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アートライティングコース

2023年05月23日

【アートライティングコース】絵画を理解するには椅子が必要だ。 パウル・クレー(1920年)



図版 パウル・クレー《選ばれた場所》1927年 (クリエイティヴ・コモンズ)Bayerische Staatsgemäldesammlungen – Sammlung Moderne Kunst in der Pinakothek der Moderne München, URL: <https://www.sammlung.pinakothek.de/de/artwork/rqxNM1J4vW>](https://www.sammlung.pinakothek.de/de/artwork/rqxNM1J4vW)




すっかり夏らしい陽気となりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。アートライティングコースの教員、上村です。新入生のかたもようやく授業の仕組みに慣れて来た頃ではないでしょうか。とはいえ、まだまだなじんでいない、というかたもいらっしゃると思います。


通信制の授業というのは、普段顔を突き合わせて授業をしないため、時間の融通が利く反面、ともすれば自分の日々の暮らしの流れに呑まれてしまい、なかなか研究や制作のほうに気持ちが向かいにくい、ということがあります。しかし、これは乗り越えられない困難というより、乗り越えるのに時間のかかる困難といったほうがよいでしょう。


研究でも制作でも、創造的な仕事というのは普段とは違う頭や身体の使いかたが必要で、とにかく目先の忙しさに最適化してしまう自分にブレーキをかけ、惰性的な作業を一旦宙吊りにして、まだ身体に馴染まない新しい作業をみずからに課さなくてはなりません。それには時間がかかります。


上に掲げました言葉は、クレーが「創造的信仰告白」(1920年)にあるもので、画家のアンゼルム・フォイエルバッハ(著名な哲学者は叔父)の言葉として引いています。それに続けて、クレーは「なぜ椅子なのか? それは足が疲れて精神の邪魔をしないようにだ」と書きます。疲れずに、じっくり時間をかけて見なくてはならない、というのです。実際、絵をよく見るのには時間がかかります。ちなみに引用元のフォイエルバッハは最低15分とまで言っています(Anselm Feuerbach (Hrsg. von Henriette Feuerbach) Ein Vermächtnis, Berlin, 1913, S.276)。


勿論、日常のばたばたした生活から絵画鑑賞に向けて頭を切り替える、という必要もあるでしょう。そしてまた、そこに何が描かれているのかを認識する、ということも時間がかかるかもしれません。描かれた物語の登場人物や仕草を読み解く、という時間はたしかに必要でしょう。しかしそれだけではありません。さらにまた、そもそも絵を理解する、ということのうちは、頭で内容を理解するだけでは済まないものがあります。そこに引かれた線や色、さまざまな形やそれらの組み合わせを目でたどり、形を画家が作った運動を追いかけ、その形をみずから生み出すというプロセスを経なくてはなりません。単純な色合いや目につく概念ならば、画面上で一瞬で見て取れるでしょう。


しかし、形や線を理解するというのは、それらを形作るための運動をみずから再構成しなくてはならず、じっくりと、またしっかりと見つめる時間が必要になってきます。クレー自身の作品も、一見すると児童画のような線描や色面からできていて、読み解くのは容易なように思えます。とはいえ、絵の主題もなかなか考え込ませる物が多いのですが、描きかたも着彩のしかたも決して平滑なものとは言い難く、微妙に視線を捉えて離しません。直線を引く、円弧を描く、矩形を積み重ねる画家の手を追うかのように、目は画面上を這い回ります。そうした労力をかけることで、徐々に絵が現れ、絵が見えてきます。


クレーが書いているのは絵画についてですが、実はこれは文章を味わう際にも言えることです。速読法やAIの要約で事足りる文章もたくさんあるでしょう。しかし著者の筆遣い、さらには息遣いを追いかけることで、ようやくつかめる文章のニュアンスというものもあります。またそれこそが読書のたのしみでもありましょう。アートライティングの醍醐味もそこにあるように思います。
(上村博)






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