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2024年11月13日

【通信制大学院】文芸領域教員コラム「大学院“文芸領域”とは、いったいなんなのか?」(小説家・領域長 辻井 南青紀)



文芸領域への入学を検討されている「作家志望者」「制作志望者」に向けて、本領域の教員がコラムをお届けします。

今回は小説家でもあり、文芸領域の領域長の辻井南青紀先生のインタビューをご紹介します。


【辻井 南青紀】(つじい・なおき)


1967年生まれ。早稲田大学第一文学部仏文専修卒業後、読売新聞記者、NHK番組制作ディレクターを経て、2000年に『無頭人』でデビュー(朝日新聞社)。その後、『アトピー・リゾート』『イントゥ・ザ・サーフィン』『ミルトンのアベーリャ』(以上講談社)、『蠢く吉原』(幻冬舎)、『結婚奉行』(新潮文庫)、『主君押込』(KADOKAWA)など、現代文学からエンタテインメント・ジャンルまで幅広く執筆。




「大学院“文芸領域”とは、いったいなんなのか?」


 2023年度、京都芸術大学大学院に、完全オンラインの「芸術専攻(通信教育)」が新設され、その一領域として「大学院文芸領域」が出来ました。
 ここでは、完全オンラインで文芸ジャンル全般について広く学びつつ、自らの創作・制作・研究を深め、高めてゆくことができます。
 完全オンラインで学ぶことの最大のメリットは、なによりもまず、場所を選ばず学べることです。
 日本国内のほぼ全域から、そして世界各地の主要都市から、ご年齢や居住地、職業、これまでのご活動履歴などを問わず幅広い層の学生のみなさんが、ネットを通して講義やゼミに参加し、熱心に学んでおられます。
 また、学生のみなさんの多くがすでに社会経験のおありの社会人でもあり、それぞれの経験や知識を持ち寄り互いに高めてゆける学びと創作の場が、ここにはあります。
 私たちの「文芸領域」は、お仕事と学業の両立を成り立たせつつ本格的に学べるカリキュラムを組んでいます。
 また、文芸創作の領野ではあるけれど、小説など物語創作にとどまらず、エッセイやコラム、取材して書く記事、あるいは評論、批評など、様々なジャンルに取り組んでみたいという方のチャレンジも可能です。

 ここでちょっと他国の先行例を挙げてみますと、たとえばアメリカやイギリスの大学および大学院などでは、すでに創作者として著作を持つような方々が、文芸創作を新たに学びなおそうと母校へ戻り、若い学生たちに伍して授業を受け、発表し、ワークショップに加わっているようです。
 文芸創作およびことばの表現全般を学ぶということには、一度その世界にプロとして登場し活動を始めたら、それで終わり、ということでは決してありません。
 常に学び続けてゆかねば、創作という営みはきっと続けてゆけない、このくらいの厳しさがあります。
 自身の創作を通してようやく「一点突破」したような書き手であっても、これからもグレードアップし続けるにはどうしたらいいのかと悩んだり、先人の優れた作品に触れて我流で学びなおそうと苦心しているはずです。
 「プロになったから一丁上がり」ということはなく、締切に追われながらも、もっといい作品に触れたい、もっと新しいことをしたい、と、知的な飢えを抱えていらっしゃる方は、少なくないはずです。(かく言う私自身もそうです)
 そういった方々にとっても、いったん得た知識や能力を棚卸ししつつ、新たな境地で新鮮に学び直すことが可能な場が、必要なのです。

 これまで作家および大学教員として指導に携わってきて、私なりにずっと心中で問うてきたことがあります。
 「書くこと」を通して人生を切り拓いてゆきたい、本気でそう願う方々にとって、いったい、「喉から手が出るほど欲しいもの」とは、何なのだろうか。
 それは、ご自身の制作物をより良くしていくための「実践的な気づき」を、多角的に得ることではないか。
 われわれ指導教員も、ほんとうは学生の皆さんとまったく同じで、「書くこと」や編集制作において、日々試行錯誤し続けています。
 ですから、学生のみなさんがお書きになられたり制作した作品を読めば、いったいどれほどの努力と苦労があったか、わがことのように身に染みてわかります。
 けれども、「よくがんばりました」「きっとあなたのためになります」などと創作姿勢を承認するだけでは、創作や制作の進歩に限界があることでしょう。
 学生のみなさんが書いたり制作したものを実際に受け取る側の「一般読者」は、まったくそうではないからです。
 読者という存在は、「こりゃダメだ」と思ったら、もうそこから先は読んでくれません。
 学生のみなさんご自身が、読者の身になって考えてみれば(*ご自分の内奥に住まう「読者」に問うてみれば)、ご自身という読者は、きっとそういう存在ではないかと思います。
 学生の皆さんは、まだお気づきではないかもしれませんが、そういう厳しい世界に飛び出していこうとしているのです。

 そこで、ご自身の創作・制作物が社会に出たとき、いったい広い意味での読者にどう届くのだろう、どのように読まれ、受け取られるのだろう、といった観点、「自己客観視」する力を培う手立てを、この「文芸領域」は用意します。
 能の世阿弥が唱えていた言葉に、「離見の見」ということばがあります。
 能舞台に立つ役者が、舞台上の自分の立ち位置で自分を見るのではなく、客席にいる観客のまなざしでもって舞台に立つ自身を顧みつつ舞え、という意ですが、実はまったく同じことが、ことばの表現にもあてはまります。
 では、このことが、われわれ文芸領域において、カリキュラムや指導の仕組みを通して、どのように実現されようとしているのか、お話します。
 「文芸領域」では、演習科目(ゼミ)の指導の場は「小説創作」と「編集制作」に大別されますが、「自己客観視」の難しさについて、なるべく具体的なイメージを持っていただけるように、ここでは「小説創作」のジャンルを例にとります。
 「小説創作」の領野では、たとえば既存の文学賞の「下読み委員」などの経験がある方、あるいは小説を客観的に評価する力量と経験をお持ちの作家、編集者、評論家などを中心にした「閲読チーム」なる仕組みを運用しています。
 「下読み委員」とは、小説新人賞に応募された作品を一番初めに読み、選考する人たちで、若手の小説家や書評家、ライター、文学研究者などの方々が務めることが多いようです。言い換えれば、小説の「目利き」のような存在です。
 新人賞に応募したご経験のある方なら想像がつくことと思いますが、通常では、最終選考まで残ったり、あるいは選考に通ってめでたく受賞したりしない限りは、主催の出版社から何も連絡はありません。
 これを「まるでブラックホールだ」と受け止める向きも、決して少なくないようです。
 多大なエネルギーを費やし、ベストを尽くして書いた自分の作品の何がいったい悪かったのか、あるいはほんとうは良かったのか。具体的には、どこが、どうだったのか。
 こうしたことがよくわからないまま、いたずらに作品を書き連ねていくと、創作のエネルギーを大きく浪費するように思われてならないようなことも、きっとあると思います。
 どんな作品においても、どの部分・要素が優れていて、どんな課題を残しているのか、ということは、実はある程度はっきりしているはずです。
 こうしたことを、書き手自身が、助けをかりつつも最終的には自分の力で理解し、自作を少しでも良くしていくこと。私たちは、こうした「自己客観視」の力と営みを、文芸創作において大変重要な力だと認識しています。
 ここでは小説の創作を例に挙げていますが、編集制作の分野でも同様のことが言えます。
 作ろうとお考えのものが、いったい社会の中でどう読まれ、受け止められるのか。どのようなメッセージとして、読者という存在に確かに届くのか。
 実作を通して、こうした認識を深めていくことが大切だと考えています。

 そしてもうひとつ、この「自己客観視」をしながらご自身の創作・制作研究をすすめてゆくために、われわれの文芸領域で重要視されている試みがあります。
 それは、狭いジャンルを超えて学生のみなさん同士が、お互いの作品や成果物を横断的に読み合い、ただ感想や意見を述べ合うのみならず、「もしも自分だったらここをこう書く」とか、「この部分が素晴らしかった」などと、作品をよりよくするために考えられるアイディアなどを交換する、開かれた場を持つことです。
 われわれ文芸領域には、学生個々のための「ポートフォリオサイト」なるものがあります。
 ここに学生の皆さんが、ご自身の創作・制作・研究の成果物を、都度都度アップし、お互いに閲覧できるという仕組みがあります。
 学生の皆さんは、こうして相互の意見や感想、アドバイス、励まし、創作・制作・研究上の議論など、自作をよりよくするための手がかりを得つつ、着実に作品の質の向上をめざしておられます。
 私たちの通信制大学院「文芸領域」では、参加する学生のみなさんが、それぞれのご自身のテーマをしっかりと持ちつつ、では「読者」という存在に向かって、何をどのように表現し、形にし、伝えてゆけばいいのかという可能性を追求します。この目的のために、より実践的な合評を行います。
入学なさったあかつきには、この「合評」という有意義な機会を、ぜひともご自身の作品をより多角的に「自己客観視」し、より高めていくために、ご活用いただければと思います。

 では、この大学院文芸領域では、具体的にどのような指導がなされ、授業が実施されているのか、お話します。
 授業の枠組みは基本的に、まず事前の学びとなる動画を複数視聴したうえで、講義科目、あるいは演習科目(ゼミ)などを受講します。
 たとえばゼミなどの場合は、月1回程度のオンライン・スクーリングの実施となっていますが、受講学生同士の合評やディスカッションなどを通して、相互の交流も生まれています。
 大学院の場合、卒業までに必要な単位数は30単位ですので、働きながら本格的な研究・制作に集中することが出来ます。
 4年制の通学部(学士課程)との最大の違いは、4年制の大学では、まずご自身が何を学び、創作していくのか模索し、どのように制作に臨むかという覚悟を決める、というプロセスがあるだろうと思います。
 こうした試行錯誤の道のりを経て、ある程度明確な研究や制作のテーマを定められるという事情がそこにはあります。
 一方、私たちの通信制大学院「文芸領域」に学びに来られる方は、そのようなプロセスを、ある程度、大学のみならずこれまでのご経験を通じて歩んで来られ、ご自身の目標を明確にしつつある、あるいはそうした意志をお持ちの方と想定しています。

 ……と、ここまでお読みくださった皆様は(*長くてすみません)、もしかすると大変厳しく辛い場だというイメージをお持ちになったのかもしれませんが、実際のところ、そんなことはまったくありません。
 「文芸領域」は、みなさんの研究・制作を全力で支えますが、いわゆる「プロ」を育成することに凝り固まっているような場には、決してなりません。
 学生の皆さんも、たとえばゼミの輪の中で自発的な研究をして発表したり、対面のオフ会を定期的に開いたり、あるいは有志が集まって冊子を発行し、文学フリマなどへ出展をめざすなど、大変いきいきと楽しそうに学びをすすめておられます。
 目的意識を持っていただいて創作や制作に臨むことはもちろん大事ではありますが、その目標なるものが、必ずしも、たとえば「プロになって自作を出版する」こととか、「社会的な名誉を得て有名になる」こと、あるいは「創作でお金を得ようとする」ことばかりだとは、まったく考えていません。

 この文芸領域で、広義のことばの表現の世界でプロとしてやっていきたい、あるいはその世界を深く探求してご自身の今後の人生に役立てたいと願っておられる学生の皆さんは、われわれ指導教員からすると、いわば各ジャンルのプロとして世に出る前の段階、言い換えれば、まだ「自分の内側にある、どんなアイディアや能力を駆使して、どう勝負していいのか」ということが皆目わからない時期におられます。
 これは、いいかえれば、創作・制作・研究を志すひとにとって、今、とてつもなく豊かな時間が流れている、ということでもあります。
 何をどう書くか、ということにおいて、また、どんなジャンルを選択し、どのような道を進んでゆこうとするか、こうした意思決定のすべてを、先入観や社会通念にとらわれず、かなり自由に試行錯誤し、挑戦することができる、またとない時期なのです。
 一日も早く作家になりたい、自作を通じて社会の中でプロとして勝負を始めたい、と願う方々にとっては、その登竜門を通過する前の段階というのはどうしても気持ちが焦ってしまうものです。
 けれども「焦ってしまう」ということも含めて、ひとりの書き手にとっては、とても大切な時期なのです。
 この「文芸領域」に集うみなさんが、近い将来、ご自身の書き手としての道を切り拓いていくだろうその後にも、かつて(大学院の在学中に)どんなことに頭を悩ませ、試行錯誤の末、主体的な決断を下してきたのか、という経験から、その先の道行きについていろんな手がかりやヒントが得られるはずです。
 今書いているよりも、もっといい作品を書こうとしたら、結局のところ、もっとたくさんの優れた作品に触れて、吸収することがどうしても必要になって来るのです。
 こうしたタイミングにおいて、われわれ教員は「これを読んでみたらどうか」と提案してみたり、作品をよりよくするために話し合ったり、ヒントを出し合ったりすることももちろんできますが、この新しい「文芸領域」では、さらに重要な学びの機会も作りたいと思っています。
 大学を卒業したばかりの若い方々も、すでに社会人として経験を積んでおられるベテランの方々も、せっかく多種多様な方々が集うのだから、それぞれがお持ちの多様な力を互いに持ち込んで、より豊かに高め合っていくことができるのではないか。
 こうした観点から、今後もさまざまなカリキュラムおよび指導上の挑戦を行って、言葉の表現を通してご自身の人生をよりよくしたい、と願うすべての方に、確実にお役に立てる学びの場を、形作ってまいります。

 これからこの「文芸領域」を巣立ってゆかれる方々に期待されているのは、最終的に、表現者としての自立を目指していただくことです。
 大学院という学びの場に集うのは、ある程度はご自身の意志が固まっている方々だとは思いますが、やはり実作活動をしていく中での自立というのは、また異なって来ます。
 これから先はきっと、次々と壁に直面することでしょう。果たして、そうした障壁を、自分の知恵と力と意志で、どう乗り越えていくのか。
 こうしたことを、授業やさまざまな機会を通じてご一緒し、立ち向かってゆきたいと思っています。
 ゆくゆくは、その中からヒントとなる何かを自力で掴みとっていただき、これから先、書き続けるための糧にしていただきたい。
 どんな困難にも通用するような万能の解決策はおそらくないでしょうが、たとえば、「何かと何かをくっつけてみたら新しい形になる」、といったような試行錯誤を、自発的に試みていただけるような場になるはずです。
 ご自身の目指すところの創作の高みを目指して、この新しい大学院「文芸領域」においでになる皆様を、われわれは、こころよりお待ちしています。
(*2022年度発行「瓜生通信」掲載インタビュー記事を再構成、当時の取材・執筆・写真は文芸表現学科2年の多田千夏による)

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説明会情報


【2024年11月20日(水)19:00~20:30】
文芸領域 特別講義(3) クリティカル・ライティングゼミ編
「人の心を動かす文章とは──自ら発信する時代のライティングスキル──」
ブログやSNSなど、いまや誰もが簡単に世界に向けて文章を発信できる時代。うまいだけではなく、もっと読みたいと思わせるにはどうしたらいいのか──。
エッセイ、書評、取材記事にコラム、あらゆる文章に対応するスキルは、誰にでも身につけられるもの。文章力なんてあとから付いてきます。人文書から実用書までさまざまなノンフィクションを手掛けてきたベテラン編集者2名が、伝わる文章の秘訣と当ゼミで学べることについてお話しします。

登壇者一覧)
■クリティカル・ライティングゼミ 指導担当者
*田中尚史(編集者)
*野上千夏(編集者)

司会進行)
*辻井南青紀(作家/文芸領域長)

↓説明会の参加申し込みは文芸領域ページ内「説明会情報」から!

▼京都芸術大学大学院(通信教育)webサイト 文芸領域ページ


文芸領域では入学後、以下いずれかのゼミに分かれて研究・制作を進めます。

●小説創作ゼミ


小説、エッセイ、コラム、取材記事など、広義の文芸創作について、実践的に学びます。

●クリティカル・ライティングゼミ


企画、構成、取材、ライティングから編集レイアウトまで、有効な情報発信とメディアのつくり方を実践的に学びます。

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