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2024年02月03日
【歴史遺産コース】『源氏物語』と下鴨神社 ―六条御息所が御手洗川に重ねた想いとは―
歴史遺産コースの加藤詩乃です。
今回は本学瓜生山キャンパスからほど近い、源氏物語ゆかりの下鴨神社についてご紹介したいと思います。
源氏物語に登場する下鴨神社の有名なシーンと言えば、
葵の上と六条御息所の車争いです。
葵巻の見どころであり、またその後ずっと光源氏の周囲に影響を及ぼし続ける六条御息所の怨霊のきっかけとなった出来事です。
この場面は葵祭(賀茂祭)の一連の儀式のなかで「斎院御禊」といわれる、斎宮が賀茂川で禊をし、斎院へ入るという儀式ですが、物語では源氏がこの行列に供奉することとなり、その姿をひと目見ようと、一条大路には見物のための桟敷や牛車が立ち並んでいました。
(前略)とりわきたる宣旨にて、大将の君(源氏)も仕うまつりたまふ。かねてより物見車心づかひしけり。一条の大路、所なく、むくつけきまで騒ぎたり。所々の御桟敷、心々に尽くしたるしつらひ、人の袖口さへいみじき見物なり。
※むくつけし…行動などが常軌を逸していて恐るべきであるさま。
源氏物語はフィクションではありますが、おそらくこうした祭事に人々が集まり、桟敷や車の下簾の隙間から覗く色とりどりの袖口が並ぶ様子は、紫式部が目にした光景なのかもしれません。
実際、賀茂祭における出過ぎた贅沢ぶりに対しては取り締まりが度々行われるほどであったことが知られています。
さて、源氏の愛人であった六条御息所は斎宮となった娘とともに伊勢へ下ることを考えていましたが、せめてもの心の慰めになればと、人目を忍んで行列見物に出かけていました。
遅れて葵の上の一行の車もやってきましたが、すでに女房たちの車が隙間なく埋まっていたので、雑人が少なめの車を定めて次々に立ち退かせていきました。酒が入り勢いづいた供人たちの乱暴もあって、六条御息所の車は部分がへし折られ後方に押しやられてしまいました。
何よりも最も気づかれたくなかった相手に身バレしてしまったことで、六条御息所は無念に苛まれていました。
やがて行列が現れますが、源氏は御息所にまったく気づくことなく過ぎてしまいました。
御息所はこのうえなくみじめに思った自らの有様をつぎのように詠んでいます。
「影をのみ みたらし川のつれなきに 身の憂きほどぞ いとど知らるる」
(現代語訳)影を映しただけて流れ去る御手洗川のような君のつれなさに、お姿を遠くから拝しただけのわが身の辛さがいっそう身に染みて感じられることよ
六条御息所の心情を以上のように表現した紫式部は、御手洗川にどんなイメージを持っていたのでしょうか?
ここで言うみたらし川は賀茂川、禊をする場所です。
この歌の背景には、
『古今和歌集』巻第11・恋歌・501
「恋せじと 御手洗河に せし禊 神は受けずぞ なりにけらしも」
(現代語訳)もう恋はするまいと御手洗川でした禊だったが、神様はお受けにならずじまいになったようだ。
から連想した「御手洗川」に対する「恋せじ」のイメージがあったのではないかという説があります。
紫式部は恋の苦悩から逃れたくても逃れられない六条御息所の思い詰めた様子を「御手洗川」という言葉に重ねていたのかもしれません。
この印象的なシーンとして書かれている葵祭(賀茂祭)は現在も引き継がれている祭事です。歴史遺産コースではこうした京都の貴重な無形遺産について学ぶことができる授業も設けています。
※葵祭については、こちらのブログもご覧ください!
https://www.kyoto-art.ac.jp/t-blog/?p=96167
〈参考文献〉
藤本 勝義「古今集歌「恋せじと御手洗川にせし禊…」をめぐって : 「新撰髄脳」「源氏物語」等の享受方法」『青山學院女子短期大學紀要』37 、1983年
鈴木一雄監修・宮崎荘平編『源氏物語の鑑賞と基礎知識 N0.9葵』至文堂、2000年
高田祐彦『新版 古今和歌集(角川ソフィア文庫)」KADOKAWA、2009年
本多健一『京都の神社と祭り』中公新書、2015年
オンライン入学説明会開催中(1月~3月毎月/コース別)
歴史遺産コース|学科・コース紹介
今回は本学瓜生山キャンパスからほど近い、源氏物語ゆかりの下鴨神社についてご紹介したいと思います。
源氏物語に登場する下鴨神社の有名なシーンと言えば、
葵の上と六条御息所の車争いです。
葵巻の見どころであり、またその後ずっと光源氏の周囲に影響を及ぼし続ける六条御息所の怨霊のきっかけとなった出来事です。
この場面は葵祭(賀茂祭)の一連の儀式のなかで「斎院御禊」といわれる、斎宮が賀茂川で禊をし、斎院へ入るという儀式ですが、物語では源氏がこの行列に供奉することとなり、その姿をひと目見ようと、一条大路には見物のための桟敷や牛車が立ち並んでいました。
(前略)とりわきたる宣旨にて、大将の君(源氏)も仕うまつりたまふ。かねてより物見車心づかひしけり。一条の大路、所なく、むくつけきまで騒ぎたり。所々の御桟敷、心々に尽くしたるしつらひ、人の袖口さへいみじき見物なり。
※むくつけし…行動などが常軌を逸していて恐るべきであるさま。
源氏物語はフィクションではありますが、おそらくこうした祭事に人々が集まり、桟敷や車の下簾の隙間から覗く色とりどりの袖口が並ぶ様子は、紫式部が目にした光景なのかもしれません。
実際、賀茂祭における出過ぎた贅沢ぶりに対しては取り締まりが度々行われるほどであったことが知られています。
さて、源氏の愛人であった六条御息所は斎宮となった娘とともに伊勢へ下ることを考えていましたが、せめてもの心の慰めになればと、人目を忍んで行列見物に出かけていました。
遅れて葵の上の一行の車もやってきましたが、すでに女房たちの車が隙間なく埋まっていたので、雑人が少なめの車を定めて次々に立ち退かせていきました。酒が入り勢いづいた供人たちの乱暴もあって、六条御息所の車は部分がへし折られ後方に押しやられてしまいました。
何よりも最も気づかれたくなかった相手に身バレしてしまったことで、六条御息所は無念に苛まれていました。
やがて行列が現れますが、源氏は御息所にまったく気づくことなく過ぎてしまいました。
御息所はこのうえなくみじめに思った自らの有様をつぎのように詠んでいます。
「影をのみ みたらし川のつれなきに 身の憂きほどぞ いとど知らるる」
(現代語訳)影を映しただけて流れ去る御手洗川のような君のつれなさに、お姿を遠くから拝しただけのわが身の辛さがいっそう身に染みて感じられることよ
六条御息所の心情を以上のように表現した紫式部は、御手洗川にどんなイメージを持っていたのでしょうか?
ここで言うみたらし川は賀茂川、禊をする場所です。
この歌の背景には、
『古今和歌集』巻第11・恋歌・501
「恋せじと 御手洗河に せし禊 神は受けずぞ なりにけらしも」
(現代語訳)もう恋はするまいと御手洗川でした禊だったが、神様はお受けにならずじまいになったようだ。
から連想した「御手洗川」に対する「恋せじ」のイメージがあったのではないかという説があります。
紫式部は恋の苦悩から逃れたくても逃れられない六条御息所の思い詰めた様子を「御手洗川」という言葉に重ねていたのかもしれません。
この印象的なシーンとして書かれている葵祭(賀茂祭)は現在も引き継がれている祭事です。歴史遺産コースではこうした京都の貴重な無形遺産について学ぶことができる授業も設けています。
※葵祭については、こちらのブログもご覧ください!
https://www.kyoto-art.ac.jp/t-blog/?p=96167
〈参考文献〉
藤本 勝義「古今集歌「恋せじと御手洗川にせし禊…」をめぐって : 「新撰髄脳」「源氏物語」等の享受方法」『青山學院女子短期大學紀要』37 、1983年
鈴木一雄監修・宮崎荘平編『源氏物語の鑑賞と基礎知識 N0.9葵』至文堂、2000年
高田祐彦『新版 古今和歌集(角川ソフィア文庫)」KADOKAWA、2009年
本多健一『京都の神社と祭り』中公新書、2015年
オンライン入学説明会開催中(1月~3月毎月/コース別)
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