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2023年05月30日
【書画コース】ジョアン・ミロと書
新年度が始まり、はや2ヶ月が経とうとしておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。本日は、先日出かけてきた安曇野ジャンセン美術館の「ジョアン・ミロ展」をご紹介しながら、ミロと書の関係についてご紹介したいと思います。本日の担当は、書画研究室の前川です。
ジョアン・ミロ(1893~1983)はピカソやダリとともに20世紀を代表するスペイン出身の芸術家で、シュルレアリスム(超現実主義)を土台としながらも、独自の世界観を築き上げたことで知られています。
バルセロナで育ったミロは、18歳のときにカタルーニャのモンロッチに滞在し、これが彼の芸術に大きな影響を与えました。故郷の風土に根ざした作品を制作する一方、1920年からはパリに出てシュルレアリスムの主唱者であるアンドレ・ブルトンと親交を結びました。大戦中は戦禍を避けて各地を転々としながら制作を続け、1956年にはマジョルカ島のパルマにアトリエを構え、絵画、彫刻、陶芸、詩と多彩な芸術活動を行いました。
ミロが初めて来日したのは、1966年です。国立近代美術館(現 東京国立近代美術館)で「ミロ展」が開催されることを受けての来日でした。ミロは、来日以前の1940年代にすでに墨や和紙を使用した作品を制作しており、また来日直前にはピエール・アレシンスキーが制作した「日本の書」という映画を目にしていたといい、来日以前から書に関心を抱いていたことがわかります。
来日後のミロの作品には、書のにじみやはねなどの影響が感じられる太い線が頻繁に用いられるようになります。ミロは自身の制作活動に書が影響を与えた旨を語っており、書の影響を自覚していたことがわかります。書の線とは異なる性質を持つミロの線には、書とはまた違った味わいがあり、まさに「書と絵画」が融合したような面白さが感じられます。
安曇野ジャンセン美術館では、現在、「ジョアン・ミロ展」が開催されています。
安曇野ジャンセン美術館は安曇野の森の中にひっそりとある建物で、豊かな自然とともに美術鑑賞を楽しめます。景観も良く、すてきな雰囲気の場所です。「ジョアン・ミロ展」は、そんな安曇野ジャンセン美術館の開館30周年を記念して開催されており、ミロの作品が複数展示されています。
展示されている作品中には、書のような線が確認できるものが多数あります。そして、その線によって生き生きとした造形が描かれています。チラシの表紙に掲載されている《若い芸術家たち》もまさに線の存在感が目を惹く作品です。
ここで、ミロと同時代を生きた書家の一人である森田子龍(1912~1998)がミロをどのように考えていたのかをご紹介したいと思います。
子龍は兵庫県出身の前衛書家で、上田桑鳩に師事しました。戦後には墨人会という書道団体を井上有一、江口草玄、関谷義道、中村木子らと立ち上げました。墨人会はいわゆる前衛書を志向した団体であり、国籍を問わず批評家や芸術家と積極的に交流し、抽象絵画としての墨象の地位を確立したことで知られています。また、書道雑誌『墨美』を刊行したことでも著名です。
『墨美』No.57(墨美社、1956年)では、ミロに関する特集が組まれています。『墨美』は、フランツ・クラインをはじめ、ピエール・アレシンスキーやスーラージュといった西欧の抽象芸術家たちを取り上げていました。そうした中で、「ミロと書との出合い」という特集が組まれたのです。
この特集において、森田子龍はミロの線について次のように言及しています。
ミロの或る部分の線なんかを取り出してみると、書の線の立場から見ると、実につまらぬ変なものだと思われる場合が多いと思うんです。だけどそれはそれとして、画面の中で見ると、何か現実感というか相当熱度のある存在感を持つているわけですね。(「ミロと書との出合い」、30頁)
これに加え、子龍はミロの線と書の線との違いについて、次のようにも述べています。
線のバラエティということでも、書の場合でもいろいろの要素は持つていても、それぞれの要素をむき出しにしないで渾然とした姿で出すというところがあると思うんですけど、ミロの場合だと、その要素をそれぞれにむき出しにしたようなところがあるんです。その意味で線のバラエティというものが極端から極端に亘つてあると思うんです。(「ミロと書との出合い」、29頁)
ここからは、子龍が書の線とミロの線は異なる性質のものであると考えていたことがわかります。子龍はミロの線に対して、「形や色のための線」(「ミロと書との出合い」、34頁)であると述べており、この点が特に書と異なる部分である認識していた様子が窺えます。一方、書の線に対しては「動きとして底に一気貫通するものがあつて、その動きを跡づけるために線というものが生まれる」(「ミロと書との出合い」、29頁)と語っています。形や色のための線というのはまさに西欧の美術観に根ざしたものであり、他方、動きの中で生まれる線とは東洋の書画観に根ざしたものとも読み取れます。
このように、表現を行う際に何に重きを置いて線を書くかということが、線質の違いとなって表れてくると子龍は考えていたのです。
ここまで、ミロと書の関係について簡単にご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。西欧の芸術家というと、書とは無縁と考えられてしまうこともありますが、実際には深い関係があります。今後、ミロの作品を鑑賞する際には、ぜひ子龍のように線にも注目して見てみてください。新しい発見があるかも知れません。
【参考文献】
・「ミロと書との出合い」『墨美』No.57(墨美社、1956年)
・「ジョアン・ミロ展 | 安曇野ジャンセン美術館」(http://www.musee-de-jansem.jp/event/8917/、2023年5月25日アクセス)
・「ミロ展―日本を夢みて | Bunkamura」(https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/22_miro/、2023年5月25日アクセス)
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◎ジョアン・ミロについて
ジョアン・ミロ(1893~1983)はピカソやダリとともに20世紀を代表するスペイン出身の芸術家で、シュルレアリスム(超現実主義)を土台としながらも、独自の世界観を築き上げたことで知られています。
バルセロナで育ったミロは、18歳のときにカタルーニャのモンロッチに滞在し、これが彼の芸術に大きな影響を与えました。故郷の風土に根ざした作品を制作する一方、1920年からはパリに出てシュルレアリスムの主唱者であるアンドレ・ブルトンと親交を結びました。大戦中は戦禍を避けて各地を転々としながら制作を続け、1956年にはマジョルカ島のパルマにアトリエを構え、絵画、彫刻、陶芸、詩と多彩な芸術活動を行いました。
◎ミロと書
ミロが初めて来日したのは、1966年です。国立近代美術館(現 東京国立近代美術館)で「ミロ展」が開催されることを受けての来日でした。ミロは、来日以前の1940年代にすでに墨や和紙を使用した作品を制作しており、また来日直前にはピエール・アレシンスキーが制作した「日本の書」という映画を目にしていたといい、来日以前から書に関心を抱いていたことがわかります。
来日後のミロの作品には、書のにじみやはねなどの影響が感じられる太い線が頻繁に用いられるようになります。ミロは自身の制作活動に書が影響を与えた旨を語っており、書の影響を自覚していたことがわかります。書の線とは異なる性質を持つミロの線には、書とはまた違った味わいがあり、まさに「書と絵画」が融合したような面白さが感じられます。
◎安曇野ジャンセン美術館「ジョアン・ミロ展」
安曇野ジャンセン美術館では、現在、「ジョアン・ミロ展」が開催されています。
安曇野ジャンセン美術館は安曇野の森の中にひっそりとある建物で、豊かな自然とともに美術鑑賞を楽しめます。景観も良く、すてきな雰囲気の場所です。「ジョアン・ミロ展」は、そんな安曇野ジャンセン美術館の開館30周年を記念して開催されており、ミロの作品が複数展示されています。
展示されている作品中には、書のような線が確認できるものが多数あります。そして、その線によって生き生きとした造形が描かれています。チラシの表紙に掲載されている《若い芸術家たち》もまさに線の存在感が目を惹く作品です。
◎森田子龍が語るミロ
ここで、ミロと同時代を生きた書家の一人である森田子龍(1912~1998)がミロをどのように考えていたのかをご紹介したいと思います。
子龍は兵庫県出身の前衛書家で、上田桑鳩に師事しました。戦後には墨人会という書道団体を井上有一、江口草玄、関谷義道、中村木子らと立ち上げました。墨人会はいわゆる前衛書を志向した団体であり、国籍を問わず批評家や芸術家と積極的に交流し、抽象絵画としての墨象の地位を確立したことで知られています。また、書道雑誌『墨美』を刊行したことでも著名です。
『墨美』No.57(墨美社、1956年)では、ミロに関する特集が組まれています。『墨美』は、フランツ・クラインをはじめ、ピエール・アレシンスキーやスーラージュといった西欧の抽象芸術家たちを取り上げていました。そうした中で、「ミロと書との出合い」という特集が組まれたのです。
この特集において、森田子龍はミロの線について次のように言及しています。
ミロの或る部分の線なんかを取り出してみると、書の線の立場から見ると、実につまらぬ変なものだと思われる場合が多いと思うんです。だけどそれはそれとして、画面の中で見ると、何か現実感というか相当熱度のある存在感を持つているわけですね。(「ミロと書との出合い」、30頁)
これに加え、子龍はミロの線と書の線との違いについて、次のようにも述べています。
線のバラエティということでも、書の場合でもいろいろの要素は持つていても、それぞれの要素をむき出しにしないで渾然とした姿で出すというところがあると思うんですけど、ミロの場合だと、その要素をそれぞれにむき出しにしたようなところがあるんです。その意味で線のバラエティというものが極端から極端に亘つてあると思うんです。(「ミロと書との出合い」、29頁)
ここからは、子龍が書の線とミロの線は異なる性質のものであると考えていたことがわかります。子龍はミロの線に対して、「形や色のための線」(「ミロと書との出合い」、34頁)であると述べており、この点が特に書と異なる部分である認識していた様子が窺えます。一方、書の線に対しては「動きとして底に一気貫通するものがあつて、その動きを跡づけるために線というものが生まれる」(「ミロと書との出合い」、29頁)と語っています。形や色のための線というのはまさに西欧の美術観に根ざしたものであり、他方、動きの中で生まれる線とは東洋の書画観に根ざしたものとも読み取れます。
このように、表現を行う際に何に重きを置いて線を書くかということが、線質の違いとなって表れてくると子龍は考えていたのです。
ここまで、ミロと書の関係について簡単にご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。西欧の芸術家というと、書とは無縁と考えられてしまうこともありますが、実際には深い関係があります。今後、ミロの作品を鑑賞する際には、ぜひ子龍のように線にも注目して見てみてください。新しい発見があるかも知れません。
【参考文献】
・「ミロと書との出合い」『墨美』No.57(墨美社、1956年)
・「ジョアン・ミロ展 | 安曇野ジャンセン美術館」(http://www.musee-de-jansem.jp/event/8917/、2023年5月25日アクセス)
・「ミロ展―日本を夢みて | Bunkamura」(https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/22_miro/、2023年5月25日アクセス)
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