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2022年09月29日

【通信制大学院】創作で生計を立てるには(小説家・川越宗一)―文芸領域リレーエッセイ⑤



2023年度に新設する文芸領域への入学を検討する「作家志望者」「制作志望者」へのエールとして、作家、編集者、評論家の方がリレーエッセイとしてお届けします。

今回は小説家の川越宗一さんのエッセイをご紹介します。

Ⓒ文藝春秋


川越 宗一(かわごえ・そういち)


鹿児島県生まれ、大阪府出身。龍谷大学文学部史学科中退。2018年『天地に燦たり』(文藝春秋)で第25回松本清張賞を受賞しデビュー。短編『海神の子』(「オール讀物」同年12月号掲載)が日本文藝家協会の選ぶ「時代小説 ザ・ベスト2019」(集英社文庫)に収録(同作品は、21年文藝春秋から刊行)。19年8月刊行の『熱源』(文藝春秋)で第10回山田風太郎賞候補、第9回本屋が選ぶ時代小説大賞受賞、第162回直木三十五賞受賞。20年には同作で本屋大賞ノミネート。







創作で生計を立てるには


 まず簡単な自己紹介をすると、私は歴史小説を書いている。2018年に一作目を刊行、既刊はつごう三作となる。つまり創作する者としてはまだまだ勉強中の身で、語るのはまこと僭越だが、本稿では「創作で生計を立てるには」と題して私見を述べる。ありようも楽しみ方も人の数だけある創作なる巨大な世界では、かなり辺縁のことがらではある。

 それにしても、世には創作にまつわるアドバイスめいたものがあふれている。そのほとんどは根拠のない思い込み(本稿もその一つになるかもしれない)か、偉大な先人の言葉を文脈から切り取って刺激的かつ曖昧に加工した何かだと私は思う。相手の人生に責任を負う覚悟を持たず承認欲求だけは過剰な誰かが、善きアドバイザーの顔をしてそこらへんを徘徊している。情報過多にも見える現代は、広告と憎悪と一言居士とかわいい動物の動画でいっぱいだ。玉石にわかに判じがたく、ゆえに学校のような専門教育の役割はますます重要になると思う。話がそれてしまったが、アドバイスの類はだいたい聞き流してよい。ただ、私にとって本当にありがたがったアドバイスがある。

「仕事を辞めるな」
 一作めが敢行されるきっかけになった公募小説賞の受賞当日、選考委員からそう言われた。私なりに熱くなっていた胸が一気に冷め、おかげで冷めるどころか凍えるような蓄えしかない我が身に気づくことができた。それまでのサラリーマン業を続けながら執筆した二作めは、ありがたいことに一作目より多くの方に読んでいただる結果となった。もちろん周囲の理解や助けもあったわけだが、ひっくるめて生活に不安なく創作に専念できたことが大きかったと、数年たった今もつくづく思う。

 貧しさは不安を生み、自棄につながり、気力と時間を奪い、一生を損なう。そうやって人間を絡め取るのが貧困の恐ろしさだ。家族環境や景気の動向もあろう。元暴力団員がまっとうに働いた給料を受け取る銀行口座を作れない、生活保護の受給者が家を借りられないなどの理不尽は目を凝らすだけ見つけられる。してみれば貧困は当人にどうしようもない要因が大きく、責のすべてを当人に帰することはできない。理由を斟酌せずともかく救済する仕組みは不可欠で、だからこそ社会には公助がある。多数側の人々の偏見が、貧困の沼から出てきた頭をわしづかみにして沈めている面もあろう。

 またも話がそれてしまったが、貧しさは創作にもよくない影響のほうが大きいと思う。明日への不安に悩んでいては、とても創作の気力など湧かない。少なくとも私はそうだ。不安こそ創作の糧だと思われる方がもしおられたら、それは危険なドーピングだと申したい。背水の陣なる故事は、無謀さや生存バイアスがはるか古代から存在していたという警句だ。早逝した芸術家だけが放つ光芒はありそうだけど、その光源は当人の不幸を眺めた他人が勝手に見出した物語であり、当人の創作物そのものではない。貧しさの中にも楽しみや喜びはあるだろうし、物質的な豊かさには空虚がひそんでいるかもしれないが、前述したように貧困そのものは、独特の力が働くシビアな場で、脱出はなかなかにたいへんだ。

 ところで、創作は楽しい。作れば作るほど必要な技術は上達してゆく。思ってもみない出来栄えになったり、自分の限界をヒョイと超える何かがふいに生まれたりする。着想を得たり構想を考えるだけでも胸が高鳴る。実作すれば胸が躍り、完成が近づくと興奮し、完成すると悦に入ることができる。こんなによい営みはなかなかない。

 それにしても、創作はつらい。作っても作っても手つきはおぼつかないままだし、何をしても自分の限界を思い知らされる。アイデアなんかちっとも降りてこないし、実作はどんどん構想から離れてとりとめがつかなくなる(これは楽しい瞬間でもあるのだが)。完成が見えてくると「これでよいのか」と迷いが現れ、完成品を見返して全部捨ててしまう。こんなに痛みを伴う営みはなかなかない。

 踊り出し、けつまづき、多幸感に包まれ、みじめさにまみれ、尊大になり、思いきり鼻を折られる。気宇が膨らんだ翌日には頭から布団をひっかぶる。そんなことの繰り返しが、私にとっての創作だ。繰り返す回数は有限なる命によって上限が定まっているのだから、生活に悩む暇なんてない。もっと高く、もっと深く、見えないほど遠くに、見落としていた近くに。創作に携わった時間だけ、私たち創作者はどこかへ行けるのだ。かく申す私は原稿を書くたび壁に出くわし、どこかへ逃げ出したくなるのだが、ともかくそう思う。

 以上の理由で、もし創作で生計を立てようとするなら、まず創作以外で生計をたてることが重要であると申したい。控えめに言っても安定した生活は創作の邪魔にならない。

※川越宗一さんは文芸領域で授業は担当されませんが今回、特別ゲストとしてリレーエッセイに寄稿いただきました。

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【通信制大学院】作家というキャリアについて ―文芸領域イベントレポート

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