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2024年08月27日
【アートライティングコース】座学から野外へ アートライティングの身体性

こんにちは。アートライティングコース教員の大辻です。
毎年、8月16日の五山の送り火が済むと、少しは秋めいてくるものですが、今年の残暑は過酷という他ありません。
呻吟するばかりで目の前の原稿が捗らないのも、日中外に出て、気ままにうろつくこともできないことが影響しているような気がします。
皆さんは「座学」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
絵画や陶芸、デザインなど、実地で制作しながらの学びに対して、主に言葉による講義を受けるかたちでの学びを座学と呼び習わします。
芸術大学というと、さまざまなジャンルの芸術を実践するところだとイメージする人が多いかもしれませんが、実は実践的なコースにも座学はあり、また座学を中心に学ぶコースも多数あるのです。
歴史遺産、芸術学などといえば「なるほど」と思われるでしょうし、文芸コースや私たちのアートライティングコースなどは、言葉による作品制作の実践と講義の2本立てで、まさに複数レベルの言葉に接しながら学んでいくコースだといえます。
同じ言語を用いた制作でも、文芸コースの場合は言葉による創作が中心になりますが、アートライティングコースでは、あえて純粋な創作は対象としません。
「あえて」というのは、「アートライティング」なるものの絶対的定義があるわけではなく、ある程度の自由度があるからですが、本学でこのように区分けする考え方の違いはどこにあるのかといえば、創作としての文芸がその読者に直接アート体験をさせる一方で、アートライティングとは体験そのものであるアートについて書くことを通じ、読者にひとつの「視点」を提供するところだと言えるでしょうか。
(アートライティングが具体的にどんなものを指すのかは以前書いたブログをご参照ください。【アートライティングコース】アートライティングって何?)
言語により制作した作品を「言語芸術」と表現することがありますが、詩人の平出隆は、これを次のように捉えています。
それは狭い意味では「言語を用いた芸術作品」すなわち文学という意味になります。しかし、より広い意味では「言語をつらぬく芸術行為」であり、その意味伝達作用のみならず、象形性や音響性や構築性などといった言語の物質性、あるいは外在性が重要さを帯びるものをも指すのです。すると、おのずから、音楽の中の言語に並んで絵画や彫刻や建築の中の言語が見出され、それらが文学の言語と流動的に繋がりあうことになるでしょう[1]。
言語は意味を伝えるだけの道具でなく、リズムや視覚的要素、手触りなども備えており、そのことで芸術になりうるということは、文学好きな方ならピンときてもらえるかと思います。
そのように言語と音楽、あるいは言語と美術は共存しうるものであり、言語に音楽や美術的要素が含まれているのと同時に、直接モノに働きかける芸術—絵画、彫刻、建築の中にも言語的なものは存在する。平出氏はこうした考えを述べながら、言語を強く意識した若林奮、中西夏之、加納光於といった美術家たちの仕事の例などを紹介していました。
アートライティングの仕事のひとつには、こうした絵画や建築に内在する言語を見出し、掬い取り、誰もが読める言語に翻訳するということもあるかと思います。
ちょっと話が抽象的になりました。座学の話から始めつつ、アートライティングが言葉を扱うジャンルでありながら、やはり制作、作品だと説明したかったのでした。
しかしこの「座学」という言い方、私はちょっと気になります。絵画や陶芸などの制作と違い座ってする学びということでしょうが、言葉を使って書くアートライティングは机の前に座ってするだけの行為でしょうか?

確かに、最終的に原稿を書く場合、椅子に座ってする人が多数派でしょうし、文献を調べるのもそうでしょう。でも一本の原稿を構想し仕上げるまでには、物理的に書く以外の多くの時間が必要です。
画集を眺めているだけより、美術館を訪れて現物の絵の前に立つ方が、大きさや質感、絵の置かれた状況などより多くの情報を感じ取ることができるでしょう。
それ以外にも、書こうとする対象に関わる場所に何度も足を運ぶ、人に話を聞きに行く、知らない土地に旅に出るといった実地での体験は、時間や手間がかかるようでも、書くための大きな糧になるものです。
また、原稿を書きながらなかなか言葉が出てこない時、(こんな暑さでなければ)私は近所の鴨川べりを遠くまで歩きます。光や風を感じ、日によって流れ方の違う川の様子や水鳥たちを横目で見ながらたったっとリズムよく歩いていると、全身のほぐれとともに頭の中の独り言も調子づいてくるのがわかります。
何かを取材するという目的だけでなく、「歩く」という行為そのものが、言葉の活性化に結びついていると実感する瞬間です。
自然の中の散歩だけでなく、町中や近所をただ「ほっつき歩く」、無目的に裏道に入ったり、思いつきで店をひやかす「遊歩」が思考にもたらしてくれるものは馬鹿にできません。
このようにアートライティングとは、キーボードを叩く、あるいはページを捲る指先の運動だけに限らず、多分に身体的な側面を持つ行為だと私は感じています。あるいはそのような身体性を感じ取れる作品に惹きつけられるという言い方もできるかもしれません。
アートライティングコースは言葉を扱うコースではありますが、座学よりむしろ、自分を外に向けて開いていく学び、いわば「野学」と捉えるのが相応しいと思えてくるのです。
[1] 平出隆「野外をゆく詩学」、鶴岡真弓編『芸術人類学講義』ちくま新書、2020年、154-155頁。
アートライティングコース|学科・コース紹介
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