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芸術学コース

2023年02月06日

【芸術学コース】ゆるやかなつながりの力

みなさんこんにちは、芸術学コース非常勤講師の大橋利光です。
以前にも一度お話ししたとおり、私はこの芸術学コースの卒業生でもあります。今日はその私の視点から、本学通信教育部の大きな利点、大きな力についてお話ししてみたいと思います。

学部生時代に作った授業資料のファイル


「勉強は孤独との戦い」……?


これは、私が本学の学部生だった時に作成した資料のファイルです。科目ごとにシラバスを印刷し、レポート課題に向けて調べた資料とレポート本文、提出後の講評をまとめてファイリングしています。スクーリングの授業の場合は、講義の際に受け取った資料類、講義ノートのコピーもファイルの中に加わっています。ちなみに、このようにファイルで管理することを大学から義務として課されていたわけではありません。あくまで私自身があとで見返すために個人的に作ったファイルです。ですが、このファイルによって、1科目の単位修得のためにどれくらいの学習が必要なのか、大まかにわかっていただけるかと思います。

もっとも、この写真に写っているのは、すべての授業のものではありません。それに、最大の課題である「卒業研究」のファイルはもっと分厚いものがたくさんあります。私は3年次編入学で、卒業に必要な単位数は64単位でしたが、1年次入学の方の場合は卒業のために基本的に128単位が必要ですから、これよりももっとたくさんの資料が必要だ、ということになります。
そんなにたくさんの勉強をしなければならないのか、しかも通信教育だからひとりぼっちで……、と気が遠くなりかけてしまった方も、ひょっとするといらっしゃるでしょうか。しかし、そこはどうぞご心配なく。勉強の量はもちろん減るわけではありませんが、しかし「ひとりぼっち」で勉強するわけでもない、ということをお話ししていきたいと思います。

多様な人々同士のゆるやかなまとまり


本学の通信教育には、テキストを中心に学んだ成果を提出物(レポートや作品など)として送る科目だけでなく、実際に教室に集まって、あるいはオンライン会議システム上に集まって授業を受けるスクーリングのある科目もあります。このスクーリングの授業には、日本全国、さらには海外も含めてさまざまな地域から、多様な年代、多様な立場の人たちが集まってきます。そのことは、授業のすきま時間の雑談やグループワークなどを通じて実感していただけることと思います。

一般的な(通信制ではない)通学制の大学の場合、平日の昼間に行う授業が中心となるので、高校を出てすぐ入学する10代後半から20代前半の学生が大半を占めるでしょう。しかし本学通信教育部では、本当にさまざまな年代の方々が学生として集まっています。だからといって、てんでバラバラなのかというと、決してそんなことはなく、「芸術」を愛し、学びたいという目的を共有したゆるやかなまとまりが、教室内の雰囲気として感じられるはずです。私はここに、本学の大きな特徴があると思っています。

ゆるやかなまとまりとサードプレイス


このゆるやかなまとまり、学生相互の結びつきとゆとりを両立した教室内の雰囲気は、何によってもたらされているのでしょうか。もちろん第一には、前述の通り、「芸術」を学ぶという目的を共有していることによるでしょう。しかし、それだけでもないように思います。
多様な年代、多様な立場の人々が集まる本学では、仕事や家庭を抱えながら学びを続ける人がたくさんいます。言い換えると、家庭における家族内での役割や、職場における仕事上の役割とは異なる個人として、教室に臨んでいる人が少なくない、ということです。それらの人にとって教室は、家庭とも職場とも異なる「サードプレイス(第3の場所)」になっている、ということが言えるでしょう。

サードプレイスとは、アメリカの社会学者オルデンバーグが提唱した概念です(レイ・オルデンバーグ『サードプレイス:コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』みすず書房、2013年[原著は1989年])。たとえば家庭では父や母としての役割を担い、職場では上司や部下としての役割を担っている人々が、一時的にそれらの役割から解放される場所。それがサードプレイスです。

レイ・オルデンバーグ『サードプレイス』



オルデンバーグは、サードプレイスは人を平等にする場所だ、と述べています。そこでは社会的な地位や業績、個人的な問題などはいったん棚上げにされ、集まっている他の人との会話と交流を楽しむことが重視されているのだと、オルデンバーグは指摘します。実は本学の教室も、そのような場として機能しているように、私には感じられます。

スクーリングの授業には、基礎的な知識を蓄えるための講義のほかに、とくに3年次・4年次を中心に、グループワークやディスカッション、研究報告と質疑応答といったものも設定されています。学生が主体的に意見を述べることで初めて成り立つ授業、というものも少なくないのです。それらの授業では、教員は学生に参加の方法や基本的なルールを説明し、意見を整理して参加を促す役割は担っているものの、学生の意見が基本的に尊重されていて、必ずしも教員の意見だけが権威を持つわけではありません。実際、多様なバックグラウンドをもつ学生からの独創性のある意見や質問を通じて、教員が新たな気づきを得るという場面は、しばしば目にするものです。いわば、学問の前にはすべての人が平等になる、ある種の「解放空間」という側面もあるでしょう。これはまさに、教室のサードプレイス的性格によるのではないでしょうか。

つまり、本学の教室に集まる様々な人々の間には、このようなサードプレイスを共有する者同士としてのゆるやかなつながり、ゆるやかな連帯感が育まれているのだと、私は思います。このことに、大きな魅力を感じています。

ゆるやかで広いつながりは、
実は非常に強い力を持っている


学生生活における人的なつながりの強さというと、昼夜を問わずともに過ごした友人・知人関係や、先輩・後輩間のつながり、「御恩と奉公」にもたとえられるような師弟関係といった、近くて密接な個人間の関係を想起する方が多いかもしれません。
そうした近くて密接な関係は、もちろん魅力的で強い力を持つ場面も少なくないでしょう。けれども、あくまで個人と個人の関係を基礎とするため、個人の状況変化の影響を受けやすいという問題もあるように思われます。たとえば何らかの事情でしばらく連絡を取れなくなったり、あるいはふとした事件がきっかけで対立が起こったりすれば、密接な関係はこじれ、つながりがうまく機能しなくなってしまう危険性も存在しています。

他方でゆるやかなつながりは、過剰に近づきすぎない分だけ、関係の維持に気を配る部分が少ないといえます。それだけに、いわば「薄く広い」つながりになる傾向が強いでしょう。しかし、この薄くて広い関係が、かえって力を持つ場面もあります。たとえばレポートや卒業研究などの大きな課題を抱えているときに、そのことを感じます。
教室で出会ったあの人も、私と同じこの課題に取り組んでいるはずだ。大変な仕事をしながら、あるいは家庭を切り盛りしながら、日本中、世界中を飛び回りながら、それでも同じ課題に取り組んでいる人がいる。私よりもずっと忙しくて大変な人なのに……。
課題を投げ出してしまいそうになったとき、こうして教室の人々の顔を思い浮かべると、私よりもずっと大変な人だってがんばっているのだから、私も投げ出さずにがんばって乗り切ろう、という勇気が湧いてくるのではないでしょうか。必ずしも、仲間同士で直接声を掛け合ったり、情報提供などのサポートをしたりしなくても、世界のどこかで同じ時期にがんばっている互いの存在自体が、ゆるやかに互いを支え合うことができるのだ、と思うのです。

もちろん、なかにはやむを得ず課題を断念してしまう人もいるでしょう。1回の課題提出だけで大学生活のすべてが決まるわけではありませんから、諸々の事情が許さなかったり、タイミングが合わなかったりすれば、今回の課題は見送って次の機会を期する、というのも、当然あり得る選択です。けれども、「薄く広く」何人もの顔を思い浮かべてみれば、その中には、どんなに忙しくてもきちんと課題を乗り越える人だって、必ずいるものです。そんな人にあやかって、もう少しだけがんばってみよう、と考えることもできるでしょう。

少し唐突な事例ですが、短期間で多数の職業を次から次へと渡り歩いて「その日暮らし」をしているタンザニアの都市零細商人を研究する小川さやか氏が、職業と生活に対する彼らの捉え方について、興味深い指摘を行っています(小川さやか『「その日暮らし」の人類学:もう一つの資本主義経済』光文社新書、2016年)。

 

小川さやか『「その日暮らし」の人類学』



彼ら都市零細商人たちは、財産を蓄えられるような高い報酬を得る道を、概して好まないようです。それは、高い報酬と引き替えに行動を拘束されてしまうからです。逆に、不安定で不確実な未来の成り行きが見えにくい状況を、彼らはそれゆえにこそ多くの機会があると捉えて、自らそこに身を投じていきます。そして、彼らは薄くて広い人間関係を保ち続けることによって、自分がどこに住むことになったとしても、連絡さえ取れば何かしらの手助けをしてくれる仲間がいるという希望を持ち、不確実性の中で未来を切り開く方向に進んでいくのです。

もちろん、タンザニアと日本では社会状況に大きな違いがありますから、すべてを同列に語ることはできません。しかし、薄くて広い人間関係であるからこそ、どんなに大きな状況の変化があっても「全滅」してしまう事態を回避でき、苦境を乗り切る端緒を見出すことができるというしたたかさに、ここでは注目しておきたいと思います。大きな課題に臨むとき、ゆるやかにつながる仲間同士が互いを支え合っている構造に、似ているところがあると思いませんか?

もう一度、「勉強は孤独との戦い」……?


勉強や研究は、一人でやるものだ。そうなのでしょうか。
もちろん、そういう側面はあるでしょう。卒業研究やレポート、試験の答案を他人に代筆してもらうことは、原則としてできませんから、どうしても自分自身の力で乗り切らなければならない局面は存在します。個人のテクニックやスキルを高めることによってそれらを乗り越えやすくする工夫は、もちろんあってよいでしょう。「学習法」と呼ばれるものは、そのノウハウだろうと思います。

けれども、始めから終わりまで、一から十まで、すべて独力で乗り切らなければならないかというと、そもそも学校(大学)とは、そういう場ではないはずです。大学での学びには、自分の力で乗り切るという側面と、他人に教えを請い、他人の協力を得ながら進めるという側面の両方があり、これらを両立することが重要なのだと思います。ですから、自分ひとりでものごとを進める「学習法」を確立することはもちろん大事ですが、他人の存在を自分の力にすることもまた、劣らず大事なのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、目的を共有した多様な人々が集う本学には、互いを支え合う薄くて広い人間関係を築きやすいという特徴があります。そこでは、タンザニアの商人ほどではないにしても、環境や状況の変化に惑わされず自分の学習や研究を進める力が身につくはずです。そして、そのことを成し遂げて成長した先に、入学前は思ってもみなかった次の目標が、自分の手の届くところに見えてくるのではないでしょうか。そうして少しずつ自分をバージョンアップさせていくことが、本学での学びの醍醐味なのだと、私は自分の学部生時代を振り返りつつ、思っています。

 

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入学説明会は12月~3月まで毎月開催しています。次回芸術学コース説明会は2/12(日)10:00~と3月度説明会が最後になります。最新情報は上記説明会ページをご確認ください。






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