖栄西が、宋から茶の種を日本に持ち帰って栽培法を広めたり、『喫茶養生記』を著しています。茶の湯との関係では、侘び茶を創始した村田珠光が、大徳寺の一休宗純に参禅して以来、武野紹鴎・千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係を持ちました。千利休が秀吉に切腹を命じられた原因となったのも、この大徳寺の三門です。

天龍寺庭園



日本庭園に注目すると、鎌倉時代の禅僧夢窓疎石は、天龍寺の曹源池庭園や、苔寺と呼ばれる西芳寺庭園の他、全国に作庭庭園をいくつも残しました。疎石の庭は、その後の枯山水庭園など日本庭園に大きな影響を与えます。他にも、大徳寺の塔頭のひとつ大仙院には、大徳寺住持古岳宗亘が作庭した最古の枯山水庭園が現存します。

次に建築では、禅宗寺院の住職の住まいであった方丈と呼ばれる建物の東南の隅に、土間の廊下を突き出した「玄関」がありました。玄関とは、禅宗で「玄妙なる道に入る関門」の意味です(デジタル大辞泉)。後にそれが広まり、日本住宅の玄関となったと考えられています。また和風建築の特徴ともいえる床の間ですが、その発祥である「書院造」の原型が、相国寺の塔頭慈照寺(銀閣寺)の東求堂の「同仁斎」に見ることができます。

今回はざっとほんの一部を紹介しましたが、禅を欧米へ紹介した仏教哲学者、鈴木大拙の著書『禅と日本文化』(岩波書店、1964)では、禅と美術、武士、剣道、儒教、茶道、俳句に章立てされています。気になった人は、ぜひ一読してみてください。

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