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アートライティングコース

2023年10月23日

【アートライティングコース】物の注釈をするは、すべて大に学問のためになること也。本居宣長

秋に色めく木々が目に留まるようになりました。皆さま、健やかにお過ごしでしょうか。アートライティングコース非常勤教員のかなもりゆうこです。厳しい暑さが長引いたので、待ちわびた季節がひときわ喜ばしく感じられますね。昼間には爽やかな風を感じて心身がくつろぎ、夜は静けさに耳立って感覚が研ぎ澄まされます。芸術や研究、学習においても集中力が高まる時ですので、より深く粘り強く向き合っていきたいものです。

さて、冒頭に掲げたのは、本居宣長の『宇比山踏 ( うひ山ぶみ )』(1799) という古学の入門書に記された言葉です。この古語のタイトルは、学問を山登りの修行や探検行為になぞらえたもので、「はじめての山歩き」や「山歩きを始めるにあたって」といった意味になりましょう。本書は学問の道に入りそむ人々に向けてその心構えや必要な学習方法を授けているだけでなく、言語表現というものの重要性にまで触れたものです。なかでも「注釈」についての一節があり、それは物の見方を拡げ理解の深度を増すことに加え、単なる説明を超えた創造的な対話を促す大切なキーワードのように感じました。

私的な作業の中でのことですが、近頃奇しくも注釈やキャプションという存在が気になっていたのです。というのも先日、自身の催しのリリース資料を編集していた時に、本文とそれを補強するための周囲の要素との関係にとても意識的になり、小さな注釈や見出しやキャプションの一字たりとも無駄なものは無いものだなとしみじみ感じたからです。自作に関する文書として完結させるものですら注釈作業はとても大切で、自分についての新たな理解や発見さえも引き出すのだから、これから知ろうとするものにおいて重きを置けば、さぞかし有効なのではないでしょうか。もっと言えば、何かを生み出す時にはまず多くの注釈が出来てゆき、それが集積した果てにようやく本体が完成する、いや完成するのかどうか分からないけれどとにかく注釈的営みを我慢強くしていく……そうすると対象がいっそう確やかに見えてくるのだと思うのです。

宣長が前掲の言葉の後に続けた文章を下記に抜き出してみます。

書 ( ふみ ) をよむに、ただ何となくてよむときは、いかほど委 ( くわし ) く見んと思ひても限 ( かぎり )あるものなるに、みづから物の注釈をもせんとこころがけて見るときには、何 ( いづ ) れの書にても、格別に心のとまりて、見やうのくはしくなる物にて、それにつきて又外にも得る事の多きもの也。されば、其心ざしたるすぢ、たとひ成就はせずといへども、すべて学問に大 ( おほき ) に益あること也。是は物の注釈のみにもかぎらず。何事にもせよ、著述をこころがくべき也。

これによると、資料となる書物を紐解いて調べる時に、それについて自分で注釈してみようと思って読むと精読ができるし、他にも得ることが多いとのことです。だから完成しなかったとしても注釈作業は学問にとって大いに有益であるとも言っています。また、注釈だけに限らず、何でも著述することを心がけましょう、というのが最後にあるアドバイスです。

ところでこの「著述する」は、文章を書くだけでなくアウトプットして公開してみましょうということまで含んだものです。宣長自身も自著の出版に積極的だったようですが、世に出すにはタイミングも大事ですから、それを見逃さず自らチャンスをつくって人に見せていくことで自分以外の世界と繋がっていきたいものです。全ての文章は何かに関する注釈である、とも言えることを考えれば注釈の重要性は明らかですが、対象との対話のみならず他者との対話へと広がっていく「著述の公開」をしてはじめて「学び」たりうるということを、宣長は言っているのでしょう。幸い現代は紙への印刷もウェブ上への掲載も誰にでも手が届く手軽なものですから、それを活用しない手はありません。今、という機会を捉えて、時々気持ちを鼓舞しましょう。時間が経てばさまざまな事も自分の心もうつろい変わります。人の目に触れることは、励ましを得るよすがになるかもしれません。また、自分の書いたものも世の注釈のひとつとなっていくのです。

閑話休題。常々言葉の描写力の乏しさを悩ましく感じている自分なのですが、文章の解像度を上げるためには「語彙を増やすこと」も心がけたいと思っています。例えば「読む」という行為ひとつを取ってみても、通読・音読・速読・斜め読み・精読・黙読・乱読・濫読等々の語によって、それぞれの状況を汲み取ることができます。また仮に赤い色についてなら「赤」だけでなく、紅・朱・茜・丹・緋・蘇芳・臙脂等々、その漢字が持つニュアンスを大切にしながら名指すことで、のっぺりとした単色の「赤」のイメージから放れ、豊かに色彩を喚起することができるでしょう。「喜び」や「悲しみ」、はたまた「笑い」や「怒り」に関する語彙や成句は各々どのくらいあるでしょう? また、何かと平明化を嘉する世の中にあって、少し前には使われていた言葉で消滅しそうになっているものはどれ程あるでしょう? たった数十年前に書かれた言葉から何も彷彿とすることができなかったり、それらを実地で能動的に使用できなくなったりすると、私たちの感性や思惟の領域においても失われるものが多いのではないでしょうか。

物の注釈をすること、また良質な語彙を使いこなすことによって表現力が高まります。それはすなわち思考力も高まるということです。言葉を一つのピクセルとして、一つ一つの四角が小さくなって数が増えれば、世界を鮮明かつ多様に捉えることができます。つまり生きている世界が言葉によって豊かになるのです。認識や感受の細やかさ、事物の奥深さへの興味は、やがて高度で抽象的な思考に到達できる能力を私たちに授けてくれるでしょう。言葉や表現という知的営為に親しむ者は、物事の複雑さに耐え、それに勇往できる力を身につけることになるはずです。

 

参考文献:
本居宣長『本居宣長全集 第 1 巻』筑摩書房、1968 年
白石良夫『本居宣長「うひ山ぶみ」全読解』右文書院、2003 年

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「アートライティング」っていったい何? ひとことで言えば、アートについて書く行為、そして書かれた文章(作品)を指す言葉です。とはいえ、アートについてのイメージや意味の理解は人それぞれ。

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