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和の伝統文化コース

2024年06月03日

【和の伝統文化】「利休忌月次(つきなみ)法要 於 大徳寺聚光院」

みなさま、こんにちは。和の伝統文化コース非常勤講師の青木です。

春から夏への変わり目、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
今回は茶の湯文化にゆかりの深い大徳寺(注1)聚光院において、毎月28日に営まれる利休忌月次法要へ行って参りましたのでご報告いたします。

 

先月428日(日)は表千家不審菴の担当でした。
千利休(注2)の命日にあたる28日は聚光院において三千家が輪番で法要を営みます。

(聚光院門前)



聚光院は、戦国武将・三好義継が永禄9(1566)に養父・長慶の菩提を弔うために創建。

方丈(本堂)は狩野永徳の襖絵が有名で、現在は国立博物館に寄託されており複製となっています。

開祖は、大徳寺第107世住職の笑嶺宗訴(しょうれいそうきん)(1505~83)で、千利休に禅道を教えた師のひとりとされています。そのため利休は、聚光院を自らの菩提寺とし、利休の流れを汲む三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の歴代墓所があることから、茶道を親しむ者にとっては大切な場所であります。

 

当日は聚光院内の茶室「閑隠席(かんいんせき)」と「枡床席(ますどこせき)」で懸釜があり、受付順に薄茶を一服いただきます。千利休150回忌の際、表千家7代如心斎の寄進によって建てられた茶室「閑隠席」は、利休の精神を汲み、明かりが極度に制限された3畳ととても狭く簡素で緊張感のある設えです。
隣り合う「枡床席」は4畳半とやや広く、その半畳は踏込み式の床の間となっており両方とも重要文化財です。
露地も見事で、方丈の南庭は百積の庭と呼ばれる枯山水の庭であり、千利休によって造られたとされています。
低く整えられた生垣に沿って小さめの石組を配し、もとは白砂でしたが現在は苔庭となっており、西側には利休お手植えの沙羅の木もあります。(注3

 

表千家では1席目のみ点前があり、2席目からは「閑隠席」で掛物やお道具を拝見し、書院にて呈茶となります。
書院には平成25年に落慶した千住博筆『滝』の襖絵があり、こちらも重要文化財に登録されています。
法要にあたり、家元の若手玄関(注4)は前日に聚光院へ行き、茶室や本堂、玄関周りも全て掃除をします。
当日は8時に入り、水屋の準備が終わると菓子を本堂へお供えし、お茶湯(注5)をします。
本堂には笑嶺宗訴(しょうれいそうきん)、三好長慶(みよしながよし)、利休居士を祀ってあり、法要終了後、我々参加者もお焼香をさせていただきます。

 

この日は朝5時過ぎに神戸を出発し、大徳寺聚光院の門前には7時半前に到着し初めての一番乗りでした!
いつもより大勢の方がお越しになったとのことで、異例にも法要前に1席目として14名が「閑隠席」にてゆっくりとお菓子と薄茶をいただきました。参加者もコロナ以前の状況に戻ってきた様子です。
法要後には利休居士と表千家不審庵の墓所へ行き、お茶のある日常に感謝と今後の精進を誓って参りました。

 

また大徳寺山内では千利休の月命日28日に合わせて月釜や掛釜が行われています。
この日は表千家流の掛釜が、瑞峯院・玉林院・三玄院・興臨院の4つの塔頭で行われており、お知り合いの先生がご担当の瑞峯院・玉林院にも行って参りました。

 

聚光院では表千家10代家元吸江斎の10歳に書かれた掛物が掛り、また瑞峯院でも吸江斎に纏わる取合せ。
亭主のお道具の取り合わせの説明とともに、幼い吸江斎がご成長され、利休250年遠忌を盛大に取り仕切ったことなどが語られ、両席でのリンクがとても素晴らしいお席でした。亭主御心入れの取合せ茶道具を拝見し、直接お話を伺うことで書籍や文献からでは得られないような感動を味わうことができました。

(玉林院「懸釜」)



<三千家の当番月>

表千家 1月・4月・7月・10

裏千家 2月・5月・11

武者小路千家 3月・6月・9月・12(8)

聚光院は通常非公開の塔頭ですが、各担当流儀の社中以外でも参加は可能ですので、茶道を嗜む方もそうでない方も28日にぜひ訪れてみてください。

 

在釜(ざいふ)、懸釜(かけがま)

寺院の表門に「在釜」や「懸釜」が掲げてあれば、「今お釜を炉にかけていますから、みなさんお越しください」という意味を伝えています。

(瑞峯院「在釜」)



聚光院には狩野永徳が父・松栄とともに手がけた本堂内の障壁画が残されています。
そのすべての襖絵は国宝に指定され、中でも『四季花鳥図』と『琴棋書画図(きんきしょがず)』は永徳24歳のころの作とされ、現存作品が少ない永徳の絵が、これほどたくさん残されているのも聚光院のほかにありません。
2016年に修復後の襖絵が聚光院にて特別公開されましたが、次の里帰りがとてもとても待ち遠しいです!

 

実際にご自身の目や耳そして心で体験し、その文化的な背景を知り学ぶことで更なる学習意欲も湧いて参ります。
茶の湯は専門ではないので関係ないかな?ではなくまた別の視点から体験することで、「知見を広める」きっかけになるのではと思います。京都へお越しの際は、ぜひ28日に合わせて大徳寺聚光院、他の塔頭へ足をお運びくださいませ。様々な角度から日本の伝統文化を学んでいただけたら幸いです。

(大徳寺 国宝『唐門』、2023年4月28日特別公開にて撮影)



注1)大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山で、鎌倉時代末期、正和4年(1315)、播州の守護・赤松円心の寄進により、大燈国師によって開山されました。それから700年余、歴史の大きな波動を受けつつも、「修行が第一」という厳しい禅の教えのもと、真理を求める姿勢を貫いてきました。今もなお、多くの僧侶が悟りを開くための厳しい修行を続けています。「大徳寺本山紹介。大徳寺とは」『大徳寺大慈院』https://daitokujidaijiin.com/daitokuji.html2024430日閲覧)。

注2)千利休(1522~91)は堺に生れ、与四郎と称していた若年の頃から紹鷗に茶を学び、のち法名宗易を称し、晩年には利休の居士号も用い、また利休は大徳寺の笑嶺宗訴(しょうれいそうきん)(1505~83)、古渓宗陳(こけいそうちん)(1532~97)和尚に参禅し、禅的な素養も深めました。侘茶の大成者としてその名は広く知られています。

注3)オパン「5年半ぶりの国宝里帰り。「大徳寺 聚光院」特別公開の見どころをチェック!」『そうだ京都、行こう。』、2020年、https://souda-kyoto.jp/blog/01127.html2024430日閲覧)。

注4)内弟子

注5)禅家のことばでお茶と白湯のことをさします。そこから仏前や祖師、霊前に供える茶のこと、またその点茶法をいいます。天目台にのせた天目茶碗を用い、湯を入れた中に抹茶を落とし、茶筅で撹拌はしません。

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