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書画コース

2025年01月26日

【書画コース】特別講義スペシャル 秋の遠足 ―国宝、多賀城碑を巡る旅―

昨年2024年の105日(土)に、書画コースでは初の遠足を実施し、水墨画ご担当の塩見貴彦先生、書道ご担当の桐生眞輔先生と、23名の学生の方々宮城県多賀城市へ多賀城碑を見に行きました。同行した私、書画研究室の渡邊は、役得というか、甘い汁を吸って大いに満足しています。
参加された学生の方々は「修学旅行のような気分が味わえた」ことを少なからず喜んでいらっしゃいました。法的効力を有するような証拠はありませんが、そういう感想を直接聞いております。現地集合・解散で参加費は昼食代の2,000円(税込)です。
この遠足について、今更ながらブログに書いてみようと思います。なにしろこのブログは学生募集を目的として執筆・公開されていますから、遠足などというものは恰好のネタです。それに今回の遠足は不祥事だの不適切な何たらも一切無かったので、めでたく記事に利用できますぜ。

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私は茨城県に巣がありますから、ロバみたいなものに乗って一人で宮城県を目指し駆けていき、遠足の前々日、3日の夕方に多賀城市に乗り込んでいました。
遠足の前日4日は、名勝松島を見てまわり、松島四観のひとつ大高森では、案外ビニール類や缶などのゴミが落ちていたので、それらを全部拾って帰るという非常に素晴らしい行ないをしました。非常に素晴らしい行ないをした私が宿に帰還すると、ちょうど塩見先生がお着きになったところで、じきに桐生先生もおいでになり、塩見先生のお部屋に集まって一息つきました。ここで私は、あることを思いつきました。明日遠足に来られる皆さんに、抽選で先生方の書画をプレゼントするのは、いかがであろうかと。先生方にお伺いをたて、ご快諾をいただいたので、私は自室から文房四宝すなわち筆・墨・硯・紙をとって来ました。旅に文房四宝を携えるとは、今時分まことに稀有な存在と言えるでしょう。書画はまたたく間に出来上がりました。が、その作品を見るのは遠足参加者の特権ということで、ここに画像は載せませぬ。そして、余分に作っていただいた書画を私が横領した事実は、うっかりこんなところに書いてしまっては大変なので伏せておきます。

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遠足当日、2024105日の午前10時半、我々は埋蔵文化財調査センターに集合し、まずは多賀城と多賀城碑について、センター研究員の方からお話を伺いました。ちなみに私は極めて念入りに予習して来ていました。
本稿は冒頭から色々と怪しかったですが、あまり品性を疑われてもいけないので、このあたりで少々まじめに、遠足の主役である多賀城碑について概要を述べることにします。

多賀城碑とは、日本三古碑の一つで、碑文の記年から天平宝字六年(762)のものと分かります。東北における政治の中心地に建てられ、権力の範囲を示していたようですが、碑を建てた藤原朝獦(ふじわら の あさかり、藤原仲麻呂の子)らが失脚したため、石碑は倒されて長い間忘れ去られていました。江戸時代の初めに発見されてから、高く評価される一方で偽作説も提倡されていたものの、のちの研究によって奈良時代の遺物であることが証明された史料です。
中国の書の古典から文字を集めたような書風で、中国文化への深い理解や、それが可能だった筆者の身分の高さが窺えますが、一方で横角が右上がりではなく水平であったり、重心の置き方がおおむね左右対称であったりと、古風なスタイルを備えていて、独自の魅力を有しています。
図版を載せるのは、権利とかがやかましいので、不本意ながら私が臨書したものを載せておきます。謙虚な私としては不本意ながら。

遠足翌日の晩、一人になって寂しくなり、宿で「多賀城碑」の一部分を臨書したもの。



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なお、遠足を実施した2024年に、国宝に指定されましたが、書画コースではそれよりも前から、多賀城碑を訪ねる遠足を計画していました。高い見識が窺えます。
講義拝聴のあと、様々な出土品の展示をお見せいただいたのですが、とても印象深いものがありました。多賀城跡の南面にある市川橋遺跡から出た「双龍環頭大刀柄頭(そうりゅう かんとう たち つかがしら)」です。その名が示す通り、本来は二匹の龍が向かい合うデザインであり、実はこの龍が向かい合うという構造は中国で生まれ、桐生先生の研究によって意味や歴史が明らかにされています。
桐生先生、この出土品を鑑賞して嘆じて曰く「人間の伝言ゲームはすごいね。これは殷代、いや石器時代から伝わって来ているんだから」。

宿で「多賀城碑」を臨書したあと、余った墨と紙で描いた「双龍環頭大刀柄頭」。



これも、権利とかがやかましいと考えられるので、また不本意ながら私がお絵描きしたものの画像を載せておきます。不本意なのですが。
考古遺物を見学した後は、ご講義くださった二名の研究員の方々にお礼を述べてセンターを辞し、15分ほど歩いて、多賀城廃寺跡多賀神社へ向かいました。前日、私が松島の絶景を拝んだ時は少し気が滅入るような曇天と小雨だったのに、遠足当日は非の打ち所がない快晴です。
このいかにも遠足らしい遠足の途中、民家の庭に立派な石榴の木が植わっており、数え切れぬほどの大きな実を成らせているのを塩見先生と一緒に眺め、中国留学中、石榴を食べた思い出を語り合いました。私が滞在したのはわずか四か月半でしたが、八年も中国で暮らした塩見先生が石榴を眺める視線はどこか遠く、当時の様々な記憶が去来しているようでした。

ブログ記事を執筆中、遠足の楽しい時間を思い出しつつ描いた、多賀城跡へ向かう途中に見た石榴。



その後、博物館のレストランで豪華なる昼食を食べ、食後には前日先生方に作っていただいた書画プレゼントの抽選を行って喜ばれて、いよいよ多賀城碑多賀城跡を見に行ったのですが、ブログ記事の紙幅も尽きたので、その感動を味わいたい方は直接お出かけになるか、あるいは、書画コースでは、またいずれ、多賀城碑を訪ねる遠足を実施する予定ですから御入学を御検討いただくなんていうのも、まことに御よろしいかと……。

 





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